九段の郭公

四葩

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1章

2【ひと癖ふた癖】※

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 突然、朝夷あさひなが声音を悲しげなものへ変えた。

「今日はさ、どうしてもしたいんだよ……」
「ったく、めんどくさいな……。一応聞いてやるけど、なんで?」
「あのね、りっちゃんが知らない奴とバディ組むって言って、居なくなっちゃう夢見たんだ……。それで俺、すごく怖くて飛び起きて……。ずっと不安なんだ……」
「夢って……馬鹿だろお前。12年も組んどいて、今更夢ごときでビビってんじゃねぇよ。子どもか」
「朝夷さん、意外と可愛いところあるんですね。顔に似合わなすぎ」

 神前かんざきが冷笑していると、当班の班長、阿久里あぐり 玲遠れおんが、のこっと顔を出した。
 調査部は、ほぼ同時期に入庁した者たちで班分けされている。班名は定められておらず、通称として班長の名を冠して呼ばれる。丹生が所属しているのは入庁12年前後のアグリ班で、新人が配属されるのもこの頃だ。
 阿久里は日本人の父とアイルランド人の母を持つハーフで金髪碧眼、抜群の容姿とスタイルに、知的さと僅かな隙をバランス良く併せ持つ。朝夷とトップを争う色仕掛け官ユーバだ。

「良いんじゃないの? 今日は急ぎの仕事もないんだし。してあげなよ、イントレ」

 悪意の無い笑顔でうながされ、丹生たんしょうはあからさまに嫌な顔をする。

「間の悪いときに来やがって……最悪だ……」
「阿久里ぃ! お前なら分かってくれるよな、俺のこの心細い気持ち!」
「まぁ、分からなくはないです。璃津りつもあんまり意地悪してないで、ちゃんとバディのメンタルケアしなさいよ。それも大事な職務だぞ」
「そーだ、そーだ!」

 2人から畳み掛けられ、丹生は苦虫を噛み潰した顔でコーヒーを飲み干した。

「ああ、もう、分かったよ! ただし1時間だけな! それ以上は絶対に付き合わない!」
「やったぁ! んじゃ、早く行こう」
「もー、朝からまじ最悪……。ちょ、引っ張るなっつーの!」

 阿久里の正論と朝夷の押しの強さに、丹生はしぶしぶ首を縦に振らざるを得なくなり、別階のイントレルームへと引きずられて行った。
 そんな2人を見送ったあと、神前はじとりと阿久里を見やる。

「お前、朝夷さんに肩入れするなんて正気か? 璃津に恨まれても知らないぞ」
「いやぁ……なんか他人事ひとごとと思えなくて。とは言ったものの、大丈夫かな、璃津……」
「駄目に決まってんだろ。今日はアイツ、使い物にならないの確定だからな。ちゃんとフォローしろよ、阿久里班長」
「了解……」



 廊下を引きずられて行く丹生を、皆が憐憫の眼差しで見るのには訳がある。朝夷のイントレは他の調査官とはまったく趣向が異なる、かなりアブノーマルな物だからだ。
 曰く──

「クロスは受け身でターゲットに近づくから、危険な任務が多いでしょ? 万が一のために、性的拷問も視野に入れておかないとね」

──と、もっともらしいことを言っているようだが、完全に本人の趣味である。これもバディが逃げ出す要因のひとつだった。
 朝夷自身もタフで底無しの体力を持っているうえに、拘束具、種々様々なアダルトグッズ、あげくは合法ギリギリのセックスドラッグなどなど。普通の人間なら見ただけで卒倒するだろう。
 幸か不幸か、丹生がたぐいまれな適応力の持ち主だったため、そんな朝夷の特殊性癖にも耐えうるのである。
 しかも丹生の場合、研修も受けないうちから朝夷へあてがわれたせいで、普通のイントレがどういう物か知らないのだ。
 しかしバディを組んですぐの頃、1週間も朝夷の自宅へ監禁されたときには、さすがに部長補佐が自ら出張って丹生を回収した。それでも翌日には仕事に復帰したと言うから、丹生の体力、精神力も尋常ではない。
 今日も今日とて頑丈に拘束されたうえ、様々な道具で責め立てられている。

「璃津、俺のこと好き? いい加減、答えて楽になっても良いんだよ」
「っ……ふざ、けんな……ァっ!」

 かれこれ2時間以上、性器とその周辺をいたぶり続けていると言うのに、かくも強情な丹生に朝夷は深く溜め息をついた。

「やれやれ、見事なほどに頑固だなぁ。もう12年だよ? 流石にここまで粘るとは思わなかったな」
「……ざまぁ、みろ……。お前なんか……ぜんぜん、これっぽっちも好きじゃない……ッ」
「まったく、筋金入りの嘘つきなんだから。エージェントとしても俺のバディとしても、すこぶる優秀だね。困っちゃうくらいだよ」

 気味が悪いほど優しい声音で言うと、それまで丹生の後孔にねじ込んでいた玩具を乱暴に引き抜き、後背位にさせていた体をくるりと仰向かせる。

「でも、体はこんなに正直だ」

 歯が浮くようなセリフを吐き、体を返されると同時に腰を捕まれ、いきり立った物が後孔へ突き立てられた。強引に開かれ、抉じ入れられる感覚と、情欲に潤んだ朝夷の眼差しに体が震えた。

「っ、あ! まッ、て……っ! そんな、急にッ……ぅ、ぁあ!」
「ハァッ……璃津、好き……大好き……。早くぐちゃぐちゃに汚して、何もかもさらけ出させてやりたいよ……」

 耳元へ囁かれる低く甘い睦言に、長い年月をかけてじわじわと浸食されていく気がする。激しく突き揺さぶられながら、丹生はうっすらと口角を上げた。



 散々、体を暴かれた怠さを抱え、丹生はぼんやり天井を見つめていた。隣では満ち足りた顔の朝夷がぐっすり寝入っている。曲がりなりにも業務時間内だと言うのに、こんなに爆睡して呑気なものだなと呆れる。
 結局、今回も朝夷に応えることはなかった。熱烈な求愛を頑なに拒み続ける。それを繰り返すことが、誰にも知られず、理解もされない2人の繋がり方だ。
 その時、枕元の携帯が振動を始めた。着信は部長の更科さらしな 十和とおわだ。身をよじって携帯を取ると、背後から朝夷が呻きながら抱きついてくる。耳に当てるとすぐ、聞き慣れた声が確信的に問うてきた。

【終わったか】
「はい」
【じゃ、俺のオフィスへ来い】
「10分ください、シャワー浴びたいんで」
【分かった】

 丹生は携帯を置くと絡みつく朝夷の腕を引き剥がし、緩慢な動作で起き上がった。
 汗とローションまみれの体を、熱めのシャワーに打たせながら気持ちを切り替える。

「まったく……何やってんだろうな、俺たち。いい歳して馬鹿すぎる……」

 思わず笑みとともに漏れた独語は、渦を巻く水と共に排水溝へ吸い込まれていった。



 15分後。丹生は更科と幹部専用エレベーターに乗っていた。
 何のために呼ばれたのか、これから何をするのか、予定などまったく聞いていない。来いと言われれば行く、それが彼らの常なのだ。
 不意に隣から声がかかる。

「大丈夫か?」
「何がですか?」
「メンタルだよ、お前の。どうせ今日もしつこく迫られてたんだろうが」
「もしかしてイントレルーム、盗聴器ついてます?」
「いいや、俺が地獄耳なだけ」

 悪戯っ子のように片方の口角を上げる更科は、入庁22年目のベテランキャリアだ。
 髪は無造作にかきあげられ、ジャケットは肩に引っ掛けているだけで、シャツのボタンも上の数個は止まっていない。シャープな鼻筋と顎のラインが美しく、妖しい色気を醸し出している。およそ管理職らしからぬ風体が、破天荒な性格を如実に表していた。
 丹生をスカウトしたのがこの男であり、曲者揃いの調査部を取り纏める傑物だ。スカウト後も手塩にかけて育て、虎の子として丹生を重用ちょうようしている。丹生も多大な恩義を感じており、2人は他の上司と部下より近しい関係を築いているのだ。
 更科の軽口に頬を緩ませるも、丹生は深く溜め息をついた。

「何なんですかねー、まじで。惚れた腫れたなんて普通、仕事に持ち込んじゃ駄目でしょ。有り得ないでしょ、カップルだらけの職場なんて」
「ここは普通じゃねぇからな。職業病みたいなもんだ、諦めろ」
「12年も居るんだし、分かっちゃいるつもりなんですけどねぇ……。いい加減でかわすのも疲れてきたけど、折れたら負けな気がしてしゃくなんですよ」
「ふうん……。あれだけヤりまくってて、恋愛感情はまったく湧かないってのか?」
「出会った時から今現在まで、徹頭徹尾、ただのバディです」
「それはそれで、なかなか厄介な奴だよ、お前も」
「なんでですか」

 そんなことを話しているうちに、エレベーターは最上階で止まった。
 ブラインドが全て閉じられた大会議室へ入ると、コの字に並んだソファに同班の調査官たちがお通夜の様相で座っていた。下座には配属されたばかりの新人たちもいる。
 真ん中に据えられた大机にはカップとソーサーが人数分と、コーヒーポットが3つ置かれていた。任務中の調査官以外では朝夷だけが呼ばれておらず、丹生は少しだけ憐れに思った。
 うながされて上座の更科の右隣へ着席すると、反対側から渋面の神前かんざきがこちらを睨んでいた。ミーティングだったのか、今回も荒れるな、と丹生は苦く笑いつつ、カップにコーヒーを注いで更科の前へ置く。

「率直に聞くが、今のバディに不満がある奴はいるか?」

 更科の開口一番に、室内がどよっと騒ついた。

「もう組んで10年以上経っただろ。些細なことでも主張する機会を与えてやろうと思ってな。この場で申し立てた者のみ、即時バディの交代、解消を許可してやる。もちろん、新人も含めてやるから遠慮なく言え」
「え、なに? どういうこと?」
「いきなり何なんだ?」
「バディの解消なんて可能なのかな?」

 ひそひそと新人たちが耳打ちしあう中、神前は額に手を当てて深く嘆息する。今頃になってこんな話を持ち出すのは、絶対に丹生が絡んでいると分かっているからだ。
 面倒だから早く終わってくれと願う神前から少し離れた所で、なつめ 蔵人くらうどが手を挙げる。品の良い顔立ちの割に、野性的で危険な雰囲気を漂わせる、引き締まった体躯のユーバだ。

「俺のバディ、璃津に変えて下さい」
「ユーバは後だ。クロスの発言を優先させる」
「はぁ!? 何でだよ!」
「そりゃ、受け身のクロスのほうがしんどいからに決まってんだろうが。それ以上、口開いたら発言権ごと無くすぞ」

 棗は舌打ちしつつ、むすっと黙り込んだ。
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