九段の郭公

四葩

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2章

20【完全無欠のユーバ】

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 その後、続々と会場入りしていた調査官達が戻り、皆、丹生たんしょうを讃えながら安堵の表情でくつろぎ始める。
 ひと息ついた丹生はソファから起き上がり、ヒールを脱いだり装飾品を外したりと、のんびり帰り支度を始めていた。

璃津りつ、本当に凄いな。ワンを引き付けるだけじゃなく、しっかり任務完遂するなんて」
「まったく恐れ入ったよ。俺たち、全然出る幕なかったよね」
「いやいや。本当、上手くいったのはなつめのおかげだから。ありがとね、まじで助かった」

 阿久里あぐり郡司ぐんじに答え、ソファでウィスキーを飲んでいたなつめへ礼を言う。

「お前ならやってくれると思ったぜ」

 ハイタッチを交わし、2人はにやりと悪戯っ子のように笑い合う。そこへ羽咲うさきが割って入り、棗に小言を食らわせ始めた。

「結果オーライとしても、りっちゃんに体当たりするなんて信じらんねー。転ばせて怪我でもさせたらどーすんだよ。危ないことすんじゃねーわ、タコ」
「馬鹿か、璃津がそんなどんくせぇワケねぇだろ。お前じゃあるまいし」
「なんだとコラ。それがバディに対する言い草か? どこまでもむかつくわー」

 棗、羽咲バディは始終、こんな調子で憎まれ口を叩き合っている。恋愛感情は無いが価値観が似ているため、まるで熟年夫婦のように互いを理解している。皮肉にも、上層部が煙たがるこの2人こそ、もっともバディらしい関係を築いているわけだ。
 丹生は、相変わらず仲良しだなと思いながら、片手を振って羽咲へ顔を向けた。

「まぁまぁ、慧斗けいともお疲れさま。途中、迷惑かけて本当にごめんよ」
「気にしなくていいって。りっちゃんが目立つのは当たり前なんだからさー」

 と、そこへ顎に手を当てて困惑顔の駮馬まだらめがやって来た。

「しかし丹生、本当に大変なのはこれからだぞ、きっと」
「え? 何でですか?」

 丹生が首をかしげていると、顔面蒼白の相模さがみがメモを置く使いから戻ってきた。

「おう相模、お疲れ。ありがとなー」
「あ、あの……丹生さんに、これを預かったんですが……」
「なに、鉢合わせちゃったの?」
「いえ……メモを置いていたら、華国人らしき黒服に渡されまして……」

 そう言って封筒を差し出す相模に、なんだなんだと皆が丹生を取り囲む。封を切ると、瑠璃色に縁取られた上質なメッセージカードが出てきた。

〝璃津へ
 この世で最も美しい人よ、私は君の虜となってしまった。
 君が何者でも構わない。どこに居ようと見つけ出し、必ず迎えに行く。
 再会のあかつきには、もっと深い関係を築いていこう。
 待っていてくれ。
 ワンルイ

 丹生以外、その場の全員から血の気が引いた。

「おお。さすがだねー、抜け目がないぜ。なんか大物だったって?」
「……まさかりっちゃん、まだアイツの正体、聞いてないワケ?」
「やべ、伝えるのすっかり忘れてた」

 一気に静まり返った室内で、丹生だけがぽかんとしている。

「え、なに。誰なの、あの人」
「お前が話していたワンルイは、上海一帯を牛耳ぎゅうじるマフィア『璃弊リーパン』の首領だ」

 駮馬の説明に、丹生は少し首をかたむけた。

「へえ、そうなんですか。黒社会のボスって、随分と紳士的なんですね」
「そうなんですかってお前……少しは驚いたらどうなんだ?」
「どんだけ俺らが肝冷やしたと思ってんだよ! お前、捨名すてなも使ってないし、こんな予告までされて……捕まったら何されるか分からないんだぞ!」
「まぁそう怒るなって、阿久里。そりゃ、うっかり登録名を答えたのはマズかったと思うけどさ。俺の場合、よくあることじゃん」
「うっかりで済む相手じゃねぇんだよ。お前は明日、引っ越せ」
「えっ、またぁ!?」

 更科の命令に悲鳴じみた声を上げる丹生を、相模たちは呆然と見つめている。

「またって……丹生さん、そんなに引越ししてるんですか?」
「あの子、よく捨名使うの忘れて家まで押しかけられるからなぁ。いくら偽造でも、その戸籍で家とか借りてるからね。案外、簡単に特定されるんだよ。もし本物の戸籍使ってたら、今頃は出身地やら家族構成までバレてただろうね。危ないことする子だよ、ホント」

 苦笑混じりの郡司に、新人たちは丹生の危機感の無さに愕然とする。
 化粧を落とし終わって首からタオルを下げた神前かんざきが、呆れ顔で丹生に声をかけた。

璃弊リーパンのボスに顔と名前を知られたんだ、対策しないわけにはいかないだろ。調査官だってこともすぐバレるだろうし、引っ越すくらい我慢しろ。荷造り手伝ってやるから」
「助かるー、ナナちゃんまじ神。部長、不動産屋の根回しお願いしまーす。ボロくて良いから、家賃安いとこね」
「分かった、分かった」
「……あれ? あの、朝夷あさひなさんはどこに?」

 思い出したような生駒いこまの言葉に、そういえばと全員が辺りを見回す。

「阿久里、一緒に会場を出たんじゃないのか?」
「いや、出たのは確認したんだけど……」
「俺らは敢えてバラバラに行動したから、一緒じゃなかったよ」
「なんだと!?」

 阿久里と郡司の答えで本部に緊張が戻り、椎奈しいなつじが急いで会場モニターを見るが、朝夷の姿はない。

「会場には居ないぞ」
「朝夷さん! 応答願います! 朝夷さん!」
「駄目だ、まったく応答無し。何かあったのかな?」

 ちらっとモニターを確認した丹生は、何となく事情を察した。

チェンの愛人、会場内に何人いる?」
「んー……あれ? 2人しか居ねぇ。朝夷さんが担当してた女、どこにも見当たらないぞ」
「まあ、そういうことなんじゃない? 情報収集なのか、趣味なのかは知らないけど。港着くまでまだ時間あるし、ほっとけばそのうち戻ってくるだろ」
「……っ」

 丹生の説明を受けた椎奈は静かな怒りに震え、更科は呆れ返って紫煙を吐いた。

「色情魔が。しばらくアイツにユーバやらすの辞めようかな」
「そんなことしたら、もっと荒れかねないからお薦めできないな。きっとアドレナリンでたぎってるんでしょ、トラブルにならないなら大目に見てやってよ。じゃ、俺はシャワー浴びてくる」

 呑気な丹生の声と共にバスルームのドアが閉まると、室内はどっと気疲れの雰囲気が漂った。

「朝夷さんのスタンドプレーにも困ったもんだが、璃津もちょっと異常なくらいドライだよなぁ」
「少しは同情できなくもないな、朝夷さんに……」
「それとこれとは話が別だろう! 勝手な行動を取られては、皆に危険が及びかねないと何度も言っているのに!」

 辻と郡司の憐憫混じりの表情とは逆に、怒り心頭の椎奈がテーブルを叩いた時、戻った調査官達の通信機を回収していた小鳥遊たかなしが声を上げた。

「朝夷さんなら、任務完了と同時に一度戻ってきてたよ。通信機も回収済みだし」
「え……? ならば、今どこに……」
「確認後、コピー済みのUSBを持って出て行ったが?」
「それは確かですか、駮馬さん」
「ああ、俺が渡したからな」

 駮馬の答えに、皆の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。丹生を褒めそやすことと、任務を無事に完遂したことで頭がいっぱいだった調査官達は、朝夷の姿を見た覚えがないのだ。

「あの朝夷さんが真っ先に璃津へ飛びつかなかったせいで、居ないものと思い込んでた……ってことか?」
「……それにしても、誰にも何も言わずに、一体どこへ何をしに行ったのか……」

 と、椎奈がぼやいた時、ガチャリと本部のドアが開いて朝夷が姿を現した。

「お疲れー……って、なに? なんで皆こっち見てるの? 怖いんだけど」

 一斉に注視され、朝夷は顔を引きつらせてやや後退りする。怒りに震える椎奈がずいと前へ出ると、厳しい口調で詰問した。

「朝夷さん、どこへ行っていたんですか」
「え? 椎奈、なんか怒ってる?」
「はやく答えて下さい」
「どこって、コピー取れたUSBをチェンのジャケットへ戻しに行ってたんだが? これから取り引きだってのに、バックアップが無いのバレたら大騒ぎになるだろう」

 全員が呆気に取られて言葉をなくした。まさかそんな完璧に正当な理由で居なかったなど、誰も想像していなかったのだ。

「……チェンの愛人が1人、会場から消えているのですが、貴方が担当していた方では?」
「ああ、その子にチェンの所まで案内を頼んだんだよ。会場に居なかったから、急いで探さなきゃならなくてな」
「……な、なるほど……分かりました。有難うございます、お疲れ様でした」
「い、いやー! さすがですね、朝夷さん! 詰めがきっちりしてる!」
「ほ、本当ですよねー! 俺たち、そこまで気が回らなくって!」
「お? おう……」

 阿久里と相模にわざとらしく労われ、疑問符を浮かべていた朝夷だが、すぐにさっと青い顔になって叫んだ。

「……って、りっちゃんは!? 居ないじゃん! どこ行ったの!?」
「あ、いつもの朝夷さんだ……」
「やかましいぞ、朝夷。仕事ぶりは褒めてやるが、本当に残念なやつだな。あいつならバスルームだ」
「はー、良かったー……。焦ったー……」

 更科の鬱陶しそうな答えに、ほっと胸を撫で下ろす朝夷。

「朝夷さん、お疲れ様です。まあ、どうぞ1杯」
「ああ。有難う、神前」

 神前が差し出したウイスキーのグラスを一気に干し、ネクタイを緩めながら息を吐く。

「ふう、落ち着いた。ってことで、俺もシャワー行ってくる」
「今は璃津が使っているので、出るまでもう少し待って下さい」
「なに言ってるんだよ神前。入ってるから行くんでしょ。頑張ったバディをしっかり癒さないとな」
「は、はぁ……」

 当然と言わんばかりの朝夷に、神前は顔を引きつらせた。
 朝夷がいそいそとバスルームへ消えた数秒後、丹生の悲鳴と物を投げつける派手な音が響き渡り、皆は日常の安堵感に苦笑したのだった。
 かくして任務は完遂され、おまけに大物マフィアの情報まで得るという偉業を成し遂げた、特別局の最強バディであった。
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