万華の咲く郷

四葩

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最終章

第百四夜 【泥酔地固】

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 当たりさわりの無い話をつらつらと続け、酒が回ったたちばなの目元にはしゅが差している。
 不機嫌でない事は確かだが、果たしてこのままで良い物か、と朱理しゅりはぼんやり考えていた。

「(うーん……最初より砕けてはいるけど、ちょっと弱い気がするな。もう少し踏み込んだ話が出来れば良いんだけど、未だ何処どこまで突っ込んで良いか分からないんだよな……)」

 そんな事を思いながら蜂須賀はちすからの方を見遣ると、妹尾せお松雪まつゆきの初々しさと美貌にすっかりほだされ、締まりの無い表情になっている。

「(あっちは大丈夫そうだな。あー、どうしよう。いっそ攻めてみるか? いや、引かれたら困る。まいったな……こっちから親しくなるなんて、何年もしてないからな……。ちくしょう、意外と面倒臭いぞ、これ……)」

 思わず紫煙と共に嘆息たんそくした朱理に、橘からうかがう様な声が掛かった。

「どうかしたかね、顔色が良くない様だが」
「いえ……この様な立派な方々の前で緊張してしまって、少しお酒が過ぎてしまいました」
「大丈夫かい? ほら、水を飲むと良い」
「有難うございます」

 咄嗟とっさいた嘘だったが、心配そうな顔の橘に水を差し出された。それを受け取りながら、堅物かと思いきや意外と世話好きな一面が垣間見かいまみえたな、と思った。
 気を遣っているのか、橘の方から話を振ってくる。

「実は君とそう変わらない歳の息子が居てね。同じくらいの子を見ると、ついつい構いたくなるんだよ」
「そうでしたか。御子息ごしそくが羨ましいです、こんなにお優しいお父様がいらして」
「いやぁ、近頃はもう大人だからと、距離を置かれる様になってしまったよ。君のご家族は……と、こんな事を聞いて良いものかな。すまないね、こう言う場所での作法さほうがよく分からなくて……」

 本来、吉原では娼妓しょうぎの出身地や家族構成、生年月日などの個人情報は、聞く事も話す事も、暗黙のうちに禁忌とされている。
 身売りした者がほとんどである為、出自しゅつじを明らかにする事をいとうからだ。
 朱理は少し考えた後、微笑わらって答えた。

「ええ、私なら構いませんよ。何でも聞いて下さい」
「その……この見世で働いているのは皆、自ら志願した者達だと聞いたんだが、本当かい?」
「ええ、事実です。万華郷ここは面接を受けて合格した者のみ、従事する事が出来ます」
「では、君もそれに合格したと言う事か」
「いいえ。私は遣手に声を掛けられて入楼したので、面接は受けていません」
「ほお……それは凄い事だと思うが……しかし、親御おやごさんに反対されなかったのかね。特にお父様など、こんなに立派な息子さんを手放すなんて……」

 眉をひそめて言葉を切った橘の様子に、笑みを漏らしながら煙草に火を点ける。

「父は私が子供の頃に亡くなりました。母には、吉原ここで働いている事は話していないんです。余計な心配を掛けたくなくて」
「それは……申し訳無い事を聞いてしまったね、すまない……」

 沈痛な面持おももちになった橘の腕に軽く触れ、朱理は明るい声を上げる。

「いえ、お気になさらないで下さい。もう昔の事ですし。父はあまり家に居ない人だったので、記憶も曖昧あいまいな程ですから」
「……そうだったのか。では、お母様が女手ひとつで?」
「ええ。母には父の分もおぎなって余りある程、愛情をそそいで貰いました。感謝してもしきれませんし、私も母を心から愛しています。ですから、そんなに悲観的な話でもないんですよ」
「なるほど……。それで君は、そんなにすこやかでいられるのだね……。いや……しかし……」

 と、言葉に詰まった橘を怪訝けげんに思い、その顔を覗き込んだ。橘の悲痛に歪んだ双眸そうぼうには、今にもあふれそうな程の涙が溜まっており、朱理はぎょっとして固まった。
 吉良きらも同じく動揺し、顔にヤバいと買いてある。

「も、申し訳ございません。この様な場で、お耳汚しを……」
ぐ、お水をお持ちします」
「いや……大丈夫だ。すまないね、どうも息子と重ねてしまって……」
「息子さんですか?」
「ああ……。私も、若い頃は仕事に忙殺ぼうさつされる日々を言い訳に、ほとんど息子に構ってやれなくてね……。寂しい思いをさせてしまった事を、今も悔いているのだよ……」
「それはいたかた無い事ですよ」
「あの子も立派に育ってくれたが、やはり君の様に泣き言ひとつ言わないんだ。だから、君の言葉がまるであの子の言葉の様に聴こえてしまって……ッ」

 目元をぬぐいながら訥々とつとつと語る橘の手に、朱理がそっと自分の手を重ねた。

「大丈夫ですよ、橘様。きっと息子さんもおわかりのはずです。だって、こんなに深く愛されているんですもの。その愛情は、必ず伝わっていますよ」
「──君は……っ」

 そう言って穏やかに微笑わらいかけると、橘はくしゃりと顔を歪めた。
 少しのの後、なんと、いきなり朱理のひざに突っ伏し、声を上げて泣き始めてしまった。

「ッ君はなんて良い子なんだぁ──!!!!」
「た、橘様ッ!? ちょ、あのっ……ええー……」
「お、落ち着いて下さいませ、橘様!」

 朱理と吉良の制止も虚しく、どうやら相当、酔いが回っているらしい橘の男泣きは、収まるどころかどんどん大きくなっていく。

「一体どうしたのかね、橘君は」
「分かりません。少し様子を見てきます」

 橘の騒ぎ様に、何事かと苦い顔をする相良さがら和泉いずみが答えて席を立つ。
 膝の上で号泣する橘の背を撫でつつ、座敷中から好奇の視線を向けられる朱理は、ここ最近で1番げんなりしていた。
 すっと和泉がそばに膝をつき、朱理の耳元へ顔を寄せる。

「何があったんだ」
「なんか、息子さんと俺が重なったとか何とか言って、急に泣き出した」
「なんだそれ……まぁ、粗相そそうがあった訳じゃないなら良いが……。お前、一体どれだけ飲ませたんだ?」
「そんなに飲ませてないって。この人、泣上戸なきじょうごなの?」
「いや、分からん……」
「もぉー、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……。早くなんとかしてよ、この状況」

 小声でそんな遣り取りをしている間にも、橘は朱理の腹に顔をうずめ、おいおいと泣いている。

「分かった。遣手に話してくるから、それまでなだめてろ」
「はぁーい……」

 そうして駆け付けた黒蔓くろづるの判断で、橘は別室で休ませる事となり、東雲しののめに付き添われて退室して行ったのだった。

 一時、騒然そうぜんとした座敷は元の落ち着きを取り戻し、やがえんたけなわという時刻になった。

「いやはや、楽しませてもらったよ。今日はお招き有難う、相良君」
此方こちらこそ。直々に御足労ごそくろう頂き、恐縮です」
「例の件だが、我々は君に付かせて貰う事にするよ。この様な楽しみが減っては、皆、がっかりしてしまうだろうからねぇ」
「有難う御座います」
「では、また」

 見送りに並ぶ朱理の耳に、相良達の短い遣り取りが聞こえる。
 橘はともかく、蜂須賀らは間違い無く大臣の手中しゅちゅうに収まった様だ。蜂須賀に続き、間島ましまらも満足そうな顔で座敷から出て行く。
 それを見届けた相良が此方こちらを振り返り、したり顔で笑う。
 
「皆、よくやってくれた。これで互いの足元は、更に盤石ばんじゃくな物となっただろう。橘君は私が送って帰るとしよう」
「はい、宜しくお願い致します」
「お疲れ様でした、相良さん。ようやく我々の努力がむくわれるかと思うと、ほっとしますよ」
「全くだな、陸奥むつ君。では失礼するよ」

 そうして、様々な欲望と奸計かんけいめぐる宴は幕を降ろしたのだった。
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