九段の郭公

四葩

文字の大きさ
上 下
57 / 84
6章

55【海老で鯛を釣る】

しおりを挟む
 内調、入管、外務省、防衛省との合同捜査が始まり、薄氷をむような緊張感が官界を取り巻いていた。
 それもそのはず、自国の優秀な調査官が他国の犯罪組織に拉致されたのだ。目的は報復なのか、機密情報なのか、相手の明確な行動理由が分からず、下手をすると国の面子めんつが丸潰れになりかねない。
 情報機関が手がける事案は普段から公表される物ではないが、今回は更に情報規制が徹底されているため、各省庁でもこの非常事態を知る者は少ない。
 神前かんざきは新宿駅前の巨大スクリーンを見上げ、次々と写し出される映像に眉をひそめた。芸能人の結婚、出産、不倫、離婚など、下らないゴシップばかりが流れている。街頭スピーカーからは、嘘くさいラブソングと路上勧誘禁止のアナウンスが、壊れたラジオのように繰り返されていた。
 安っぽいネオン管に照らされる猥雑な人混みの中、神前は小さく溜め息をついた。

「平和ボケした馬鹿どもが……」

 スクリーンの画面が切り替わり、近日公開予定の映画予告が流れる。

(あれ、璃津りつが見たがってたよな。一緒に行こうと約束したのに……なんでこうなったんだろう。どうしてあいつがこんな目に合わなきゃならないんだ。俺がねたんだからか? そねんだからか? でも俺は……あいつに消えて欲しいなんて思ったことはない……)

 神前は目に見えぬ宿痾しゅくあを感じて歯噛みした。思考が逸れていた耳に、椎奈しいなの通信が飛び込んでくる。

【神前、どうした? 急に立ち止まって。何かあったか】
「……いや、なんでもない。現場へ向かう」
【了解。なつめは店中で待機中。先程、逢坂おうさかが来店した】
「分かった」

 本日、神前は丹生たんしょうが潜入していたサパー・クラブ『ALアール』にて足取りを追うことになっている。
 この数日、各調査官たちはそれこそ地を這い、草の根を分けるような捜索を続けていたが手掛かりは皆無だった。そこで、リスクを承知で神前が逢坂へ接触し、情報を得る作戦が立てられたのだ。
 猥雑とした通りを抜け、歌舞伎町にしてはシックな外観の建物へ入る。中は薄暗く、広いホールにボックス席がいくつも並んでおり、奥には洒落たバーカウンターがある。棗が別席で談笑しているのが視認できた。
 神前が店内へ1歩足を踏み入れると、すかさず黒服が近付いてくる。

「いらっしゃいませ。当店は会員制となっております。どなたのご紹介でしょうか」
「待ち合わせです。逢坂さんに〝リツ〟とお伝え頂けますか」
「承知致しました。少々お待ち下さい」

 少ししてから、薄いカーテンに仕切られた奥まった席へ通される。1人でグラスを傾け、鷹揚に座っていた逢坂は、神前を見ると探るように目を細めた。

「初めまして。私は璃津の友人です。少し、お話しよろしいですか?」
「……なるほど。どうぞ、座って下さい」
「失礼します」

 神前はテーブルを挟んだ対面の椅子へ浅く腰掛けた。逢坂は事情を察したように薄く笑い、煙草へ火をつける。

「正直、肩透かしを食らった気分ですよ。アイツは昔っから、ふらっと居なくなっちゃあ、何も無かったみたいにふらっと現れる。今日もそうかと思ったんですがね」
「騙すような形になったことはお詫びします。なるべく目立たず、お伺いしたかったもので」
「はは、構いませんよ。それで、お話とは?」
「貴方と食事へ出掛けた夜から、彼の消息が途絶えました。以降の足取りがまったく掴めません」

 単刀直入に切り出した神前の言葉に、それまで余裕をたたえていた逢坂の目が鈍く光った。神前は制するように静かに話を続ける。

「貴方を疑っているわけではありません。彼の古いご友人として、ご協力頂きたいだけです」
「……その言葉を鵜呑みにしろと?」
「はい。少しでも彼に繋がる情報が必要ですから。行方不明者の生存率は時間と共に低くなる、一刻の猶予も無い状況です」

 逢坂は紫煙を吐き、推し量るように神前を見ていたが、やがて納得したように目を伏せた。

「分かりました。職業柄、疑ってかかるのは癖のようなものでね」
「承知しております。差し支え無い範囲で構いません、何かご存知ありませんか?」
「お力になりたいのは山々ですが、私にも分かり兼ねるんですよ。行方不明になっていることすら、貴方から聞いて知ったくらいだ」

 神前はやっぱりか、と嘆息した。丹生の拉致に逢坂が絡んでいないことは、裏が取れている。

(この男から得られる情報は、もともと多くない。目的の撒き餌は出来たから、後は上手く掛かるのを待つだけだな)

 神前はふっと息を吐き、軽く目礼した。

「お時間を頂き、有難うございました」

 静かに席を立った神前の背に、逢坂の低い声がかかった。

「……これは私の独り言ですが、アイツのことはこれでも結構、気に入っていましてね。腐れ縁も14年続けば情も湧くというもので。アレに何かあれば、私も面白くありませんな」
「そうですか。では、失礼します」

 神前は薄く口角を上げ、振り返らずに店を出た。即座に本部の椎奈へ連絡を入れる。

「こちら神前、任務完了」
【了解。棗も折を見て撤収してくれ】
【了解だ】
「向こうは餌に食いついた。恐らくすぐに動くだろう」
【ああ。麻薬取締部に協力を要請してある。逢坂を含む出茂会いづもかいの動向はそちらに任せよう】
「マトリ? なぜヤツらに……出茂会は表向き、違法薬物は扱っていないはずでは?」
【出茂会本部はそうだが、例の二次団体の資金源は違法薬物だ。そこから渡りを付けた。彼らには丹生君も郡司ぐんじ君も多大な貸しがあるので、ここで返してもらう】
「そうか、了解」

 神前は通信を切ると、すぐさま社用携帯を取り出した。

「お疲れ様です、部長」
【お疲れ。で、どうだった】
「食いつきました」
【そうか。よくやった】
「あの……」
【なんだ】
「……いえ、なんでもありません」
【今は余計なことを考えるな。仕事に集中しろ】
「はい。失礼します」

 短いやり取りを終え、神前は眉をひそめた。
 更科さらしなは丹生が行方不明になってからも、皆の前ではなんら変わらない。動揺も焦燥もまったく見せず、いつも通りの顔をしている。思えば朝夷あさひなもそうだ。
 しかし、神前は彼らの胸中を推しはからずにはいられない。誰よりつらい思いをしているのは、更科たちのはずだ。
 加えて更科と丹生は、付き合い初めてまだ数日も経っていない。ようやく手に入れた大切な相手が危機に陥っている恐怖たるや、想像も及ばない。
 丹生は燦然と輝く太陽で、更科はさながら月のように表裏一体で、そんな2人を見ているのが大嫌いで、大好きだった。羨ましくて堪らず、一時は憎みさえした。やがて、自分には手の届かない関係に憧憬を抱いた。大事な仲間と尊敬する師、どちらが欠けても、あの美しい構図は成り立たない。
 もしこのまま丹生が見つからなければ、もし生きて戻らなかったら、もし心が壊れてしまっていたら、と嫌な想像に身震いする。そんな最悪の可能性が少しでも低いうちに見つけてやらねば、と神前は雑踏をすり抜け、歩を速めるのだった。



 神前との通話を終え、携帯を内ポケットにしまいながら更科は小さく息を吐いた。
 内閣情報調査室、小会議室にて。更科は眼前の男へ向き直って短く詫びた。

「失礼」
「いえいえ、お気になさらず。こう事件が多くては、調査部長殿に置かれましてもご心労が耐えないことでしょうねぇ」
「いかにも」

 粘着質な笑みを含む声音で言う男は、煉瓦れんが色のパーマヘアを指に巻き付け、片方の眉を上げている。この男こそG社の件で公安調査庁をいぶり出した張本人、朝夷あさひな 周防すおう長門ながとの異母兄である。
 通った鼻筋に垂れ気味の二重で、毒気の滲み出る微笑が整った顔立ちと相まって、食わせ者の感を強調している。
 周防は長い指を組んで顎を乗せ、やや首を傾けて言った。

「えーと、合同捜査の件でしたねぇ。喜んでご協力致しますとも。なにせ彼は我ら朝夷家にとっても、大変、重要な人物ですからねぇ」

 更科はいちいち癪に障る物言いに苛つきつつ、表情にはまったく出さずに「有難うございます」と応えた。

「しかし、面白いものですねぇ。ミイラ取りがミイラとは、正にこのことで。璃弊リーパンの尾を掴んだ調査官が捕まってしまうとは、まるで御伽噺おとぎばなしのようじゃありませんか。私も少々、心の痛い事態ですよぉ」

 更科の眉がぴくりと動く。

「心が痛むとは?」
「いやぁ、彼ならきっと成果を上げてくれるだろうと進言したのは、この私なんですよぉ。ハハハッ」

 薄々、分かっていたとはいえ、こうも真っ向から挑発されるとは思ってもみなかった。更科は机の下で両手を握り締め、怒りを抑え込む。

(この卑劣な下衆野郎が。最初から仕組んでやがったな。弟をおとしめるためなら、どんな犠牲も眼中にねぇってか。カイン・コンプレックスも、ここまで来ると憐れなもんだ。コイツと比べりゃ、うちの坊ちゃんのほうがまだマシだな)

 ぐつぐつと腹の中で鬱憤をたぎらせながら、片方の口角を上げて答えた。

「そうでしたか。では、ご期待に添った調査官の奪取にも、当然、ご尽力頂けますね?」
「ええ、ええ、勿論ですよぉ。情報が入り次第、いの一番にお知らせ致しますともぉ」

 周防は嘘くさい笑顔で両手を合わせ、こくこくと頷いて見せる。これ以上、この男と話していたら反吐が出そうだ、と更科はさっと立ち上がった。

「宜しく頼みます。では、失礼」
「ああ、そうそう。弟にも、気を落とさないようにとお伝え下さいねぇ」

 更科はちらりと周防を一瞥し、会議室を後にした。どっと気疲れを起こして溜め息が出る。

(駄目だな、ありゃ。もし何か掴んでも、すぐアイツに握りつぶされちまう。中央センターが使えりゃ、だいぶ楽になるってのに……。こうなったら内調はスルーして、他を見繕うしかねぇか)

 朝夷一族の確執は、思っていたより随分、根深いと痛感した内調訪問であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない

すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。 実の親子による禁断の関係です。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

用法用量を守って正しくお使いください

煮卵
BL
エリートリーマン✖️老舗の零細企業社長 4月2日J庭にて出した新刊の再録です ★マークがHシーン お気に入り、エールいただけると嬉しいです

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

つまりは相思相愛

nano ひにゃ
BL
ご主人様にイかないように命令された僕はおもちゃの刺激にただ耐えるばかり。 限界まで耐えさせられた後、抱かれるのだが、それもまたしつこく、僕はもう僕でいられない。 とことん甘やかしたいご主人様は目的達成のために僕を追い詰めるだけの短い話です。 最初からR表現です、ご注意ください。

処理中です...