九段の郭公

四葩

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7章

65【連理の絡み枝】

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 全面ガラス張りで帝都の夜景が一望できるリビングのソファに寝転び、明日からどうしようかな、と丹生たんしょうは考えた。普通に出勤すればいいのか、それとも休暇を取るべきか。怪我もなく、精神的にも問題なく業務に戻れる。

「なぁ! やっぱり休み取るのが普通かな?」

 奥のキッチンでコーヒーをいれている朝夷あさひなへ向かい、声を張って問う。そうでもしなければ届かないほど広く、遠いのだ。朝夷は湯気の立つカップを持って苦笑を浮かべ、こちらへ歩いてきながら答えた。

「そうだろうね。乱暴も拷問もされてないとはいえ、1週間もマフィアに監禁されたら普通は休むと思うよ。即日出勤なんてしたら、皆びっくりするんじゃない?」
「やっぱりそうだよなぁ。一応、病気の検査もしときたいし……」

 ぴくり、と朝夷の眉が動く。

「……なるべく考えたくなかったけど、仕方ないか……。やっぱりノースキンだったって意味だよね、それ……」
「ですなー。馬鹿じゃないだろうからヤバい病気はないと思うけど、念のためって大事じゃん? もしお前に性病移したなんてことになったら、朝夷家から祟られそうだもん」

 朝夷は額に手をやり、深く嘆息した。

「……だから今日はしないって言い張ってたのか。マフィア風情に先を越されるなんて最悪だ……。ぶち殺したい」
「辞めろよ、物騒なこと言うの。似合わないぞ。えーと、明日は金曜だから病院開いてるな。こういう時ってドラマとかだと保護されてすぐ病院ってパターンだけど、俺らは違うのな。オールセルフケアとか、くそ怠いぜ」
「それは一般人で事件になってるからでしょ。俺たちだって明らかな外傷があったり、意識不明ならすぐ搬送されるよ」
「なるほど、下手に無傷だと面倒ってことか。休み取るなら誰に言おう……駮馬まだらめさんあたりが無難かな」

 丹生は社用携帯を取り出し、バッテリーを入れようとして辞めた。GPSの追跡から逃れるために抜いたのだ。私用携帯はまだ持っていない。明日、ついでに最新機種へ変えようと思いながら、朝夷へ片手を出した。

「携帯貸して、社用のほう」
「うん」

 理由わけも聞かず、一切の躊躇なく手渡されることに、なぜか愉快な気分になった。電話帳から駮馬を検索し、コールする。

【はい、駮馬】
「お疲れ様です、丹生です。今、大丈夫ですか?」
【丹生……? なぜ朝夷の携帯からかけてくるんだ。社用携帯は再支給しただろう】
「あー……ほら、そこはアレですよ、察してくださいよ。あと、この携帯使ったことは内密に頼みます。特に部長には」

 電話口の向こうで、駮馬が呆れたように溜め息をつく。

【相変わらず面倒だな、お前は。それで要件は?】
「ちょっと休み取りたいんですけど、良いですかね? 病院とか私用携帯の取り直しとか、色々やんなきゃいけないこともあるし」
【それは構わんが、なぜ俺に言う。班長に直接、言えばいいだろう】
「駮馬さんが1番スマートに話せそうだったんで。今日はもうごちゃごちゃ言われるの嫌なんですよ。内調でお腹いっぱいです」
【やれやれ……。分かった、伝えておく。何日休みたいんだ?】
「話が早くて助かります。とりあえず3日で」
【了解だ。養生しろよ】
「有難うございます。それじゃ、失礼します」

 朝夷に携帯を返し、ほっとする。とりあえず必要最低限の連絡はいれた。問題はないだろう。
 肩の荷がおりた丹生はポケットから電子タバコを取り出した。フォルダの予備をオフィスに置いておいたのだ。灰皿を置きながら朝夷が笑う。

「駮馬さんをチョイスするとは、さすがだね」
「察し良いし、余計な詮索してこないし、あの人が居てくれて助かるよ」

 朝夷は自分も煙草に火をつけ、「そうだね」と言った。

「あれ? 辞めたんじゃなかったっけ、煙草」
「ああ……ここ何日かちょっとね。でも、吸うのは家でだけだよ」

 先程の号泣といい、やはりこの1週間、かなりストレスを感じていたのだろう。丹生はやんわりと囁くように言った。

「なぁ、長門ながとも休んだら?」
「え……?」
「だってお前、すげぇ疲れてんじゃん。俺のために頑張ってくれてたんだろ? 一緒に休もうぜ。俺、おひとり様って苦手だし、付き合ってくれよ」
「……それ……それは、こ、ここで……?」

 朝夷は酷くどもり、信じられないという顔をしている。丹生は苦笑しながら答えた。

「そんなに驚くか? そうだよ。まる3日、居座ってやるからな。だからお前も居ろって言ってんの。ほら、さっさと休み取れよ」

 ずい、と社用携帯を押し付けると、泣き笑いのような表情を浮かべて小さく「うん」と頷いた。朝夷は阿久里あぐりへ電話をかけ、疲れたから休むという旨を手短に伝えると、あっさり2人の休暇が確定した。

「うわぁ……どうしよう……凄くドキドキしてる……。一緒に休むなんて……初めての経験だらけで、心臓もたないかも……」
「遠足前の子どもかよ。やること山積みだからな。しっかり頼むぜ、運転手」
「ええ!? まさか、それが目的!? せっかく感動に浸ってたのに酷いよぉ……。まぁ、やりますけれども……」

 丹生はいつも通りの顔に戻った朝夷を見て、からからと笑った。
 ふと、朝夷の持ち出した赤と黄色が特徴的な煙草のパッケージを眺め、部屋に漂う匂いを嗅ぐ。ほんのり甘く、独特なスパイスの香りが混じり、煙草というよりお香のような匂いだ。

「銘柄変えたのか。また珍しいモン吸ってるな。俺、この匂い好き」
「良かった。紙タバコの臭いが気になるって言ってたから、少し心配だったんだ」

 長い指に挟まれた煙草、吸い込む瞬間に細めれる目、形の良い唇から吐き出される紫煙。全ての所作が完璧に優雅で、深く重みのある色気をいっそう引き立てる。数年ぶりに見る喫煙姿に思わず見蕩れていると、朝夷はこちらへ顔を向け、やや首を傾けて微笑を浮かべた。

「どうしたの、そんなにじっと見て」
「……いや、久し振りに煙草吸ってるとこ見たからさ。お前って、本当に何させても格好良いよな」
「お前に言われると素直に嬉しいよ。お世辞じゃないって分かるから」

 ふう、と吐いた紫煙を目で追い、朝夷はぼんやり呟いた。

「……誰も彼も、胡麻ごますり顔で言うんだ。素敵だとか、格好良いとか、完璧だとか……。お前だけなんだ、そんな顔しないのは。媚びへつらわず、遠慮も損得もなく、ただ素直に思ったことを言ってくれる。それがどれほど嬉しいか……」

 朝夷は再び丹生へ視線を戻し、少し眉根を寄せた笑みで問う。

璃津りつにも分かるでしょ?」
「……ああ、よく分かるよ。残念なことにな」

 丹生が朝夷家の事情に詳しいように、朝夷もまた、丹生のバックグラウンドに精通している。
 朝夷はしょっちゅう甘い言葉を吐くが、決して口にしない言葉が2つある。「美しい」と「愛してる」だ。前者は丹生のため、後者は自身のため、一度も言ったことがない。
 丹生は「美しい」と言われて育ったが、朝夷は「愛してる」と言われて育った。聞こえは良いが、実態は美談とはほど遠い。それは、どちらも狂信と狂愛の極みだからだ。



 長門の父、朝夷 武蔵むさしには妻、稜香りょうかの他に2人の愛人が居る。武蔵は大学卒業後すぐに結婚したが、なかなか子に恵まれなかった。
 武蔵の父である大和やまとは一刻も早く、1人でも多く子を成すことを強く求めていた。武蔵は悩み、焦ったが、稜香に懐妊の兆しはまったくなかった。
 結婚から2年が経とうとした頃。ついに武蔵は最終手段として、大和が選抜した良家から愛人を作った。
 1番早く懐妊したのが茴香ういきょう周防すおうの母、柊子とうこだった。年子で男女を授かり、朝夷の籍に入れたものの、直系にこだわる大和は満足せず、その後も子づくりに励み続けねばならなかった。
 結婚7年目にして、ようやく稜香とのあいだに長門が産まれた。稜香はやっと授かった我が子を喜び、慈しんだ。しかしその愛情は、些か常軌を逸するものとなった。
 長きに渡る不妊、義父からの威圧、愛人に先を越された不安に苦しんできた反動から、長門へかける愛と期待は常人のそれを遥かに上回り、異常と言えるほどだった。
 長門が産まれてからというもの、稜香は何をするにも傍を離れず、四六時中、腕に抱いて愛おしんだ。翌年には妹の麝香じゃかを授かるも、稜香は長門に付きっきりで、夫にも娘にも一切、無関心だった。

「ああ、長門。愛してるわ、私の愛しい子。きっと立派な跡取りになるわね。だってこんなに愛してるんだもの」

 毎日毎日、何年も何十年も、繰り返しそう言って育てた。長門は物心ついてから、母からこれ以外の言葉を聞いた覚えがない。いつも、どんな時も、いくつになっても、恍惚とした表情で「愛してる」と言われ続けたのだ。
 母から執拗な愛情を注がれ、いつしか長門はその言葉に激しい嫌悪感を持つようになった。そして気付いた。己の生殖器が、どんなことにもまったく反応しないという事実に。
 これを知った祖父と両親はおおいに慌て、様々な検査や治療を行った。しかし、どんな治療も薬品も役に立たず、自慰すら満足にできなかった。
 やがて身体的な問題ではなく、精神的なものが原因であろうという結論に至った。体に異常がないのなら、いずれは機能するだろう、と大和は何とか落とし所をつけた。
 そうして長門は官界入りを果たし、公安調査庁、特別局へ抜擢され、丹生に出逢うこととなったのだ。



 丹生は優雅に紫煙をくゆらせる朝夷を見た後、窓の外で瞬く夜景に視線を移し、ぽつりと言った。

「……検査結果クリアだったらさ、してみる?」
「何を?」
「ノースキン。考えてみれば、お前を無駄打ちさせるのって、すごい贅沢だと思わねぇ? それで、ちょっとした意趣返しにもなるって言う──」

 最後まで言う前にソファへ押し倒され、唇を塞がれた。深く、情熱的に口付け合う。コーヒーと独特な煙草の味がして、丹生は何となく新鮮な気分になった。
 しばらくして唇が離れると、朝夷は丹生の腹に自身の腰を押し付けて笑った。

「可愛いこと言うから……ほら、もうこんなだよ……。今ならキスだけでイけそうだ」

 艶めいた吐息で囁かれ、丹生は朝夷の首に腕を回して首を傾げる。

「この休暇、極上の無駄を楽しもうぜ?」
「ああ……。本当にお前は至高だよ、璃津……」

 丹生と朝夷は互いに似た境遇で育ち、産まれながらに破綻している。まるでツインレイのように、限りなく似て非なる2人だった。
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