万華の咲く郷

四葩

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最終章

第百八夜 【芽吹いた夜】

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 それは10年前。晩秋から初冬にかけての、丁度ちょうど、今頃の事だった。
 全くの偶然に、彼らは出逢った。そして、互いの双眸そうぼう隻眼せきがんかれ合ったのだ。
 その年、朱理しゅりは特にやりたい仕事も無く、内定など取ろうとすらしないまま、単位さえ危うい有様で何とか大学を卒業した。
 在学中に何か資格を取るでもなく、のんべんだらりと怠惰な学生生活を楽しんだに過ぎなかった。
 そして就職した友人達が仕事に慣れてきた頃、おごるから久し振りに遊ばないかと声をかけられたのだ。
 ふらふらと就職浪人を満喫まんきつしていた朱理は、ふたつ返事でそれを受けた。その選択が今後、如何いかに己の人生を左右する事になるかなど、知るよしも無く。
 同じ日の夜、黒蔓くろづる全楼ぜんろう懇談会こんだんかいからの帰り道だった。
 遣手になって未だ1年も経たない新参しんざんには風当たりもきつく、風貌と経緯いきさつが輪をかけて好奇の目にさらされる。毎月そんな中へ足を運ぶのにもうんざりしながら、仲の町通りを徒歩で見世へと戻っていた。
 色街が浮き彫りになる夜の吉原を歩いていると、道端みちばたの木製ベンチに座る青年に目が止まった。
 細身ほそみの色白で器量きりょうはそこそこだが、ただ座っているだけで強い存在感を放っている。
 白いデザインシャツの上にライダースジャケット、黒いサルエルパンツ、中折れ帽子をかぶって大判のストールを巻きつけ、煙草を吹かしていた。
 張見世はりみせむらがって楽しげな同年代の男たちを不機嫌そうに見遣る様子から、どうやら不本意に連れて来られたらしい。
 赤提灯に照らされた顔の横で、何処かから飛んで来たしゃぼん玉がぱちんとはじけた。それに気を取られたのか、ふと頭を上げた青年と黒蔓の目が合う。
 2人はしばらく見つめ合い、やがて黒蔓は青年の側へ歩み寄って短く声を掛けた。

「隣、良いか?」
「どうぞ……」

 はしへ寄った青年の隣に腰掛け、黒蔓もたもとから新しい煙草を取り出して火を点ける。それからまた暫く、2人とも無言でぼんやり煙草を吹かしていた。
 軈て、ぽつりと黒蔓が問い掛ける。

「吉原は初めてか?」
「いえ、二度目です。とは言っても、前回は見世にも入らず帰っちゃったんですけどね。もしかして俺、浮いてます?」

 青年の人懐ひとなつっこそうな返答に、黒蔓は小さく笑った。

「浮いてると言うより目立ってる。この街でそんなに不機嫌そうな男は珍しいからな」
「あはは。俺、金無いんで。遊郭とかもあんまり興味無いし。寒いし待たされるしで、ちょっと苛々いらいらしてたかも」

 そう言って無邪気に笑う顔はおさなく見えるが、何処か達観たっかんしている様にも見える。
 笑みを浮かべて此方こちらを見返す目には、好奇も警戒も無い。初見しょけんの相手にそんな風にせっされたのは、初めてだった。
 無防備な様でいて、絶妙なすきの無さもうかがえる。何とも表現し難い魅力を感じた。
 黒蔓はこの不思議な青年が、直感的に欲しいと思った。その感情をのちにどう自覚する事になるか、そしてどれほど己に影響を与えるかなど、やはり黒蔓さえ、知る由も無かったのだ。
 しかし、見世に欲しいとは言え、どう切り出したものかと行き交う人々を眺めながら考えていると、青年が先に口を開いた。

「吉原で働いてる方ですか?」
「ああ、まぁな」
「もしかして、危ない組織の人?」
「いや、見世の関係者だ」
「あ、ごめんなさい。たまにそういう人から声掛けられるから、てっきり貴方もそうなのかと」
「気にするな。そう思われるのには慣れてる」
「ははっ、面白いなぁ。雰囲気はちょっと怖いけど、話すと優しい感じがする。何より、凄く綺麗だし」

 他人から綺麗だと言われたのは、怪我を負って以来、初めてだったと気付く。

「そっちこそ、見た目の割に落ち着いてるな。幾つだ?」
「22です。そんなに若く見えます?」
「いや、はっきり言って年齢不詳だよ」
「あはは。よく言われるんですよね、それ」

 愉快そうに笑うのを見て、ちょっとやそっとの事にはどうじない程度に、様々な経験をしてきたのだろう、と黒蔓は納得した。
 若いがきもの座りが良い、見込みのある男だと思いながら立ち上がる。

「お前、名前は? 俺は黒蔓」
土生はぶみ
「それ、下の名か?」
「あ、いえ。朱理です」
「土生 朱理、か……良い名だな。仕事はしてるか?」
「あー、恥ずかしながら就職浪人って言うか……もうほとんど引きニートみたいな感じですねぇ」
「じゃ、うちに来い」
「え?」
「無理にとは言わんが、お前はきっと、吉原一の太夫になる。俺の直感は結構、当たるぞ」

 黒蔓は朱理に薄く微笑わらいかけ、黒い絹手袋をしている右手を差し出す。一瞬、怪訝けげんな顔をした朱理だったが、ほぼ反射的にその手を取っていた。
 朱理は何故、その時あっさりそんな行動に出たのか、自分でも分かっていない。
 それまでスカウトやら黒服の勧誘は散々さんざん、断ってきたのだが、不思議と差し出されたその手をこばむという選択肢は無かったのだ。
 初めて触れた絹の冷たさとなめらかな感触は、今でもよく覚えている。その手がぐに温かくなった事も、その時の黒蔓の満足そうな笑みも、何もかもが鮮明だ。
 反対に、あれほど五月蝿うるさかった喧騒けんそうや雑踏、肌を刺す寒さは全く覚えていない。ただ、黒蔓の手を取った瞬間だけが切り取られ、脳裏に焼き付いている。

 2人の運命が静かに動き始めた、冬の気配がする夜の事であった。
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