万華の咲く郷 ~番外編集~

四葩

文字の大きさ
上 下
6 / 36
SS

【伴⠀伊万里】

しおりを挟む

 下手しもて格子こうし太夫だゆうばん 伊万里いまりは、非常にタチの悪い男だ。
 やたらと悪知恵が働き、息をする様に嘘をつく。脱走、ずる休みは当たり前。おまけに生来の博打好きで、しょっちゅう闇賭場へ出入りしては勝ったり負けたり、時にはイカサマがバレて出禁をくらう等して、楼主と遣手を悩ませている。
 しかし、娼妓としての人気は非常に高く、番付ではトップテンに居る事の多い売れっ子である。抜群の容姿と、客あしらいの巧さがその理由だ。
 嘘が巧いぶん、座敷や寝屋での振る舞い方も熟知しており、嘘を嘘だと気付かせない。天才的娼妓兼詐欺師と言える。
 とは言え、最初から嘘の天才だった訳ではない。今の彼があるのは、兄太夫だった元下手格子太夫、めぐの教育の賜物なのだ。

 元々、頭が良く、器用な男なので、勉強も運動もそつなくこなし、友人も多かった。家族からも期待され、信頼されていた。
 その要領の良さ故、両親さえ伊まりの度を越したギャンブル癖には気付かなかった。
 学生時代から競輪、競馬、競艇、パチンコ、スロットを総なめし、進学の為に上京してからは雀荘へ入り浸る様になった。

 大学4年になった、ある日。いつもの様に雀荘で卓を囲んでいると、ギャンブル仲間から面白い話を聞いた。
 吉原に闇賭場の穴場があるというのだ。闇カジノよりも更に高レートでバックも大きい。更に、吉原の賭場は晋和会しんわかいが仕切っているため、摘発される危険性がかなり低い。晋和会は吉原警察と完全に癒着しており、吉原区内での違法行為はほとんど黙殺されているのだ。
 ギャンブル依存症だった伊まりにとって、それ以上に魅力的な話は無かった。早速、例のギャンブル仲間の紹介で闇賭場へ足を踏み入れると、そこはまるで時代劇の世界だった。
 扱っているのは昔ながらのばん双六すごろく樗蒲一ちょぼいち、丁半や大目おおめ小目こめ、花札など。未経験の物ばかりだ。
 就活も卒論もそっちのけで吉原へ通い詰め、闇賭場の沼にどっぷりはまっていった。

 卒業式まであと数日という頃。すっかり博徒となった伊まりはその日、ツキにツキが重なり、稀に見るほど大勝していた。
 そしてあまりの勝ちっぷりに、つい気が大きくなってしまった。ギャンブラーとは時としてそうなるもので、普段なら理性で抑える所を、一か八かの大勝負に出たのだ。
 そして負けた。ほんの数分で1千万近い借金を追う大敗だった。
 伊まりは漠然と、今後、己の辿るであろう悲惨な未来を想像した。吉原の賭場で借金を追うと、女なら遊郭へ、男なら陰間茶屋へ売り飛ばされる。
 陰間の相場など知らないが、返済し終わるまでに何年かかることか、と嘆息した時、隣で成り行きを見守っていた男が愉快そうな高笑いを上げた。

「こりゃまた、派手に負け込んだね。いっそ痛快だ」

 男は艶のある直毛の黒髪を鎖骨辺りで切り揃え、顔立ちは日本人形を彷彿とさせる繊細な美しさだ。
 一瞬、その美貌に見蕩れた伊まりだったが、今はそれ所ではない。無視を決め込んでそっぽを向いた鼻先に、ひらひらと小切手が揺れた。

「笑わせてくれたお礼に、立て替えてあげる。ただし、ちょいと付き合ってもらうがね」

 これが後の兄太夫、めぐ利との出逢いだった。万華郷を紹介され、興味があるなら応募してみろと言われたのだ。

「良い職場だよ。みんな仲良いし、何より楽に稼げる。お前くらい顔が良けりゃ、1千万くらい1週間で手に入るさ」

 楽、1週間で1千万、という言葉で、伊まりはすぐに履歴書を送った。勿論、めぐ利への返済と恩義もあったが、楽をしたい気持ちが最も強かった。伊まりはそういう男だ。
 顔と外面の良さで生きてきた伊まりはあっさり合格し、難なく入楼を果たした。

「……ちゃうやんか……」
「うん?」

 新造生活1週間目。げっそりした顔で畳に雑巾をかける伊まりに、にっこり小首を傾げるのはめぐ利である。

「言うてた話と全然ちゃうやないですか! くっそ忙しいし、めっちゃしんどいし! 大体、1年ほぼ無給てなんやねん! 1千万どこいった!?」

 ヒステリックに叫ぶ伊まりに、めぐ利は心底、楽しそうに腹を抱えて笑っている。

「あっはっは! 誰も今すぐ稼げるとは言ってないだろ。そんなうまい話があってたまるか。1年は教育期間なんだから、当然まともな給料なんて出るワケない。ま、生活には困らないんだから、文句言う筋合いはないぞ」
「詐欺やろコレ……。あんた、ほんま性格悪いな」
「こら、口の利き方。俺のことは、さん付けかお兄様って呼べって言ったろ」

 ぴしゃっ、と手の甲を扇子で叩かれる。これが案外、痛い。伊まりは打たれた箇所をさすりながら、『お兄様とは死んでも呼ばない』と誓った。
 うまい話に裏があることくらい分かっていた。そもそもノーマルだった伊まりにとって、陰間で働くこと自体、かなり覚悟がいるのだ。身体を売る以上に厳しい生活が待っているなど、想像もしていなかった。
 入楼当日から掃除、片付け、細かい作法やしきたり、所作の勉強などなど。朝から深夜まで、馬車馬の如く見世中を走り回る。その上、兄太夫となっためぐ利に四六時中からかわれ、折檻せっかんされるのだ。
 膨れっ面を隠しもしない伊まりに、めぐ利はそっと耳打ちした。

「少し我慢すりゃ、俺の言葉は本当になる。お前は顔も頭も良いんだから、必ず売れっ子になるさ。楽をしたけりゃ狡くなれ。嘘をつけ。客はATMだ。引き出せるだけ引き出すんだよ」

 そんな毒を吐いているとは思えない優しく美しい微笑が、めぐ利の教育方針のすべてを物語っていた。
 時に厳しく、時に面白おかしく、時に意地悪く、めぐ利からすべてを叩き込まれた結果が今なのだ。
 微笑の裏に真っ黒な腹を隠した兄太夫を、伊まりは一生の恩人と思っている。それを他人に、ましてや本人には絶対に言わないが。

「伊まりさんの兄貴分って、どんな方だったんですか?」

 久し振りにめぐ利を思い出していると、伊まり付きの新造、水瀬みなせがそんなことを聞いてきた。タイミングの良さにぞっとしながら、伊まりは紫煙を吐いた。

「なんや突然、どうした」
「いえ、ふと気になっただけで、どうという訳じゃないんですが」
「怖いわぁ……。お前、そういうとこあるやんな……」

「ん?」と小首を傾げる水瀬を見ながら、どことなく似ているな、と思った。

「せやなぁ……お前を腹黒にして、計算高くして、口悪ぅさせたらそっくりかもしれんな」
「ええ……? それ、もう別人では……。あ、見た目が似てるってことですか?」
「いや、全然似とらん」
「やっぱり別人じゃないですか!」

 けたけたと笑いながら、めぐ利も自分をからかう時、こんな気分だったのだろうかと考える。
 水瀬は自分と違って純粋で可愛らしく、手のかからない良い子だ。最初は何故、自分の弟分になったのか不思議だったが、今なら分かる気がする。
 スポンジのように何でも吸収する柔軟さと、それに伴う柳のごとき精神力の強さだ。繊細な性格では、自分の所へ来るような客はあしらえない。
 更には伊まりにとって、水瀬の子犬のような愛くるしさに触れることが、厄介な客を相手に日々すり減る心の癒しとなっている。
 そこまで見抜いて付けたのだとしたら、黒蔓くろづるは本当に恐ろしい男だと思った。

「どうしたんですか、伊まりさん。顔色悪いですよ」
「……いや、ちょっと……。しばらく大人しくしとこかなと思て……」
「ああー、この前、こってり叱られたばかりですもんねー」
「何なんお前、エスパーか。お前も大概、恐ろしいで」
「だって伊まりさん、お客さんの前以外では、何でもお顔に出るんですもん」
「えっ、まじか!?」
「はい。使い分けが素晴らしいので、勉強させて頂いてます」
「お、おお……。そら何よりやわ……」

 己のみぞ知らぬ事実に動揺しつつ、『良い子が付いて良かったな』とひっそり安堵するのであった。
 めぐ利が言った通り、伊まりの娼妓生活は今のところ、おおむね順風満帆である。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

その捕虜は牢屋から離れたくない

さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。 というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

愛おしいほど狂う愛

ゆうな
BL
ある二人が愛し合うお話。

アルファとアルファの結婚準備

金剛@キット
BL
名家、鳥羽家の分家出身のアルファ十和(トワ)は、憧れのアルファ鳥羽家当主の冬騎(トウキ)に命令され… 十和は豊富な経験をいかし、結婚まじかの冬騎の息子、榛那(ハルナ)に男性オメガの抱き方を指導する。  😏ユルユル設定のオメガバースです。 

旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ
BL
『旦那様と僕』の番外編。 基本的にぽかぽか。

無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話

タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。 「優成、お前明樹のこと好きだろ」 高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。 メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?

恋した貴方はαなロミオ

須藤慎弥
BL
Ω性の凛太が恋したのは、ロミオに扮したα性の結城先輩でした。 Ω性に引け目を感じている凛太。 凛太を運命の番だと信じているα性の結城。 すれ違う二人を引き寄せたヒート。 ほんわか現代BLオメガバース♡ ※二人それぞれの視点が交互に展開します ※R 18要素はほとんどありませんが、表現と受け取り方に個人差があるものと判断しレーティングマークを付けさせていただきますm(*_ _)m ※fujossy様にて行われました「コスプレ」をテーマにした短編コンテスト出品作です

処理中です...