九段の郭公

四葩

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4章

35【貞操エクスタシー】

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 本日の業務もつつがなく終わり、そろそろ帰宅しようと丹生たんしょうが身支度を始めた時、私用の携帯が鳴った。
 着信は非通知、きっちり3回でコールは止んだ。丹生の口角が歪に上がる。掛け直すことはせず、クラッチバッグを抱えてオフィスを出た。
 エレベーターで地下駐車場へ降りる。薄暗い場内を見渡していると、奥のほうでチカチカとパッシングする黒塗りのセダンがあった。
 丹生は真っ直ぐその車へ向かい、迷わず後部座席の左側へ歩み寄った。濃いスモークのかかったドアが内側から開き、流れるように中へ滑り込んだ。バタン、とドアの閉まる重い音が響く。

「お疲れ、璃津りつ
「お疲れ。久し振りだな、長門ながとと2人で会うの」
「そりゃもう、アルカトラズも真っ青なセキュリティだからね、お前の周辺は。おちおち雑談も出来やしない」
「あいつらを敵に回すと厄介だって、身に沁みたろ」

 中で待ち構えて居た朝夷が丹生を抱きしめ、丹生も広い背に腕を回す。

「……ああ、たまんない。久し振りだな、この抱き心地」
「長門の匂い……まだ1週間くらいなのに、凄く懐かしい気がする……」

 しばらく互いの感触を楽しみ、やがて体を離して少し距離を取った。

「それで、駒の進み具合はどう?」
「だいたい順調。ひとつだけ想定外の駒が来たけどね」
「へえ、それで?」
「後々、使えそうだからキープしてある。捨て時を間違えると、かなりヤバそうだからな」
「ふうん。ま、誰だか大体、予想はつくけど。お前は本当、好意も敵意もまとめてかっさらうよね」
「うるさいな。あ、敵意と言えばこの前、えらい目にあったぞ」
「ああ、 伊座屋いざやたちか」
「知ってたのかよ」
「俺がお前について知らないことなんて、あると思ってるの?」

 妖しく嗤う朝夷の言葉は誇張でも比喩でもなく、明確な事実だ。どんな瑣末な情報でも、この男は確実に把握している。

「まったく、お前は敵が多過ぎるぞ。俺まで巻き込まれていい迷惑だ。器用なくせに、大事なとこ適当だから面倒になるんだよ」
「つれないこと言わないでよ。俺とお前の仲でしょ? 辛苦も共にするのがバディってもんだと思うけどね」
「またそうやって、調子のいいことを」
「ところで、まったく気付いてなさそうだから聞くけど、お前を内調に推す声がかなり高まってるよ。どうするつもり?」
「はあ!?」

 丹生は凭れかかっていたドアの側面からはね起きた。

「ハハ、やっぱり知らなかったか。部長も過保護だなぁ」
「ちょっと待って! なにそれ、どういうこと!?」
「この前の潜入調査で、特別局とお前の株が急上昇。各界から引く手数多あまたの超人気者だ。議員や官僚どもは軒並み、お前を自分のイロにしたくて躍起になってる。笑える話だよね」
「ぜんぜん笑えねぇよ、気色悪ぃ」
「今まで装ってた昼行灯が通用しなくなった上層部は、しつこくお前を寄越せと詰められて、そろそろ守りきるのも限界らしい。長官と次長は内調の指名を前向きに検討、出向させる算段をしてるんだよ」
「えぇ……余りにも飛躍し過ぎじゃない? 俺、ただのノンキャリ調査官だぜ? 班長に補佐に部長まですっ飛ばして内調って、無理があるだろ」
「局長も部長も、虎の子を持ってかれちゃ堪らんから必死で抵抗中。しかし突っぱねるだけの決定打がない。あちらさんは学歴、経歴、年齢、すべて不問で良いとまで言ってる。なんせお前を推してる筆頭が〝あの男〟だからね。押し切られるのも時間の問題だよ」
「あー、あの人ね……長門をおとしめることに命かけてるもんなぁ……。つかお前、そこまで把握してて、よくこんな時期にあんな無茶やらかしたな。お前の立場、相当ヤバくなるじゃん」
「嫌だなぁ、敢えてに決まってるでしょ? なんやかんやとトラブル起こして、お前の進退にブレーキかけてるんだよ」
「ははぁ、なるほど……。って、自分のことも考えろよな。さすがに心配になるわ」

 朝夷はふっと切なげな顔をしたが、すぐに照明の影に隠す。

「お前に心配して貰えるのなら、いくら殴られても良いさ。刺されても撃たれても構わない」
「おいおい、滅多なこと言うなよ。お前が刺されたら、刺したほうがタダじゃ済まないだろうが。末代まで祟られるわ」
「まぁね。だから今回、なつめ家を含めた政界各所に、たっぷり恩を売っておいたのさ」
「なに? どゆこと?」

 状況が把握できていない丹生は小首を傾げる。

「要するに、お前がイエスと言えば内調へ出向。ノーと言えば今のまま特別局の所属。それくらい出来る状態にしてあるって事。俺はお前のために居るんだから、お前が居てくれるなら何でもするよ」
「お前、そこまで……」

 美しく微笑む朝夷に、丹生は総毛立つのを感じた。緻密な情報収集と、数手先まで見越した判断と行動、的確な対応力に感嘆せざるを得ない。
 丹生自身、極端な利他主義の合理主義である自覚はあったが、朝夷はその上を行く。合理主義である上に、超排他的な利他主義者なのだ。
 ぶるっと身震いし、朝夷の胸へしがみ付く。顔を上げた丹生の表情たるや、恍惚にして法悦、歓天喜地の極みだった。朝夷はそれを見ただけで、痛みも苦労も何もかも帳消しになる充足を感じた。

「ああ……お前ってホント……どうしようもなく、やばい……」
「その顔が見られるなら、他に何も望まないよ、璃津」

 2人はただ無言で見つめ合う。互いにとって、それで充分なエクスタシーなのだ。

「部長達は、俺たちが体を繋げなければ引き離せると思ってるようだけど、的外れもいい所だね」
「だな。まぁ、いい前戯になったってとこだわ。俺は今、この瞬間が1番気持ちイイ……」
「本当に、お前は至高で最高だ」

 恍惚として薄っすら開いた丹生の唇を指先でなぞり、朝夷は首を傾げて艶美な声音で問う。

「どうする? どうしたい? この唇ひとつで決められるよ」

 その指へ音を立ててキスし、赤い舌をのぞかせながら丹生は言った。

「ノーだ。お前からもここからも、離れる気はない」
「璃津ならそう答えると思ってたよ」
「じゃあ、もしイエスって言ってたらどうした?」
「当然、俺もついて行くに決まってるでしょ。お前がどう答えようが、俺からは離れられないし、離すつもりもないのさ」
「ははっ、さすがぁ。やっぱり長門は完璧だぜ」

 おもむろに丹生は体をずり下げ、朝夷のスラックスの前を開いた。朝夷は別段、驚くでもなく、むしろ愉楽を湛えた優美な笑みで見下ろしている。
 既に起立している朝夷のそれへ舌を這わせ、荒く息を吐いた。周囲を堪能し、舌を出しながら口腔へ含むと、朝夷から低く甘い吐息が漏れる。

「は、ァ……凄い……久し振りの、お前の口の中……溶けそう……。熱くて柔らかい……」
「ん……シャクりたい気分なんだよ……知ってんだろ……」
「フフ……お前が本気の時の癖だね……。その上品な顔と声で下品な言葉を吐かれると、たまらなく興奮する……っ」

 類稀なる舌技に、朝夷は10分も経たずに頂点へ押し上げられる。丹生の柔らかな髪を両手で鷲掴みにし、後頭部を強く押さえ付けた。丹生はそれを合図に喉を思い切り開き、最奥で放出を受け止めた。

「っふ……はぁ……久々過ぎて、あっという間に出ちゃった……。璃津に口でされると、どうにも我慢が利かないよ」
「滅多にしないもんな。お前の、デカくて太くて熱くて、すごく好き」
「嬉しいこと言ってくれるね」
「もっとシてたいけど、これ以上は引っ込みつかなくなりそうだから辞めとく」
「ふう、残念。カーセックスもなかなかオツだと思ったんだけど」
「馬鹿。バレてイントレ禁止延長になったら、困るのはお前だろ」

 差し出されたミネラルウォーターを半分飲み干し、丹生は口の端から溢れた水滴を妖艶に拭う。その姿に朝夷は苦笑を漏らした。

「お前は天性の魔性だよ。そりゃ、あのお堅い阿久里あぐりも陥落するさ」
「ふん、アイツとは何もしてないっての。する気もないし」
「ええ? お預けしてるの? 可哀想に」
「可哀想なもんか。精々、椎奈しいなさんと仲良くヤってりゃいいんだよ」
「棗の二の舞になっちゃうよ? 阿久里の性格じゃ、椎奈が壊されかねないと思うけど、良いの?」
「いーんじゃない? コイビトなんだから」
「璃津は本当、その手のことには潔癖だよね。椎奈はあんなにお前に懐いてるのに、さすがに同情するよ」
「大丈夫さ。もしそんなことになったら、俺が阿久里をぶっ壊してやる。アイツのジェンガは、もう瓦解寸前だからな」
「ああ、確かにそうだね……」

 ジェンガか、と朝夷は内心、溜め息をついた。己も似たようなものだと思ったからだ。
 指先で少し押されれば、きっと跡形も無く崩れ去るだろう。生かすも殺すも丹生次第で、朝夷はそれで良いと思っている。
 ひと目惚れとは言わないが、体を重ねた時から分かっていた。自分が求めていたのは、正しくこの男だったのだと。それは丹生も同じだった。
 この感情は、愛だの恋だのという生ぬるい言葉では表現できない。互いが互いの唯一無二なのである。

「今夜はどうする?」
「帰るよ。人と会う約束があるんだ」
「了解。送ってあげるから、そのまま後ろ乗ってて」
「さんきゅ。じゃ、池袋東口まで頼む」
「……珍しいご指定だ。官界の人間じゃないね」
「やっぱ分かるか。中学の恩師がこっち来てるって連絡あったから、軽くお茶してくるんだよ」
「そうなんだ。分かった」

 そして静かに車は走り出し、やがて夜の猥雑な池袋へ到着する。
 礼を言って人混みへ消えていく丹生を見送りながら、朝夷はギリと奥歯を噛み締めた。これから会う相手と丹生の関係を知っているからだ。
 任務なら誰と何をしようが構わない。局内で誰をもてあそぼうと気にしない。しかし、丹生の琴線に触れた人物の存在だけは、どうしても受け入れることが出来ない。
 朝夷は嫉妬を遥かに超えた凶暴な感情を抑えられず、衝動のままハンドルを殴りつけ、目頭を押さえて溜め息をついたのだった。
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