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【伴⠀伊万里】
しおりを挟む下手格子太夫、伴 伊万里は、非常にタチの悪い男だ。
やたらと悪知恵が働き、息をする様に嘘をつく。脱走、ずる休みは当たり前。おまけに生来の博打好きで、しょっちゅう闇賭場へ出入りしては勝ったり負けたり、時にはイカサマがバレて出禁をくらう等して、楼主と遣手を悩ませている。
しかし、娼妓としての人気は非常に高く、番付ではトップテンに居る事の多い売れっ子である。抜群の容姿と、客あしらいの巧さがその理由だ。
嘘が巧いぶん、座敷や寝屋での振る舞い方も熟知しており、嘘を嘘だと気付かせない。天才的娼妓兼詐欺師と言える。
とは言え、最初から嘘の天才だった訳ではない。今の彼があるのは、兄太夫だった元下手格子太夫、めぐ利の教育の賜物なのだ。
元々、頭が良く、器用な男なので、勉強も運動もそつなくこなし、友人も多かった。家族からも期待され、信頼されていた。
その要領の良さ故、両親さえ伊まりの度を越したギャンブル癖には気付かなかった。
学生時代から競輪、競馬、競艇、パチンコ、スロットを総なめし、進学の為に上京してからは雀荘へ入り浸る様になった。
大学4年になった、ある日。いつもの様に雀荘で卓を囲んでいると、ギャンブル仲間から面白い話を聞いた。
吉原に闇賭場の穴場があるというのだ。闇カジノよりも更に高レートでバックも大きい。更に、吉原の賭場は晋和会が仕切っているため、摘発される危険性がかなり低い。晋和会は吉原警察と完全に癒着しており、吉原区内での違法行為はほとんど黙殺されているのだ。
ギャンブル依存症だった伊まりにとって、それ以上に魅力的な話は無かった。早速、例のギャンブル仲間の紹介で闇賭場へ足を踏み入れると、そこはまるで時代劇の世界だった。
扱っているのは昔ながらの盤双六、樗蒲一、丁半や大目小目、花札など。未経験の物ばかりだ。
就活も卒論もそっちのけで吉原へ通い詰め、闇賭場の沼にどっぷり嵌っていった。
卒業式まであと数日という頃。すっかり博徒となった伊まりはその日、ツキにツキが重なり、稀に見るほど大勝していた。
そしてあまりの勝ちっぷりに、つい気が大きくなってしまった。ギャンブラーとは時としてそうなるもので、普段なら理性で抑える所を、一か八かの大勝負に出たのだ。
そして負けた。ほんの数分で1千万近い借金を追う大敗だった。
伊まりは漠然と、今後、己の辿るであろう悲惨な未来を想像した。吉原の賭場で借金を追うと、女なら遊郭へ、男なら陰間茶屋へ売り飛ばされる。
陰間の相場など知らないが、返済し終わるまでに何年かかることか、と嘆息した時、隣で成り行きを見守っていた男が愉快そうな高笑いを上げた。
「こりゃまた、派手に負け込んだね。いっそ痛快だ」
男は艶のある直毛の黒髪を鎖骨辺りで切り揃え、顔立ちは日本人形を彷彿とさせる繊細な美しさだ。
一瞬、その美貌に見蕩れた伊まりだったが、今はそれ所ではない。無視を決め込んでそっぽを向いた鼻先に、ひらひらと小切手が揺れた。
「笑わせてくれたお礼に、立て替えてあげる。ただし、ちょいと付き合ってもらうがね」
これが後の兄太夫、めぐ利との出逢いだった。万華郷を紹介され、興味があるなら応募してみろと言われたのだ。
「良い職場だよ。みんな仲良いし、何より楽に稼げる。お前くらい顔が良けりゃ、1千万くらい1週間で手に入るさ」
楽、1週間で1千万、という言葉で、伊まりはすぐに履歴書を送った。勿論、めぐ利への返済と恩義もあったが、楽をしたい気持ちが最も強かった。伊まりはそういう男だ。
顔と外面の良さで生きてきた伊まりはあっさり合格し、難なく入楼を果たした。
「……ちゃうやんか……」
「うん?」
新造生活1週間目。げっそりした顔で畳に雑巾をかける伊まりに、にっこり小首を傾げるのはめぐ利である。
「言うてた話と全然ちゃうやないですか! くっそ忙しいし、めっちゃしんどいし! 大体、1年ほぼ無給てなんやねん! 1千万どこいった!?」
ヒステリックに叫ぶ伊まりに、めぐ利は心底、楽しそうに腹を抱えて笑っている。
「あっはっは! 誰も今すぐ稼げるとは言ってないだろ。そんなうまい話があってたまるか。1年は教育期間なんだから、当然まともな給料なんて出るワケない。ま、生活には困らないんだから、文句言う筋合いはないぞ」
「詐欺やろコレ……。あんた、ほんま性格悪いな」
「こら、口の利き方。俺のことは、さん付けかお兄様って呼べって言ったろ」
ぴしゃっ、と手の甲を扇子で叩かれる。これが案外、痛い。伊まりは打たれた箇所をさすりながら、『お兄様とは死んでも呼ばない』と誓った。
うまい話に裏があることくらい分かっていた。そもそもノーマルだった伊まりにとって、陰間で働くこと自体、かなり覚悟がいるのだ。身体を売る以上に厳しい生活が待っているなど、想像もしていなかった。
入楼当日から掃除、片付け、細かい作法やしきたり、所作の勉強などなど。朝から深夜まで、馬車馬の如く見世中を走り回る。その上、兄太夫となっためぐ利に四六時中からかわれ、折檻されるのだ。
膨れっ面を隠しもしない伊まりに、めぐ利はそっと耳打ちした。
「少し我慢すりゃ、俺の言葉は本当になる。お前は顔も頭も良いんだから、必ず売れっ子になるさ。楽をしたけりゃ狡くなれ。嘘をつけ。客はATMだ。引き出せるだけ引き出すんだよ」
そんな毒を吐いているとは思えない優しく美しい微笑が、めぐ利の教育方針のすべてを物語っていた。
時に厳しく、時に面白おかしく、時に意地悪く、めぐ利からすべてを叩き込まれた結果が今なのだ。
微笑の裏に真っ黒な腹を隠した兄太夫を、伊まりは一生の恩人と思っている。それを他人に、ましてや本人には絶対に言わないが。
「伊まりさんの兄貴分って、どんな方だったんですか?」
久し振りにめぐ利を思い出していると、伊まり付きの新造、水瀬がそんなことを聞いてきた。タイミングの良さにぞっとしながら、伊まりは紫煙を吐いた。
「なんや突然、どうした」
「いえ、ふと気になっただけで、どうという訳じゃないんですが」
「怖いわぁ……。お前、そういうとこあるやんな……」
「ん?」と小首を傾げる水瀬を見ながら、どことなく似ているな、と思った。
「せやなぁ……お前を腹黒にして、計算高くして、口悪ぅさせたらそっくりかもしれんな」
「ええ……? それ、もう別人では……。あ、見た目が似てるってことですか?」
「いや、全然似とらん」
「やっぱり別人じゃないですか!」
けたけたと笑いながら、めぐ利も自分をからかう時、こんな気分だったのだろうかと考える。
水瀬は自分と違って純粋で可愛らしく、手のかからない良い子だ。最初は何故、自分の弟分になったのか不思議だったが、今なら分かる気がする。
スポンジのように何でも吸収する柔軟さと、それに伴う柳のごとき精神力の強さだ。繊細な性格では、自分の所へ来るような客はあしらえない。
更には伊まりにとって、水瀬の子犬のような愛くるしさに触れることが、厄介な客を相手に日々すり減る心の癒しとなっている。
そこまで見抜いて付けたのだとしたら、黒蔓は本当に恐ろしい男だと思った。
「どうしたんですか、伊まりさん。顔色悪いですよ」
「……いや、ちょっと……。しばらく大人しくしとこかなと思て……」
「ああー、この前、こってり叱られたばかりですもんねー」
「何なんお前、エスパーか。お前も大概、恐ろしいで」
「だって伊まりさん、お客さんの前以外では、何でもお顔に出るんですもん」
「えっ、まじか!?」
「はい。使い分けが素晴らしいので、勉強させて頂いてます」
「お、おお……。そら何よりやわ……」
己のみぞ知らぬ事実に動揺しつつ、『良い子が付いて良かったな』とひっそり安堵するのであった。
めぐ利が言った通り、伊まりの娼妓生活は今のところ、おおむね順風満帆である。
終
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