九段の郭公

四葩

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3章

33【結論と閑話】

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 ところ変わって更科さらしなのオフィス、部長室である。
 事情説明を終えた丹生たんしょうがオフィスへ戻ると、散らかった物だけではなく、掃除機やモップまでかけられていた。もちろん、神前かんざきの仕事振りである。
 そして、事のあらましはしっかり更科に伝えられており、間を置かずして丹生と朝夷あさひなは部長室へ呼び出しを食らっているわけである。

「で? 璃津りつの脱臼と朝夷の左頬の傷、きっちり説明してくれるんだよな?」

 オフィスチェアで鷹揚に脚を組み、咥え煙草の更科が気怠そうに言う。呆れ顔なのは、事態を把握しているからだろう。
 デスク前に並ばされた2人は顔を見合わせ、アイコンタクトを取ると丹生が口を開いた。

「じゃ、俺から。身動きが取れない状態からの脱出訓練をしてまして、うっかり捻る方向を間違えて脱臼しました」
「ふうん……〝うっかり〟ねぇ」
「はい、〝うっかり〟です」

 じと、と睨まれるが、丹生は飄々と肯定した。

「まぁ良い。で、朝夷の言い訳は?」
「転んでぶつけました」
「……お前さぁ、もう少しマシなこと言えねぇの? この仕事、顔に怪我するのは御法度だって分かってるよな?」
「はい、すいません。〝うっかり〟してました」

 イラッと煙草を噛み潰す更科に、丹生は肘で朝夷の脇腹を思い切り突いた。

「いってぇ! なにすんのッ!」
「小学生じゃないんだぞ。部長の機嫌を損ねるなよ、面倒くさいから」
「だってそう言うしかないんだもん、仕方ないじゃん」
「璃津、お前今、面倒くさいって言ったか?」
「言ってません」
「ハハッ、言ったよぉ」
「黙れ長門ながと。俺が殴ったって報告されたいか?」
「おー、それなら問答無用で許してやんよ」
「よし、右側出せ」
「ええ!? なにその聖書っぽい発言! りっちゃん仏教徒だろ!」
「あいにく俺は無神論者だ。大人しくしないと、その高い鼻が陥没するぞ」
「ちょちょちょ、待って、待って! 目がマジじゃん! 分かった! 真面目にやるってば!」

 やれやれ、と更科は溜め息をついた。

「もういい。今回は注意にとどめるが、怪我を伴うような訓練は絶対にするな。次は無いからな、朝夷」
「はーい」
「あとその怪我、さっさと治せ。任務が滞る」
「はーい」
「それからお前ら、1ヶ月イントレ禁止な」
「はー……ぁあッ!? 何で!?」
「訓練が原因で怪我したんだから当然だろ。たかが1ヶ月にしてやっただけマシと思え。イントレルームは使用禁止、それ以外の場所での該当行為も禁止。チーム全員に監視させるから、こっそり手ぇ出そうなんて考えるなよ。もし俺に報告が上がったら、禁止期間延長だ」
「そりゃないぜ! やり過ぎだ! 横暴だ! 職権濫用だ!」
「静かにしろよ! どんだけ目こぼしして貰ってると思ってんだ。1ヶ月くらいでガタガタ言うな」

 思い切り非難の声を上げる朝夷に、丹生は再び肘鉄を食らわせながら窘める。

「精々反省しろ。ああ、そうそう。神前、椎奈しいな羽咲うさきはだいぶおかんむりだったからな。存分にいびられてこいよ、朝夷」
「うぅわ最悪。有給取って良いですか?」
「だめ」

 がっくりと肩を落とす朝夷とは対照的に、室内には更科と丹生の愉快そうな高笑いが響いた。
 そしてその後1ヶ月、朝夷は徹底的に丹生から引き離され、神前と椎奈には顔を合わせる度に舌打ちと冷たい視線を浴びせられ、阿久里あぐりなつめには無視され、羽咲からは国際電話で罵倒される日々を過ごしたのだった。



閑話【それぞれのメッセージ事情】

〝丹生と朝夷の場合〟

『りっきゅん、おはよ! 今日も大好きだよー! 雨降ってるけど体調は大丈夫?』6:17

『おはよー、起きるの早いな。俺さっき起きた。超頭いたーい、だるーい』11:48

『寝てないよー。昨日の夜から呼び出されて朝帰ったの。頭痛大丈夫? 心配だよ』11:56

『マジか、お疲れ様。てか寝ればいいじゃん』12:03

『親父の付き合い駆り出されてる。くっそ退屈でハゲそう』12:05

『休みでも忙しそうだな。てかメッセしてる場合か?』12:06

『大丈夫だよ、置物のフリして壁際に立ってるから』12:07

『無理あるでしょ。なに? パーティかなんか?』12:09

(立食パーティー会場の写真)
『こんな感じ』12:14

『セレブかよ。小市民としては羨ましいわ』12:15

『もう帰りたい。みんなジャガイモか人参か玉ねぎに見える』12:16

『カレーか肉じゃがか迷うところだな。お腹痛くなっちゃえば?』12:17

『発想可愛いりっきゅん大好き! 会いたいよー。電話していい?』12:18

『良いけど、マジでそっち大丈夫なの?』12:21

『良いの良いの。じゃかけるねー』12:22

『あいよー』12:22

着信。



〝丹生と神前の場合〟

『今度、恵比寿でこんなのあるんだけど、興味あったら一緒に行くか?』21:45
(オートクチュール展の案内画像)

『おお、何それ気になる! 行く!』22:17

『良かった。いつが良い?』22:19

『俺はいつでも良いよ、ナナちゃんに任せる』22:20

『了解。じゃあ金曜の仕事終わりは?』22:21

『了解!』22:21

『もし仕事入ったらごめん』22:22

『そりゃお互い様。定時で帰れることを祈ろ』22:23

『そうだな』22:23

『あ、そうそう、上野にブリューゲル来るの。これ行きたい! 生バベルの塔!』22:28
(展覧会の画像)

『ああ、俺も見たいと思ってた。行こう』22:29

『やった! また予定合わせよー!』22:31

 (了解のスタンプ)22:31



〝丹生と椎奈の場合〟

『椎奈さん、お疲れ様。明日CD持ってくけど、いつオフィス居る?』20:45

『お疲れ様。いや、来てもらうのは申し訳ないので取りに行く。都合の良い時間帯を教えてくれ』20:52

『いつでも良いよー』20:53

『では15時頃に伺う』20:54

『了解!』20:54

『いつも有難う、丹生君』20:56

『もう堅苦しい呼び方やめてよー。普通に呼び捨てで良いよ。皆もそうしてるしさ』20:57

『では、璃津と呼ばせてもらって良いだろうか。少し気恥ずかしいが』21:05

『うん、ぜひともそうして! そのほうが俺も嬉しい』21:06

『ではそうする。ところで、今度ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の公演があるんだが、都合が良ければ一緒にどうだろう?』21:20

『えっ、あれチケット取れるの!?』21:22

『君の都合が良い日を指定してもらえれば手配できるが。迷惑か?』21:25

『いやいや! 迷惑なわけないよ! めちゃくちゃ行きたかったんだけど、チケット取れなくて行ったことないんだよね。是非ご一緒させて下さい。日にちは椎奈さんに任せる!』21:27

『良かった。日頃のお礼も兼ねてディナーでもと思っているんだが』21:30

『本当? わーい、嬉しい!』21:33

『では手配しておくので、当日は宜しく』21:35

『何から何までありがとう! こちらこそ宜しくね!』21:37

『ではまた明日。おやすみなさい』21:40

『はーい、おやすみなさい』21:42



「お前ってホント同僚と仲良いよな。びっくりするわ」
「えー、普通でしょ。つーか更科さん、何ナチュラルに人のメッセ読んでんの? どうやってパス開けた? そっちのがびっくりするわ」
「ちょっとした好奇心。朝夷の呼び方が気持ち悪かった」
「典型的な文章人格変貌者だよな。あれを人前で言わないだけマシなのかも」
「と言うか、神前や椎奈とデートの約束してんの、俺知らなかったんだけど」
「デートって……ただの趣味友じゃん」
「俺とはそういうの行かないくせに」
「急に束縛強めの彼女みたいになるのやめて、怖い」
「じゃあ俺ともデートしろ」
「してるでしょ毎晩、おうちデート。てかもう同棲じゃん、コレ」
「まぁな。早くこっち来い」
「まだ。シーツ濡れるから、髪乾かしてからね」
「そのままで良い。濡れてるお前って、なんかエロくて好きなんだよ」
「ははっ、変なの」

 更科に誘われ、バスローブ姿で上に跨りながら丹生は笑う。

「更科さんも十分、エロいよ」
「そりゃどーも」

 素肌を合わせながら、上へ下へと目まぐるしく体位が変わる。更科との行為は混沌だ、と丹生はグズグズになる思考の隅で思った。
 出たり入ったり、触ったり触られたり、もうどこがどう気持ち良いのか分からないほど溶かされる。確実に優位なのは更科で、しかしそれで良いとも思うのだ。この男に支配される感覚は、酷く心地いい。
 長い華奢な指が、己の体を滑っていくのを見てぞくりとする。過去、何十人、何百人がこの指に、声に、顔に騙され、翻弄されてきたのだろう。

(おかしなもんだよな。色仕掛けする側が、組んず解れつしてるなんて。だからこそ、最高の快楽を得られるのかもしれないけど)

 そんなことを思っていると、更科が埋めていた肌から顔を上げて問うてくる。

「考え事か? 余裕だな。さすがエース」
「……っふ……うん、貴方のこと考えてた……最高だなって……。貴方になら、振り回されても良い……」
「なんだそれ」

 互いに笑みを浮かべて快楽に溺れる。危険な任務と隣り合わせの、穏やかな日常に守られていると実感する瞬間だった。



 その頃の阿久里宅。

あおい、どうしたの? 携帯握りしめてニコニコしちゃって」
「丹しょ……いや……り、璃津、を……オーケストラの公演に誘ったんだ。凄く緊張した」
「ハハッ、顔真っ赤にしちゃって可愛いね。同僚なんだから、そんなに緊張しなくても……ん? 今、璃津って呼んだ?」
「そう呼んでくれと、さっき言われた。やはり変か!?」
「い、いや! 変じゃないよ! 全然!」
「良かった。まだ少し気恥ずかしいな……はやく慣れなければ」
「大丈夫だよ、皆そう呼んでるし」
「ああ。それで、勇気を振り絞ってディナーをと言ってみたら、嬉しいと言って貰えて、凄くホッとした」
「ディナー!? 葵からご飯に誘うなんて、珍しいね」
「り、璃津、とは、食事しながらゆっくり公演の話をしてみたいと思ってな。家族以外の人間を誘うのは初めてで、断られたらと思うと酷く怖かった」
「なるほど、それでそんなに緊張を……。約束できて良かったね。楽しんでおいで」
「ああ、凄く楽しみだ」

 輝く笑顔で頷く椎奈に反して、阿久里は心中、穏やかではない。丹生の名を椎奈から聞くたびに、ギクリとしそうになる表情筋を抑えるのに必死である。

(正室と仲が良い側室、か……。今頃になって凄く響いてきた……。ああ、胃が痛い……)

 阿久里の苦悩の日々は、まだ始まったばかりである。
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