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最終章
第百十一夜 【万華の咲く街】
しおりを挟む黒蔓は丁寧に愛撫を施し、その身体へ余すところなく触れ、舌を這わせた。
敏感に反応する肢体は月明かりに照らされ、此奴は間違いなく売れっ子になるな、と確信する。
そもそも素質があると直感したから引き入れたのだが、床事情は予想を遥かに上回る物だった。
いよいよ挿入する段になると、朱理は上気した目で此方を見上げ、首に腕を回してくる。
緩々と先端を潜り込ませると、白い喉が反り返って高い声が上がった。
「っ……大丈夫か……?」
「ん、んッ! ふッ……すごく、気持ち良い……ッ! 大丈夫……だから、もっと……もっと深くして……っ」
「……ったく……突き出しでそんな事、絶対に言うんじゃないぞ……」
「アァっ!! ッひ、ぁ! ぃわなッ……あっ、んん──ッ!!!!」
嬌声の合間に名を呼ばれ、激情が込み上げる。仕草も視線も吐息も色気に溢れ、情欲を掻き立てられる。
これが手塩にかけて育ててきた集大成かと、何処か誇らしく思った。
充分すぎる程、立派に育ってくれたものだ。なのにどうして、それを自ら手放さなくてはならない時が来るのかと虚しくなる。
傍に置きたい一心で彼をこの世界へ引き込み、身売りする術を叩き込んだ。その結果、あっという間に己の手から零れ落ちて行くと、分かっていながら目を逸らしていた。
強い愛念も、空漠たる想いも、全てはあの日、自分の手で掴み取った物なのだ。
それでも初めて繋いだ身体と心が幸せで、嬉しくて、愛おしくて堪らない。
生まれて初めて欲しいと感じた人物が、同じ様に自分を求めて歓喜の涙を零している現実が、此処にあるのだ。
それ以上の幸福は、きっと存在しない。
黒蔓は目を閉じて朱理の声に浸り、匂いを嗅ぎ、熱を感じて、今だけは様々な感傷を追いやる事にしたのだった。
────────────────
それから8年後、現在。
黒蔓はいつもの如く、懇談会から徒歩で見世へ戻っていた。仲の町通りの喧噪は、何年経とうと相変わらずである。
軒並ぶ赤提灯、格子の中から客を誘う遊女、それに群がる男達、揚屋から聞こえる座敷遊びの乱癡気騒ぎ。
何ひとつ、変わっていない。
ふと、黒蔓は道端の木製ベンチに座っている人物に目をとめた。
目深に中折れ帽子をかぶり、兎毛の襟巻きを巻きつけた着流しの男が、不機嫌そうに煙草を吹かしている。
何処かから飛んできたしゃぼん玉が、いつかの様に男の顔の横で弾けて、2人の目が合った。黒蔓が苦笑を漏らしつつ近づくと、男も同じ様に笑った。
「隣、良いか」
「どうぞ」
並んで腰掛け、道行く人々を見るともなしに見ながら、黒蔓はぽつりと呟く。
「……あれから、今年で10年か」
「うん。ちょうど今くらいだったね。吃驚したよ、まさかこんな偶然があるなんて」
「俺の方が吃驚したわ。こんな所で何してんだ、相変わらず仏頂面晒して」
朱理はあれ、と目の前の張見世を冷やかしている神々廻を顎で指した。
「今日は夜デートしようよー、とかなんとかっつって、いざ出てみりゃコレよ。ったく、あの人は高い揚代払って何がしたいんだかね」
「稲本か。懇談会に来てないと思ったら、相変わらず放蕩してんな。ま、どうせヤキモチでも妬かせようって魂胆だろうよ」
「くっだらねー。妬くワケねぇっつーの。こっちは寒ぃ中ひたすら連れ回されて、不愉快以外の何物でもねーわ。て言うか、あんなのが楼主で大丈夫なのかよ、稲本。潰れるんじゃねーの」
朱理は心底、厭そうに毒づいた後、ふと口角を上げて黒蔓を見遣った。
「……まぁでも、そのお陰でこんな再現ができた事だし、少しはあの馬鹿男に感謝してやらなくもないかな」
「くくっ、そうだな。嬉しい驚きだったわ。このまま見世に連れて帰りたい所だが、流石に其処までは再現できねーけどな」
「なら、今夜ベッドの中で再現してよ。俺たちの始まりをさ」
「ったく、そんなクサい台詞も、お前が言うとサマになるんだから恐れ入るわ」
そう言って黒蔓はやおら腰を上げた。ぽんぽん、と帽子越しに朱理の頭を撫でて微笑う。
「何から何まで詳細に繰り返してやるから、しっかり体力温存しとけよ」
「ふふ……楽しみだ。気をつけて帰ってね」
「ああ。じゃ、また後でな」
人混みに紛れていく黒蔓の背を見送っていると、横から騒々しい声が掛かった。
「ちょっと朱理ちゃん! 今の男、誰!? 俺ほったらかして、なに楽しそうに話し込んでたんだよぉ!」
「はー? てめぇが余所の子に夢中だったんだろーが。ほったらかされてたのはこっちだっつーの」
「あははー、ごめんってぇー。さ、行こっか! ほらほらぁ、腕組もうよー!」
「はいはい」
そうして、朱理と黒蔓は夜の喧噪の中を別々に歩いていく。
今まですれ違い、迷い、躓く事は幾度もあった。この先もあり続けるだろう。
けれど、行き着く先は必ず同じだ。
何度すれ違い、迷い、躓こうと、もう二度と離れる事は無い。
そう思うだけで、自然と笑みが溢れるのだった。
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