九段の郭公

四葩

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2章

15【暗黙の掟】

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 朝夷あさひな丹生たんしょうのバディは他と比べ、イントレ頻度が異常に高い。朝夷がかなり強引に誘うせいだが、結局、応じているあたり丹生も嫌ではないのか、諦めているのか。特別局の七不思議となっている。
 オフィスで昼休憩中の丹生に、その疑問を真っ向からぶつけたのは羽咲うさきだった。

「りっちゃんとこって、週どのくらいしてんの?」
「イントレ? あー、お互い出張とかなければ、だいたい4、5回くらいだな」
「はっ!? 多すぎじゃね!? それ、休みの日以外、毎日ヤってるってことじゃん!」
「はは……やっぱ多いよな。まぁ、分かっちゃいるんだけどさぁ……」
「そんなにしてたら、腰とか尻とかイカれそうだわ。よく体力持つよなー」

 電子タバコを咥えながら苦く笑う丹生を見て、羽咲と同じく遊びに来ていた神前かんざきが片眉を上げた。丹生のオフィスには、用のない客がよく訪れる。

「持ってないだろ。しょっちゅう体調崩してるじゃないか」
「確かにー。ちょっと減らしたら? ヤり過ぎは毒だって言うじゃん」
「無駄だ、羽咲。璃津りつは一度も自分から誘ってないし、毎回、何度も断っての今だからな」
「はぁー。それはそれは、難儀なことですなー」

 呆れ果てる羽咲と顔をしかめる神前に、丹生は苦笑しながら若干のフォローを入れる。

「これでも減ったほうだよ? 酷い時なんか、週5で1日3回とかだったし……」
「だからおかしいんだって、基準がさ! 性欲オバケか! 朝夷サンどんだけなんだよ!」
「流石にそれじゃ仕事にならないってことで、最終的に更科さらしなストップかかったしな」
「なに、そのドクターストップみたいな言い方……。そういえば確か、朝夷サンちまであの人が出ばってたこともあったよな? マジで異常すぎるわ……」
「まるで性交渉覚えたての猿だった。ま、今もたいして変わらんらしいが」

 タブレットに目を落としたまま言う神前の声は、凍るように冷たい。羽咲は深く溜め息をつき、ソファへ背を預けた。

「はー。そこまでしてて付き合ってないってマジ? 逆に怖いんだけど」
「そおか? 恋愛感情なんて、イントレ回数とイコールじゃなくない?」
「まぁそうだけどさ……。マジのマジにここだけの話、まったく脈ナシなわけ?」
「無いに決まってんじゃん。マジのマジで体だけの関係だよ」
「その言い方だと酷い誤解を招くぞ、璃津」
「でも、確かに俺も不思議なんだよなー。あんだけ外でヤりまくってんのに、職場でまでする必要ある? っていつも思うんだよねー」
「は?」

 丹生がさらっと投下した爆弾に、神前と羽咲はフリーズした。

「なに? 2人とも急に固まって」
「いやいやいや、え? 今なんて?」
「だから、長門ながとは外でも内でもお盛んだなって話で……」
「りっちゃん、外でも朝夷サンとヤってんの?」
「まさかぁ! プライベートで会ったことなんてないって! 任務の話だよ、あいつの。やっぱ女だけじゃ物足りない的な、飲みの〆の茶漬け的なアレかな?」
「〆の茶漬けって……」
「……璃津、お前、今すごい爆弾発言してる自覚あるか?」
「ん? え? 俺、なんか変なこと言った?」

 しばし呆然とした後、羽咲は神前の首に腕を回して引き寄せ、小声を絞り出した。2人とも冷や汗を滲ませている。

「……やべぇよ、神前……これ、絶対やべぇヤツだよ……。ど、どうする……? 報告……?」
「……いや、この話は聞かなかったことにするぞ。口外厳禁だ、忘れろ。面倒に巻き込まれるのは御免だからな」
「お、おう……」

 ひそひそと話し合う羽咲と神前に、丹生はただ首をかしげるのだった。



 数日後、丹生は阿久里あぐりのオフィスを訪れた。山積された書類の上に頬杖をつき、デスクワークにいそしむ阿久里へ声をかける。

「なー、阿久里」
「んー? どうしたのかな、お姫様。珍しく難しい顔しちゃって」
「阿久里はさぁ、仕事めっちゃできるじゃん? んで、色仕掛け多いじゃん?」
「まぁ、そうかもね」
「当然、ターゲットとヤってるよな?」

 阿久里は秒で周囲100メートル圏内に椎奈しいなが居ないことを確認した。

「ちょ、なに!? 滅多なこと言わないでよ! びっくりするなぁ、もー……。どうしたの、突然そんな話するなんて」
「少し思うところがありまして。阿久里は長門と任務タイプ似てるから、聞けば分かるかなと」
「ああ……まぁ、似てるっちゃ似てるだろうけど……。任務関係で何かあった?」
「ううん、ない。ただ、この前ナナちゃんと慧斗けいとと話してたら、なんか変な空気にしちゃったみたいでさぁ」
「ふぅ……」

 阿久里は書類にサインしていた手を止め、ボールペンを置いて息を吐いた。

「よし、分かった。休憩するから、コーヒー飲みながら聞くよ」
「ほんと? ありがと阿久里ー! いつも優しくて好きー!」
「……っ」

 屈託のない丹生の笑顔は凶器である。椎奈ひとすじの阿久里でさえクラっときたのだから、その破壊力は相当だ。阿久里は脳裏にちらつく悪魔の囁きを強引に無視してコーヒーを差し出し、対面のソファへ座った。

「それで、何があったの?」
「うん。実は、かくかくしかじか──……」
「……」
「で、爆弾発言って意味が全然分かんなくて。そっから2人とも神妙な顔してどっか行っちゃったんだよ。俺、やばいことでも言ったのかな?」
「……」

 阿久里は概要を聞き、事態を完全に把握した。神前と羽咲の気遣いも納得である。

「おーい阿久里、聞いてる?」
「……うん、ちゃんと聞いてる。あのね璃津、まず言っとくけど、お前は全然、まったく、これっぽっちも悪くないよ」
「そうなの?」
「ああ、それだけは断言できるから心配ない。問題は朝夷さんだな……」
「長門が悪いの? なんで? ちゃんと仕事して、成果もばっちり上げてるだろ」
「確かに朝夷さんの任務成績はSクラスだし、皆も一目置いてる。ただ、その……神前達が驚いたのは、致してるって点だな」
「んー?」

 またしても丹生は首をひねる。頼むから、その小首をかしげる仕草をやめてくれ、と胸中、穏やかでないことはおくびにも出さない阿久里班長。

「璃津は色仕掛けについて、どこまで教えてもらった?」
「ターゲットを落として任務を遂行するって」
「……え、それだけ?」
「うん。あとは体で覚えろって言われた。入庁してすぐ長門と組まされて、研修も受けないまま現場に放り出されたんだもん」

 阿久里は、丹生の苦労と適応能力の高さに敬服すると同時に、鬼畜な更科さらしなの所業に頭をかかえた。

「……うん、まぁ璃津の場合は特殊なケースだから仕方ないか……。代理教官したから分かると思うけど、普通は最低ひと月くらいあんな感じの研修受けて、ちゃんと直属の上司に付いて色々と教えてもらうものなんだ。任務についての座学もあるし、守るべきルールもあるんだよ」
「え、まじ!? ルールなんてあんの!?」
「更科さんは璃津の資質を見抜いたうえで、あえて何も教えなかったんだろうな。実際、お前は問題ないどころか、そこらのクロス以上の働きができてるから、さすがの審美眼と言えなくもない。研修には必須知識習得の利点と同時に、没個性になりかねない欠点もあるからね」
「むう……」

 丹生は眉をひそめ、まだ要領をえない顔をしている。

「で、大事なのはここからだ。色仕掛け調査官には暗黙のルールがいくつかある。例えばターゲットと肉体関係を持つと、後々トラブルになるリスクが高くなるだろ。特に女性相手だとね。だから、ユーバは任務でセックスはしないよう努めるのが常識なんだ」
「えっ!? そうだったの!?」
「こと更に言わなくても、みんな倫理的に守ってることなんだよ。璃津だって、簡単にターゲットと寝たりしないでしょ?」
「そりゃまぁ、しなくて済むならって感じだけど、そんなルールがあったなんて全然知らなかった……。ってことは、ナナちゃん達が渋い顔してたのって、長門がバンバンやってるって言っちゃったせい?」
「そういうことだね」

 丹生は溜め息とも悲鳴ともつかぬ声を上げながらソファへ沈んだ。

「まじかよぉー……。えー、やばい、どうしよう。長門クビになっちゃう? 左遷されちゃう?」
「それは無いから安心して。堅苦しいこと言ったけど、ぶっちゃけ、やってる人は相当数いるだろうからね。問題さえ起こさなきゃ黙認だから」
「はぁ……なら良いけど……。もう、うっかり言わないようにしなきゃなー」

 安堵する丹生を見て、阿久里は何とも言えない心持ちになった。失業の心配はするのに、任務での色事には無関心どころか容認しているのだ。やはり恋人じゃないから割り切れるのだろうか、と思った。
 しかし朝夷も朝夷である。あれだけ丹生に猛アタックしているくせに、何たる所業かと憤りを覚えずにいられなかった。

「璃津は平気なの?」
「まったく気にならないよ。あいつはあいつのやり方があるんだし、それで結果出してるんだから良いんじゃない? 俺だって、絶対ヤらないなんて信念ないし」
「はぁ……。お前は本当にできた人間だよ。もう菩薩か天女の域だよね」
「やだなぁ班長ぉ、褒めても飴くらいしか出ませんよ」

 そう言いながら、丹生はポケットから出したロリポップを阿久里へ差し出す。

「忙しいのに聞いてくれてありがとね、お陰で助かったよ。今度お礼にメシ奢るから」
「いいよ、このくらい。いつでもおいで」
「うん! じゃ、お邪魔しましたー」

 最後に本日1番の笑顔を残して、丹生はオフィスを出て行った。
 無自覚に垂れ流される色気に当てられ続け、気疲れを起こした阿久里は深く嘆息した。手の中のロリポップを弄びながら思う。

(俺が同じ境遇だったら、朝夷さんみたいになってたかもしれないな……)

 もしかすると嫉妬に狂わないための自己防衛として、任務でのセックスに至っている可能性もある。とはいえ朝夷のことなので、単にかわすのが面倒で流れに任せているだけかもしれないが。
 何にせよ、問題を起こしていないうちは放っておくしかないのだ。雑念を振り払うようにコーヒーを飲み干し、阿久里はデスクワークへ戻るのだった。
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