九段の郭公

四葩

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2章

13【残り者に福】

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「そう言えば、朝夷あさひなさんってバディの任務について全然、嫉妬しませんよね」
「うん、しないけど。突然なに?」

 ある日。資料整理と事務仕事に勤しんでいた朝夷に、ふと郡司ぐんじがそんな話題を投げた。

「過去資料見てたら、この前の任務を思い出したもんで。あれですよ、阿久里あぐりの男女逆転シンデレラ事件」
「ああ、椎奈しいなたちが半月も喧嘩した原因になったやつね。詳細は知らないけど、阿久里はかなり大変だったらしいな」
「ええ。俺、現場に居たんで見てたんですけど、椎奈のキレ方が凄まじかったんですよ」

 郡司の言う〝男女逆転シンデレラ事件〟とは、ひと月ほど前、阿久里と椎奈バディが主動した任務だ。
 某国第3王女の婚約者が、人権保護団体を隠れみのにした過激派テロ組織と関わりがあると発覚した。婚姻が成立すると王家の資産が後ろ盾となり、日本を含む大規模な国際テロに発展する危険性が高いため、王女と婚約者の不破をうながし、婚約破談に持ち込むという内容だった。
 要するに阿久里が王女を、椎奈が婚約者を誘惑して引き離し、テロ組織の資金源を絶つという事だ。
 現場は王女所有の豪邸で開かれる人権保護の慈善パーティで、阿久里、椎奈、郡司、小鳥遊たかなしで潜入チームを組み、両者の誘惑に成功した──までは良かったのだが、王女が想定以上に阿久里に惚れ込んでしまい、その場で婚約を破棄し、公衆の面前で阿久里に濃厚なキスをしたのだ。当然、会場は大騒ぎとなり、チームはほうほうのていで脱出した。
 しかし王女の熱は冷めず、謎の男性を探し出すようにと、国内に指名手配をかけたのだ。さいわい写真などはなく、情報は任務用の捨名すてなと偽の肩書き、大まかな人相と背格好のみだったため、特定されるには至らなかった。
 しかし、そんな騒動になってしまっては、ついでにおこなう予定だったテロ組織の調査は困難と判断され、チームは即時帰国となった。
 任務を中断せざるを得なくなったうえ、目の前で熱烈なキスシーンを見せられた椎奈の怒りは、まさに怒髪天どはつてんくものだった。まず平手打ちに始まり、帰りの飛行機内では離陸から東都空港へ着陸するまで説教が続き、それから半月は無視という厳しい制裁があった。
 これが阿久里バディ大喧嘩の顛末である。

「で、朝夷さんはどうなのかなーと思って。璃津りつも大概、危なっかしい仕事してるじゃないですか」
「まぁ、椎奈の気持ちも分からなくはないけど、俺は割り切ってるな。だってそういう仕事だし、むしろ阿久里はよくやったと思うよ。もし俺がキレるとしたら相手にだろうね。そういう郡司はどうなんだ?」
「俺も似たようなもんですかねー、多分。椎奈のとこと違って、同じ現場に行くことが少ないんで、実際どうなるかは分かんないです」
「なんたって神前かんざきだもんなぁ。我らがエースクロスだし、万が一にもミスなんてしないだろうしね。キスなんかされたら、即ビンタが飛んでそうなイメージ」
「あはは、さすがにその場で手は出さないと思いますけど、あとでめちゃくちゃ怒って愚痴るでしょうね。まぁ、俺はどうこう言える立場じゃないですし、嫉妬も心配も、したくてもできないんですよ」
「ああ……」

 2人のあいだに微妙な沈黙が落ちる。両者とも、バディと恋人関係に至っていないのだ。そのうえ、どちらもややこしい事情持ちである。

「あそこまで激しいとアレですけど、正直、ちょっと羨ましかったりするんですよね。素直に嫉妬できる関係っていうの」
「お前も苦労するよなぁ。さっさと付き合っちゃえば良いのにと、常々思ってるよ」
「俺もそろそろ限界近いんで、かなり参ってます。だからこそ、朝夷さんはすごいなぁと思うわけですよ」
「なんで?」
「だいぶ余裕あるように見えるんで。割り切ってるって、さっきも言ってましたし。璃津と喧嘩したりします?」
「いや、したことないな。あの子が一方的に怒ったり拗ねたりはよくあるけど、それも可愛い。あの子になら何されても許せる。殴られても蹴られても、刺されても構わないね」
「うは、すごい深愛。どうしたらそんなふうになれるのか、一度聞いてみたかったんですよ」
「どうって言われても、ただ好きとしか言えないな。別に余裕ってわけでもないけど、あんまり深く考えないし。ひたすら可愛い、好き、存在してくれてることが幸せ。それだけだよ」
「ははっ、やっぱ参考になんないです。愛とメンタルが強すぎて」
「失礼だな。こう見えてガラスの繊細ハートなんだぞ」

 と、軽口を叩きあっているところへ、ひょっこり丹生たんしょうと神前が顔を出した。

「楽しそうだね、なにしてんの? アラフォーとニアアラフォーの慰め合い?」
「ひどっ! お前も変わんないでしょうが!」
「それがさぁ郡司ぃ、この前知ったんだけど、35まではアラサーになるんだってよ、アラウンドだから。てっきり30過ぎたら即アラフォーなのかと思ってたわ。というワケで、俺はもうちょい先なんだなー、これが」
「あ、そう言えば璃津は歳下だっけ。つじもだけど、つい同い年って錯覚するんだよねー。ま、この仕事してて実年齢もなにもって感じだけどさー」
「りっちゃんは年齢不詳だもんね」
長門ながともな」
「学生じゃあるまいし、社会人になって2、3歳の差なんて、大した問題でもないだろ。それより口じゃなく手を動かせ、郡司。たかが資料整理に何時間かける気だ」

 冗談を言い合う丹生と郡司に、神前が小言を食らわせる。丹生は首の後ろで手を組み、体を傾けながら朝夷たちを見比べた。

「それにしても、なんか珍しい組み合わせだな」
「ああ、確かに。俺たちはターゲット層が全然違うから、チームになることってほとんどないもんなぁ。久々に朝夷さんとゆっくり話した気がするよ」
「そうだね。りっちゃんと神前は仲良いから見慣れてるけど」
「なんかお互いのバディ同士で同じ空間って面白いな。会議以外ではあんまりなくない?」
「言われてみればそうだな」
「じゃあせっかくだし、これからダブルバディ飲み、行っちゃう?」

 丹生の提案に、朝夷は眉尻を下げて首を横に振った。

「諸手を挙げて賛成したいところなんだけど、まだ仕事が山積みでね。りっちゃんとご飯行ける初めての機会なのに、残念だよ」
「まだかかりそうなのか?」
「郡司が手伝ってくれてるけど、日付変わるまでに終わるかどうか……。最悪、今日は泊まりになるかも。ああ、郡司はもう上がって良いよ、ありがとな」
「珍しいですね、朝夷さんが仕事溜めるなんて」
「あ、ああ……まぁね……」

 仕事だけはできるはずの朝夷が言葉を濁す姿に、はたと神前は思い出した。先日、燃え尽きていた丹生の仕事を、ほとんど朝夷へ回させたのだった。出張直後だったこともあり、恐らく通常の3倍以上の仕事量である。
 若干の罪悪感が無くもない神前は、ちらっと丹生を見てから口を開いた。

「悪い璃津、食事は次回にしてくれ。俺も手伝う」
「ええっ!?」

 突然の神前の申し出に、朝夷と郡司は揃って驚きの声を上げた。

「え、でもお前たち、帰るところだったんじゃないの?」
「んー、久し振りに上がり被ったから、ご飯行こうって話してたんだけど、ナナちゃんがそう言うなら俺も手伝うよ。どうせ予定も無いし」
「マジかぁ……。神前と璃津が進んで朝夷さんを手伝うなんて……。明日は豪雪になるかも……」
「居残りすると良いことあるもんだなぁ、郡司ぃ!」

 俄然、うきうきし始めた朝夷に、丹生はソファへクラッチバッグとジャケットを放り投げながら提案する。

「人手も増えたことだし、ケータリング頼んで、晩メシがてら休憩挟んでからやんない?」
「おっ、良いねぇ、それ!」
「そうだな。夕食が遅れるのは避けたいし、効率的だ」
「有難い。ちょうどお腹すいてたんだよ。さすが、りっちゃんは気が利くね」
「何にするー? 寿司か中華かー……ピザ? この辺りなら他にも色々あるけど、俺は何でも良いよ」

 丹生が出前アプリを見ながら問うと、郡司が身を乗り出して答えた。

「こういう時の定番といえば中華じゃない? よく海外ドラマに出てくるじゃん」
「あー、分かる! こう、白い台形っぽい箱の、中身よく分かんないアレな!」
「そうそう、それ!」
「でもさぁ、日本ってあの容器じゃなくない? 俺、実際に見たことないもん」
「あー、確かに。憧れるんだよなぁ、あれ」
「お前らミーハー過ぎ、うるさい。俺は食えれば何でも良い」
「はいはい、じゃあ中華ね」

 郡司に同調してはしゃぐ丹生に、神前はやれやれと嘆息する。朝夷は笑いながら早速、出前アプリで中華店のメニューを開いた。

「俺がまとめて注文するから、食べたいもの言ってって」
「俺、エビチリとエビマヨ!」
「俺はニラ玉と八宝菜と麻婆豆腐、あと鶏のカシューナッツ炒め、お願いしまーす!」
回鍋肉ホイコーローと春巻き」
「待って待って、早いよ。1人ずつゆっくり言って。って、りっちゃんエビばっかり?」
「そんなに甲殻類ばっか食べてると痛風になるよ」
「郡司ってたまにオヤジ臭いこと言うよね。ナナちゃん、青椒肉絲チンジャオロースは良いの? 好物でしょ」
「それも追加で」
「じゃあ俺も棒棒鶏バンバンジー、追加します!」
「ちょ……多いな! 誰かメモちょうだい」
「あー、俺が書くわ。長門は?」
「そうだなぁ、春雨と……って、お前らこれ全部食べられるの? 特にりっちゃんと神前ね」
「…………」

 朝夷の指摘に、丹生と神前は目を逸らして黙り込んだ。そんな2人に苦笑する朝夷と郡司。

「だと思った。いいよ、俺は残飯処理班で」
「俺も食べるし、みんなで分ければいけるでしょ」
「なんかピクニックみたいで楽しいなぁ!」
「ま、たまにはこういうのも悪くないかもな」

 そんなこんなで、複雑な事情を抱えたエースバディ達の、珍しくも和やかで賑やかな残業日であった。
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