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SS
【佐久間 景虎】
しおりを挟む日本最大の花街、吉原。
時代と共に場所を変え、法の改正に沿って形を変えつつ、政令指定特区として独立した現在も、遊里としての姿は健在である。
かつては遊女のみの遊郭が主だった吉原も、性の開放が進むにつれて男娼を扱う陰間茶屋が台頭し、今や花魁と肩を並べる陰間も多くなっていた。
中でも『万華郷』は政治家や実業家、医師、弁護士など、社会的地位の高い富裕層を多く顧客にかかえる高級大見世だ。
万華郷、上手格子太夫の佐久間 景虎は、朴訥を絵に書いたような男である。真面目で堅物、無駄なお喋りはしないし、声を上げて笑うこともない。
冷静で知的ではあるものの、少々、取っ付き難い印象を与える景虎だが、突き出し相手だった下手格子太夫の白鳥 香月と明確な恋人関係を築いている。現在の万華郷には、恋人や間夫を作る者が一人も居ないため、非常に稀有な存在と言えるのだ。
そんな景虎が何故、吉原で陰間などしているのか。何故、香づきと恋人関係になったのか。それは、彼の知られざる素顔が大きく関係しているのである。
景虎はメカニックに興味があり、機械工学科に通いつつ専門職の就活をしていた。
丁度その頃、吉原の大見世らが大幅な機械化に取り組み始めたという記事を目にした。吉原は政令指定特区であり、何をするにも動く金額が大きいことは、色事に疎い者でも知っている。
どうせなら実入りが良く、かつ特殊な業務に携わってみたいと考えた景虎は、改装の先陣を切っていた万華郷へ履歴書を送ったのだ。難なく書類選考を通過し、二次審査である面接の日程通知を受け取った。景虎の就活は驚くほど順調だった。
面接当日の、その日までは──
(やけに派手な美男が多いな……。やはり吉原一の陰間茶屋というのは、下働きにも容姿が関係するのだろうか……)
見世の玄関前に屯す男たちを見回しながら、そんなことを思っていた。皆、自分と同じようなリクルートスーツに身を包んでいるものの、そうそう見かけないほどの美形ばかりだ。
場違い感に気圧されかけていると、見世から従業員らしき着物姿の男が顔を出し、面接開始の説明を始めた。
どうやら数人ひと組ではなく、個人面接になるようだ。名を呼ばれた順に、本塔脇の執務室へ来るよう指示され、景虎は緊張を感じつつ自分の番を待った。
小一時間ほど経った頃、いよいよ名が呼ばれて執務室へ入る。重厚な机を挟んだ上座のソファに、スクエアフレームの眼鏡をかけた貫禄のある美丈夫と、柔和な微笑みを浮かべる中性的な美男が並んで座っていた。
型通りの自己紹介をこなして対面のソファへ浅く腰掛けると、眼鏡の美丈夫が口を開いた。
「私は楼主の令法、こちらは遣手の紫笆だ」
吉原の役職名や言葉には、外ではほとんど使わない独特な物が多い。景虎は、この日のために吉原用語を学んでおいて良かった、と思った。
同時に、楼主たちが自ら面接をしている事態に少なからず動揺していた。言わば社長、副社長と話しているも同然だからだ。
「よろしくお願い致します」とやや強ばった声で答える景虎に、令法は履歴書を眺めながら薄く笑った。
「そう固くならず、楽にしてくれ。出来るだけ自然体の君を見たいからな。まぁ、難しいとは思うが」
「そりゃあ緊張しますよ。無茶を言って、ますます怖がらせてどうします」
ころころと笑う紫笆は声まで柔らかく、温厚な性格が見て取れる。そんな紫笆に、圧迫面接の反対は何だったかな、と景虎は間の抜けたことを思っていた。
「君は機械工学が専攻か。ふむ、今後を考えると、機械に強いのが居れば心強いかもしれんな」
「そうですね。多少の修理や配線など、出来る子が居ると有難いです。ちょっとしたことで妓夫を呼び付けるのも、なんだか可哀想ですものね」
二人の会話を聞きながら、おや、と思う。妓夫とは下働きのことではないのか。呼ぶのが可哀想とは、一体どういう意味だろう。
「君、カメラの設置は出来るか?」
唐突に問われ、景虎の疑問は吹き飛んだ。
「経験はありませんが、ある程度の仕組みが分かれば可能かと思います」
「結構。そういった機械周りの雑務を頼むことがあるやもしれんが、構わんか」
「勿論です。喜んでやらせて頂きます」
正にそういう仕事を求めてきたのだ。断る道理は無い。明瞭に答えた景虎に、紫笆は令法へ嬉しそうな声を掛ける。
「頼もしいですね。さっぱりしていて、大変、好感が持てます。芳正に丁度良いと思うのですが、いかがです?」
「お前がそう思うのなら、そうなのだろう。異論は無い、合格だ」
「おめでとうございます。これからよろしくお願いしますね」
「有難うございます。よろしくお願い致します」
とんとんと進む話に、若干、ついていけない部分がありつつも、景虎は即時採用となったことを心底、喜んだ。その後、住み込みとなる話や入楼日程等の簡単な説明を受け、深々と頭を下げて帰路に着いた。
数日後。いよいよ入楼日を迎え、定刻の15分前に番頭台の前へ赴く。
少しすると続々と合格者が集まってきたが、何故か自分と同じ袴姿の者と、明らかに女性物と思われる色柄の着物姿の者とに分かれていた。
服装の違いは業務内容によるものかもしれない。しかし、皆に共通しているのは飛び抜けた美形ばかりということだった。中には女性と見まごう美しさの者まで居る。
何か変だと思っていると、内所から令法と紫笆が現れた。令法の開口一番で、景虎は面接時からじわじわと感じていた違和感の正体を知った。
「ようこそ、新造諸君。まずは合格おめでとう。ここがこれから君たちの家となり、職場となる見世だ。兄太夫に習い、立派に年季を務めてくれ」
何を何処でどう間違ったのか、景虎は妓夫ではなく、娼妓として採用されていたのだ。内心、激しく動揺しつつも、間違えましたと言える雰囲気ではなく、ただ黙って進行を見守るほかなかった。
後に分かったのだが、景虎は履歴書を送る際、宛名に部署名を書き忘れていたのだ。無記名の場合、娼妓の応募と判断されるのである。
景虎は良くも悪くも、環境適応力が高い。よほど厭と感じない限り、流れのままに身を任せる所があるのだ。
香づきとの恋人関係も、そんな性格から始まったことだった。
景虎は芳正という上手格子太夫に付いた。芳正は景虎の上を行く生真面目さで、規律や規範に沿うことを重視する娼妓だ。その代わり情が深く、誠意と情熱をもって景虎を指導してくれた。
そうして無事に突き出しを終え、一人立ちを向かえた。その夜、景虎は香づきの部屋へ呼ばれた。
「景虎……好き……」
二人きりになるや否や、香づきは景虎の首へ腕を回して口付けた。
「好きだよ……俺、景虎が大好き……。ねぇ、付き合お?」
繰り返し口付けながら囁く香づきを見つめて、景虎は万華郷の掟を思い出していた。
突き出し相手と恋人になるのは違反ではない。寧ろ暗黙のうちに奨励されているようでもある。ならばこれを受けても支障は無いだろう、と合理的な結論を出した。
感情論で言えば、香づきのことは嫌いではない。だが、恋もしていない。
初めて会った時の印象は、自己主張の強い奇抜な男だった。しかし共に仕事をするうち、思っていたより我儘ではなく、細かい気配りが出来る繊細さに感心した。
とは言え、それだけだ。突き出しで身体を重ねても、やはり愛や恋のような感情は湧かなかった。
付き合っていればそのうち、香づきを愛する日が来るかもしれない。そうならずとも、揉めさえしなければ困ることはない。そう考え、景虎は「分かった」と答えたのだ。
同期が王子系、ワイルド系、軟派系、俺様系の中、外見も性格も硬派でクールな景虎は、女性客から一定数の人気を獲得する事となった。
真面目な性格ゆえ問題も起こさず、きっちり仕事をこなす日々が数年、続いた。
やがて兄太夫の年季明けに伴い、景虎は格子太夫へ格上げされた。年々、香づきの執着は増していったが、仕事に差し障るほどではなかったので放置した。
流れるまま、流されるまま、その場で最善を尽くして生きている。それで良いと、ずっと思っていた。
ある日。下手太夫の朱理と偶然、廊下で鉢合わせた。座敷へ呼ばれ、またいつもの盗聴器チェックかと思っていると、ぽんと小さな蜜柑を投げて寄越された。
「これは……」
「好物だろ。地元の名産品なんだってな」
「知ってたのか、俺の郷里」
「ちょっと小耳に挟んだだけ。心配しなくても妙な詮索はしないよ。さっき客に貰ったから、お裾分けだ」
景虎は手の中の紅色を見ながら、朱理に呼ばれた訳を何となく察した。香づきはよくここを駆け込み寺にしているらしい。大方、朱理を通して文句のひとつも言ってやる、という魂胆なのだろう。
やれやれと口の中で呟き、景虎は朱理の対面に胡座をかいた。二人して黙々と蜜柑を剥きながら、暫しの沈黙が流れる。朱理は薄皮に付いた白い筋を丁寧に取りながら、視線を上げずに問うた。
「なぁ、景」
「なんだ」
「お前も香づきが言う愛だの恋だのが、よく分かってないんだろ」
ぴたりと景虎の手が止まる。予想外の問いに動揺し、答えられずにいると、朱理は話しを続けた。
「何となく分かってたんだよ。お前らを見てるとね、嗚呼、きっとそういう感じなんだろうなぁって」
景虎も同じく、朱理には見抜かれている気がしていた。朱理と陸奥のやり取りが、自分たちと重なって見えるからだ。しかし、違うのは朱理が明確に拒んでいる事で、それが決定的な差異だった。
「……俺は、少しお前に親近感を持っていた。お前たちを見て、やはり似ていると思ったんだ」
相変わらず白い筋を取り続ける朱理は、景虎の言葉に薄く笑った。
「間違っちゃいないよ。確かに俺とお前は似た所があると思う。ただな、お前が受け入れた以上、そこには縁が生まれるもんだ。香づきは陸奥ほどイカれてない。このまま放っておけば、いつか必ず綻びが出るぞ」
淡々と言葉を紡ぐ朱理に、怒りや呆れは無い。ほとんど無感情で、景虎はその声音が誰のどんな言葉よりも芯に響く気がした。
「それで良いのか? それが望みなのか、景」
ようやく顔を上げた朱理と目が合うと、ほんのり笑っているようでいて瞳は冷えきっており、酷く不安になった。
朱理の手元にある蜜柑はすっかり白い筋が取り除かれ、つるりとした薄皮が紅い実を包んでいる。それはもう、よく知る蜜柑ではない物のように見えた。何も言えずにいる景虎の手の中にそれを置くと、朱理は小さく囁いた。
「なんとかなる、は何もしないのと同じだ。どんな結果も受け入れられるのなら、お前はお前のままで良いと思うぜ」
仄かな柑橘の香りを残し、朱理は出て行った。
◇
結局、景虎は己を貫いた。あの日の朱理の言葉は、まったくその通りになった。景虎の心はとうに決まっていたのだ。
(それが良いんだ。それが望みだ。自分のことで手一杯なのに、他人の人生まで背負う余裕なんてない。なるようになれば、俺は満足だ……)
万華郷一、真面目で堅物な男の本音は、誰よりも臆病なのであった。
終
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