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最終章
第百三夜 【今宵の芸術】
しおりを挟む20時。定刻通りに盛大な宴席が始まった。
和泉を筆頭に、陸奥、鶴城、棕櫚、朱理が新造を引き連れて入室すると、客達から歓声が上がる。
「おお……本当に太夫全員が出揃うとは。流石ですな、相良大臣」
「いやはや、全く。吉原一と謳われる万華郷の最上級格が居並ぶ様は、正に圧巻ですよ」
「皆、顔もスタイルも素晴らしい。新造のレベルも、他の見世とは比べ物になりませんなぁ」
「相良君ほどの男になると、やはりスケールが違うねぇ」
「お気に召して頂けた様で何よりです、蜂須賀先生。では早速、始めましょう」
相良には和泉と陸奥、橘に朱理と吉良、蜂須賀を挟む様に妹尾と松雪が付き、間島と岩塚、辻堂の間に鶴城、棕櫚、渡会、玖珂が座して酒を注ぐ。
「橘様、どうぞ」
「あ、ああ……。有難う……」
銚子を傾けながら、朱理はそれを受けている橘を見遣った。鼻筋の通った精悍な顔付きは、先だって聞いていた通り、欲に塗れた謀とは無縁に生きている事を物語っていた。
現に今も、他の議員らは着飾った娼妓達に鼻の下を伸ばしているにも関わらず、橘は難しそうな顔で酒を呷っている。
予想通りの展開に、朱理はひっそり嘆息した。
「(やっぱり初見で興味を惹くのは無理か。まぁ仕方ないわな。見た感じ遊び慣れてないし、吉原に来た事も、付き合いで数回程度という所か。こういう手合いは、無理に押さない方が良いだろうな……)」
そう判断し、暫くは此方も黙々と酌をするに留める事にした。
橘と朱理へ交互に視線を遣りながら、そわそわしている吉良を落ち着かせる為、目で大丈夫だと合図を送る。
そうこうしているうちに太夫の芸が披露される刻限となり、相良が和泉へ声をかけた。
「今宵は君たち全員が舞台に立ってくれるんだったな」
「ええ。上手は演武、下手は唄と舞を。何方から御覧になりますか?」
「そうだな、では演武からお願いしよう」
「承知致しました。それではまず、鶴城太夫と棕櫚太夫の二人演武をお披露目致します」
陸奥が答えて鶴城と棕櫚へ視線を遣ると、2人は軽く頷いて席を立つ。
楽器を奏でる芸妓らが揃い、雄々しい演武が始まった。しなやかに動く鶴城とは対照的に、力強い型を取る棕櫚の絶妙な相違が調和する様は見事である。
客達も盃を傾けつつ見惚れていた。
軈て2人の演武が無事に終わり、拍手を浴びながら一礼して舞台を降りる。
次は陸奥の一人演武だ。先程の鶴城と棕櫚の静と動を見事に単身で演じ切る姿は、勇猛であると同時に優雅で、男性ならではの色気を目線から指先の隅々まで迸らせている。
花の宴以来の演武に、朱理も思わず目を奪われていた。
やはりこの男は別格だなと思っていると、視線を流していた陸奥と目が合う。ふっ、と艷麗な笑みを向けられて何とも言えない心地になり、思わず眉を顰めてしまった。
滞り無く陸奥の演武も終了し、先程より更に大きな拍手が湧く。
「実に素晴らしい! 流石は御職の太夫ですな」
「ええ、全く。筆舌に尽くし難い魅力をお持ちだ」
「うむ、此処まで引き込まれた演武は初めてだったよ。君は大変に才能溢れる青年の様だね」
「有難う御座います」
間島、辻堂、蜂須賀にひと通り陸奥が褒めそやされた後、和泉が此方へ視線を送ってきた。朱理は軽く顎を引いて答える。
「では最後に、私と朱理太夫の唄と舞をご堪能下さいませ。演目は『初時雨』で御座います」
「おお、時期的にもぴったりだ。楽しみにしているよ」
そしていよいよ、和泉と朱理が舞台へ上がった。
中央には舞い手の和泉が伏目の美しい立ち姿で開始を待ち、傍に座した朱理が目で合図を送ると、芸妓が拍子木を打ち鳴らす。三味線の音と共に朱理は深く息を吸い、声を上げた。
「楢松の葉の落ちそめて──夕暮白き待乳山──……」
突き抜ける様な逞しさと伸びの良い靱やかさを併せ持ち、座敷の隅々まで響く程の声量でもって発せられた本調子に、客のみならず場の全員が総毛立つ。
唄に合わせ、流水の如く滑らかに舞う和泉に、皆は視覚と聴覚を完全に支配されていた。耳朶に沁み入る唄声と、見る者の視線を捉えて離さない優美な舞に、一同は暫し時を忘れて魅入っていた。
軈て唄の終盤である合方が終わり、和泉の舞も静謐に終了して2人は三つ指をつき、深々と頭を下げた。
本日1番の拍手喝采が起こり、皆が感嘆の声を上げる。
「……いや、驚きました。見た目は随分と華奢でおられるのに、あれ程、力強く唄い上げるとは……」
「若い人の長唄は好かないと思っていたが、どうやら素晴らしい唄い手に出逢っていなかったらしい。君は実に良い声をお持ちだね」
「有難うございます」
「朱理太夫の唄は見世1番のお墨付きですからね」
岩塚と蜂須賀へ小首を傾げて微笑む朱理に、陸奥が輪をかける様に付け足した。
「それも納得のひと言に尽きる物だった。和泉の舞姿も、相変わらず素晴らしい。すっかり魅了されてしまったよ」
「本当に、今まで見た中で最も美しい舞でした。こんな方を揚げていらっしゃる相良大臣が羨ましいですな」
「まだまだ勉強中です」
そうして和泉も相良や間島に絶賛され、舞台を降りた朱理は再び橘の隣へ座した。
すると、橘は視線もくれなかった先程とは打って変わって、身体を此方へ向けて目を輝かせている。
「私は生憎、唄や舞は不勉強なのだが、先程は大変素晴らしかった! 思わず聴き惚れてしまったよ!」
「お気に召されて何よりです。私の取り柄など、あれくらいの物ですから」
「本当に美しい唄声だった! 実に感動した!」
「ふふ、有難うございます」
興奮冷めやらぬ橘に酌をしていると、相良から声が上がった。
「橘副大臣、貴方は運が良い。その朱理太夫は現在の大関ですぞ。我々もなかなか、お目に掛かれない」
「大関であられましたか。それは素晴らしい」
「道理で格別な魅力をお持ちの筈だ。陸奥太夫は殿堂入りなされたとか。本当に閑雅な見世ですなぁ」
「朱理太夫は私と違って、正真正銘の傾城ですよ」
「ははは、陸奥君が謙遜とは珍しい。しかし、君は娼妓にしておくには実に惜しいね。官界へ来ればあっという間に出世できるだろうに」
「いやいや。買い被りですよ、相良さん」
相良と陸奥がそんな話で盛り上がっていると、それまで押し黙っていた橘が朱理へ僅かに身体を寄せ、小声で問うて来た。
「その……すまないが、皆の言う大関とは一体、何の事かね?」
「番付で1番の太夫を指す言葉です」
「い、1番……!? では君が今、吉原で最も人気の太夫と言う事か?」
「たまたまですよ」
からりと答える朱理に呆然とする橘。やおら居住まいを正す橘の姿に、思わず笑みが漏れる。
「そう構えないで下さいな。此処の太夫らはいつ、誰が大関になってもおかしくない者たちばかりです。それこそ、男性として初めて殿堂入りした陸奥太夫の方が、よっぽど凄いんですよ。ねぇ、吉良」
「はい。此処に従事させて頂ける事は大変な名誉と存じます。朱理太夫はお優しい方なので、私どもにもよく目をかけて下さいますし」
「そ、そうか……。実を言うと、遊郭などにはあまり良い印象が無かったのだが、どうやら、この見世は私の想像とは全く違う場所の様だ」
「楽しんで頂ければ幸いです。さぁ橘様、もう一献どうぞ」
「ああ、すまないね。有難う」
初見より肩の力が抜けた橘の様子に、ひとまず安堵しつつ、和やかに酒宴は進んで行くのだった。
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