万華の咲く郷

四葩

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最終章

第百十夜 【悦びに開く花】

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 朱理しゅり陸奥むつの突き出しが確定する前夜、黒蔓くろづるは自室に朱理を呼びつけていた。苦々しく紫煙を吐きながら、正面に座る朱理に問う。

「いよいよ、明日はお前の突き出し日が決まる訳だが、何か質問はあるか」
「んー……いえ、特には。俺、経験無いワケじゃないですし。と言うか、突き出しにこんな個人面談とかあるもんなんですか?」
「普通は無い。だがお前は特別だ。俺が見つけて、1年がかりで此処ここまで育ててきたんだからな。借金も無く、くるわへの興味も無かったお前をこんな道へ引き込んだのも俺だ。だから突き出しくらい、少しでも悔いの無い様、終えて欲しいのさ」
「あはは。また随分、嬉しい依怙贔屓ですねぇ。俺は黒蔓さんがこうして可愛がってくれてる時点で、悔いなんて無いですよ」
「これから本格的に客を取らなきゃならん。精神的にも肉体的にも、負荷ふかは今までより何倍も大きくなると覚悟しておけ」
「はーい、きもに命じまーす」
「で、本題だが……せめて相手くらいはお前に選ばせてやっても良いと思ってる」
「えっ? 選ぶって……出来るんですか、そんな事」

 目をまん丸にしてきょとんと首を傾げる朱理へ、黒蔓は困った様に微笑わらう。

「本来なら選べない。実際、お前の突き出し相手は確実に陸奥だろう。しかし、もしお前に希望の相手が居るなら、それくらいは何とか出来るかもしれん。と言うより、それくらいしかしてやれそうな事が無いんだけどな……」

 自嘲じちょう混じりに語尾を小さくしながら、黒蔓は額へ手をやった。朱理はそんな黒蔓の姿をぼんやり眺めつつ、腹の底から込み上げる感情のままに口を開いた。

「選んで良いのなら、俺、黒蔓さんが良い」
「──……」

 真っ直ぐ此方こちらを見つめてそう言い放った朱理に、今度は黒蔓が隻眼せきがんを見開く番だった。冗談やおふざけのたぐいでない事は、その目を見れば分かる。
 黒蔓は数秒、思考が止まったが、即座にどう答えるべきか頭を悩ませた。確かに選んで良いとは言ったが、まさか自分を指名されるとは夢にも思っていなかったのだ。
 まいったな、と黒蔓は嘆息した。
 叶えてやりたいのは山々である。自分とて、指名された事に対して驚くほど歓喜しているのだ。
 ずっと弟の様に思っていた──はずだった。共に教育してきた和泉いずみ東雲しののめと同じ様に。
 だが、頭のすみでは確かに自覚していたのだ。師弟愛とは明らかに違う感情が、朱理に対して働いている事を。
 側に居れば居るほど、距離が近くなればなるほど、その感情が際限なく育っていく気配を感じていた。
 それでも気付かない振りをして押し殺し、遣り過ごすつもりだった。
 しかし、ようやく彼が一本立ちして己の手を離れるという今になって、行き詰まったのだ。
 朱理に真っ向から純粋な感情をぶつけられ、奥底に秘めて堅く閉ざしていた想いのたがは、呆気なく外れてしまった。
 黙り込む黒蔓に、朱理はやおら明るい声色を上げた。

「あー、やっぱり無理だよね! 従業員とは、そう言うことしちゃいけないおきてだもんね。ごめん、忘れて! 駄目元で言ってみただけで、困らせるつもりは無かったんだよ。ホント、うっかりしてたわぁ」

 重い空気を打ち消すように両手をぱたぱたと振り、眉尻を下げて笑う朱理は普段より饒舌じょうぜつで。黒蔓は、朱理のそんな姿さえ堪らなく愛おしいと思った。
 確かに従業員と娼妓しょうぎが関係を持つ事は吉原の禁忌きんき事項じこうだ。だが、今の黒蔓にはそれが何だとさえ思えた。
 目の前で、自分を求めて泣きそうな顔をしている愛しい子と、それを欲する自分とが繋がって、何が悪い。互いが同じ気持ちである事を、とがめられるいわれがあるものか。
 特にこの世界においては、ほとん御伽噺おとぎばなしと言っても過言では無い状況だ。
 黒蔓は煙草を揉み消し、朱理の真正面に膝をついた。

「……お前の初めての頼み事も聞けないんじゃ、俺の立つが無い。お前、本気で言ってるか? 本当に俺が良いのか?」
「うん。初めて会った時から、ずっと黒蔓さんが欲しかった」
「この先どうなろうと、何があろうと、後悔しないか?」
「しないよ、絶対に。俺は本気で貴方を愛してるから」

 その言葉に、黒蔓は堪らず朱理を引き寄せ、強く抱き締めた。わずかに遅れて、朱理の腕が背に回される。

「俺も同じ想いだ。だが、正式な突き出し相手にはなれない。分かるな?」
「分かってる、それで良い。この先、何百人に何百回抱かれようが……1度でも貴方に触れられれば満足だ。貴方が俺を受け入れてくれた事実があるなら、何だって出来る気がする」
「……なら、この事は絶対に他言無用、正式な突き出しは陸奥と行う事。このふたつを守れるなら、お前の願いに応えてやれる」
「守るよ」

 強い覚悟を秘めた声音を聞き届け、黒蔓は優しく、慈しみながら朱理へ口付けた。待ち侘びた様に朱理の唇が開き、熱く柔らかい舌がちらりと唇をなぞる。
 其処そこからはあっという間だった。
 夢中で口付け合い、互いの着物を剥ぎ取りながら寝具へ雪崩なだれ込んだ。朱理は黒蔓が触れるたびに身体を震わせ、吐息を漏らす。

「……っ、は、ぁっ……黒蔓さん……」
「なんだ……」
「俺……もう、死んでも良いくらい幸せだよ……」
「……ッ、そんな事……大袈裟だぞ、俺ごときに……」
「ずっと触れたかったんだ……出逢った時からずっと……。こんなに人を愛したのは、初めてなんだよ……」
「……俺もだ。お前を愛してる……」

 黒蔓の言葉に朱理は身体を震わせ、細い腕で顔をおおった。漏れる嗚咽おえつで、泣いているのだと分かる。
 そんな朱理の姿がこの上なく愛おしく、美しく、黒蔓はかつてないほど胸が締め付けられ、目頭を熱くしたのだった。
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