九段の郭公

四葩

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2章

19【クロスの面目躍如】

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 そうこうしているうちに、ようやく本日のターゲット、G社社長、チェンウェイが秘書や愛人らを引き連れ、派手に入場して来た。会場は拍手喝采で、今夜1番の盛り上がりを見せる。

(うわー……ギラギラしたオッサンだな。悪趣味成金のテンプレ過ぎ、きも。あんなの誘惑するとか、想像しただけで吐きそうだぜ。標的変わってまじラッキー)

 そんなことを考えていても、丹生たんしょうの表情は至極にこやかなもので、特別局きってのポーカーフェイスは伊達ではない。
 ふと、ワンが体を寄せて耳打ちしてきた。

「私はこのあと社長へご挨拶に伺いますが、よろしければご一緒して頂けませんか? 貴女と離れてしまうのは、とても惜しい。それに、また妙な輩に囲まれるのではないかと、心配で堪らない」

 丹生は棚からぼたもちの申し出に、内心ガッツポーズを取っていた。労せずしてターゲットへ近付けるのだ。G社の信頼厚い人物と一緒ならば、怪しまれるリスクはかなり低い。
 しかし、丹生は敢えて控えめに返答した。

「私なんかでよろしいのですか? もっと美しい方が大勢いらっしゃるのに」
「私は疑り深い性分でね。見せかけの美には興味が無いのです。私は貴女の正直さにこそ美徳を感じる」
ワンさんったら、会場中の美女を敵に回すおつもりかしら」
「どうぞルイと呼んで下さい。私も貴女を、璃津りつとお呼びしてよろしいかな?」
「もちろん構いませんけれど……お名前を呼び捨てにするのは、貴国では失礼に当たるのでは?」
「おや、ご存知でしたか。確かにそうした考えはありますが、私は下らない因習が嫌いなのです。どうぞお気になさらず。こちらでは逆に親しい証なのでしょう? 私は貴女と、もっと親交を深めたい」
「本当にお上手だわ。ではお言葉に甘えます、ルイ

 ここぞとばかりに十八番、破顔はがん一笑いっしょうで名を呼ぶ丹生に、モニターを見ていた調査官たちは、ワンの目の色が変わったのをはっきり視認した。

「あれは完璧に堕ちたな。巨大マフィアのボスも、丹生さん相手じゃカタ無しだ」
「もういっそ、すごいを通り越して怖いよ、俺は……」

 全員にとってまさかの展開に、相模さがみ土岐ときが畏怖する中、椎奈しいなは軽く咳払いをして指揮を執る。

「ともかく、期せずして丹生君が最もターゲットに近づく可能性が高くなった。X線データが入り次第、つじ君はバックアップの所持場所の特定を急げ。恐らくUSBかSDカード、小型ディスクのような形状である可能性が高い」
「りょうかーい」

 現場に潜入する調査官はX線を照射、撮影してターゲットの所持品などを透視する、特殊な腕時計や万年筆などを携帯している。調査官が撮影すると、映像データが自動的に辻のPCへ転送される仕組みだ。
 壇上で挨拶を終えたチェンが挨拶周りを始め、丹生以外の調査官らがさり気なくチェンの傍を通り過ぎつつ撮影していく。丹生はそれをちらりと見て、作戦が順調に進んでいることに安堵し、己の任務に集中する。
 やがて、すっかり打ち解けて談笑していたワンと丹生の元へ、チェンが大仰な身振りでやって来た。

「これはワン先生! 直々にお越し下さるとは、光栄でございます!」
「やあ。景気が良さそうで何よりですな、チェン社長」
「いやぁ、おかげさまで! そちらの美しいお方は、奥様ですかな?」
「いえ、今は。しかし、私のとても大切な人です」
「それはそれは、良うございますなぁ!」

 華国語で交わされる会話に丹生はまったくついていけず、こちらを見て微笑むワンへ笑みを返すしかなかった。華国語が堪能な者たちと、翻訳機のある司令室にとってはぞっとする内容である。

「まだって……。完全に嫁か愛人候補にされてるじゃないですか……。分かってないんだろうな、丹生さん……」
「会って20分かそこらだぞ!? これじゃ、シンデレラの二の舞になるんじゃ……」
「ゴホン!」
「あっ……す、すみません……」

 椎奈に鋭く睨まれた土岐は、青ざめて謝りつつ視線を逸らせた。
 胸の前で組んだ腕を神経質にとんとんと指で叩いていた椎奈に、背後の辻から明るい声がかかる。

「うし。分かったぜー、椎奈」
「見つかったか!?」
「おう。チェンのジャケット、璃津から見て右の胸ポケット。形状はUSBだ」
「丹生君、聞こえたか。確認のため復唱する。USBはチェンのジャケット、右胸ポケットだ」

 丹生は声を出さずに『了解』と唇を動かした。
 しかし胸ポケットとは少々、厄介な場所である。常に人目に晒されており、ワンの連れという立場上、チェンへの過度な接触もできない。どうしたものかと策を巡らせる。

(握手を求めて、その流れで……いや、ワンに見られる可能性があるな。シャンパンこぼすのはわざとらしいし……。言葉分かんないから、会話で気をそらせるのも無理か。くそー、まいったな……。世間話くらいの勉強はしておくべきだったぜ。国外出ないからって呑気すぎたな……)

 万策つきかけたそのとき、突然、丹生の背に誰かがぶつかってきた。前のめりに倒れかかる丹生を、咄嗟にチェンが抱きとめる。

(今だ!)

 スローモーションにしなければ分からない手早さとワンからの死角で、丹生はチェンの胸ポケットへ人差し指と中指を挿し入れ、当たった異物を抜き取った。怪しまれないよう、すぐに体を離す。
 倒れる瞬間、グラスをワンのほうへかたむけ、シャンパンを浴びせて目くらましをする念の入れようだ。
 騒然としたのは一瞬で、すぐにワンが丹生の体を支えに駆け寄ってきた。チェンは慌てふためき、片言かたことの日本語で心配してくる。

「大丈夫デスカ!? オ怪我ハ、アリマセンカ!?」
「え、ええ……大丈夫です。申し訳ありません、チェン社長。ルイもごめんなさい。私ったらそそっかしくて、とんだ失礼を……」
「私のことは構わない。酔っ払った客がうっかりぶつかったようだ、事故だよ。璃津は悪くない」
「でも、大切なお洋服が……」

 そう言ってハンカチでワンの服を拭きつつ、ぶつかって来た人物をちらりと見る。へべれけを装ったなつめだ。

(ナイスフォローだぜ棗! 助かった!)

 軽く目配せすると、棗もしたり顔のウインクで返す。少々、強引ではあったが、完璧な連携プレーの賜物だった。
 司令室で一部始終を見ていた椎奈は辻を振り返り、確認を取る。

「USBは!?」
チェンのポケットは空っぽ。今は璃津のガーターの中だ。大成功だな」

 本部の全員から歓声が上がった。

「おおー。さすが隠し場所もえっちだな、丹生さん」
「そ、そこが1番安全だからだろ! 変な想像するなよ相模、失礼だぞ!」
「いや、別にそんなつもりじゃ……」
「2人とも、仲良いのは分かるけど今はやめとけ」

 痴話喧嘩寸前の相模と生駒を、苦笑しながら土岐がたしなめている。
 それまで黙ってモニターを見ていた更科さらしなは、片方の口角を吊り上げて紫煙を吐き、よく通る声で短く命令を下した。

「撤退だ」
「了解」

 即座に椎奈から調査官たちへ撤退の指示が出された。主催側から叱責されかねない棗は、いの一番に小鳥遊たかなしが付き添ってホールから連れ出し、各々、撤収体制へ移行する。
 一生懸命、ワンの服をぬぐっていた丹生も、やおら撤退へ向けて動き始めた。

「ああ、やっぱり拭くだけじゃ駄目みたい……。このままでは染みになってしまう……」
「大丈夫、替えの服は持って来ているから」
ルイ、本当にごめんなさい……」
「そんなに気に病まないで。すぐ着替えて戻るから、ここで待っていてくれないか?」
「でも……こんな粗相をしてしまっては、なんだか……」
「居てほしいんだ。君とはもっとゆっくり話がしたい。どうしても気がとがめるというなら、私に付き合うことを詫びと思ってくれ」
ルイったら……それではお詫びにならないわ。私も、もっと貴方とお話ししたいもの」
「良かった。では少し離れるが、くれぐれも気をつけるんだよ。すぐ戻るから、待っていて」
「ええ」

 スマートに会場を出て行くワンを見送り、再度、チェンへ丁寧に詫びてから丹生は一目散に本部へ戻った。
 部屋のドアを閉めた途端、歓声と拍手に包まれる。まずは飛びついて来た羽咲うさきである。

「りっちゃんってば、マジのマジにサイッコーだわ! 完璧すぎ!」
慧斗けいとぉー! 超緊張したよー!」

 ひしと抱き合う2人を微笑ましく見つめる面々。皆、丹生へ賞賛の眼差しを向けている。

「あ、そうだコレ。ちゃんと確認しないとね」

 そう言っておもむろにソファへ片足をあげ、ガーターに隠しておいたUSBを辻へ手渡す。その際、ユーバ陣は目のやり場に困っていたが、丹生の知るところではない。

「丹生君、お疲れ様でした。やはり君は素晴らしい調査官だ。完璧な仕事ぶりだった」
「いやだなぁ椎奈さん、褒めすぎだよ。ほとんど棗のおかげだし。あ、誰か手の空いてる子いる?」
「俺、空いてます!」
「じゃあ相模、『ごめん』って感じのメモ作って、ワンと最初に会ったテーブルへ置いといて。名前は書かなくて良いから」
「了解です、行ってきます」
「鉢合わせないよう、気をつけてね」
「はい!」

 即座に動く相模を見送ると、背後から声がかかった。

「確認取れた。オールパーフェクトだぜ、璃津」
「はぁー、良かったー……」

 辻の報告を受け、丹生はぐったりとソファへ身を横たえた。そこへ更科が近づいて床に膝をつき、目線を合わせてくる。
 丹生は少し困ったような笑みを浮かべて呟いた。

「部長……俺、頑張ったよ」
「ああ、よくやった。できすぎなくらいだ」

 穏やかに微笑みながら、更科は丹生の足元にブランケットを掛けた。

「役に立てた?」
「当然だ。お前の働きがなけりゃ、この任務はもっと困難だったろうよ」

 ふっと丹生は素の笑みを漏らす。

「良かった……。拾ってもらった恩、返せてるんだね」
「馬鹿か。そんなモン、売った覚えも返される筋合いもない」

 くしゃりと頭を撫でると、丹生は猫のようにその手に頬を擦り寄せた。

「有難う、部長」

 目を閉じたまま言う丹生の思惑は知れなかったが、その声音は酷く穏やかなくせに切なげで、更科は胸が締め付けられるような気がした。
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