万華の咲く郷

四葩

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第八章

第九十五夜 【甘やかな毒】

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 16時。揚屋あげやから出た蘆名あしな朱理しゅりは、玄関前で別れを惜しんでいた。

「ありがとね、大聖たいせい。楽しかった。でも、次は妙な我慢せずに夜来てよ」
「分かったよ。言っとくが、俺は有言実行が座右の銘だからな。がる時は覚悟しとけよ」
「お、おお……。お手柔らかに頼むわ……」

 蘆名の寝屋ねやでの激しさを思い出しつつ、朱理は苦笑で答えた。

「で、今日は歩いて帰るのか? 危ねぇから送ってく」
「大丈夫だって、こっから見世近いし」
「馬鹿。お前、座敷衣装のまんまだろ。目立って仕方ねぇわ」
「目立ったほうが良いこともあるんじゃね? 何かあっても目撃者多数、みたいな」
「何か起こる前提で言うんじゃねぇよ。そうならないために送るっつってんだろうが」
「ったく、本当にお前は心配性って言うか、過保護って言うか……」

 そんな押し問答をしていると、おもむろに朱理の前方から陽気な声が掛かった。

「やぁ朱理。今から戻り?」
棕櫚しゅろぉ。お疲れー」

 人好きのする笑みを浮かべて向かって来る棕櫚に、朱理が嬉しそうな声で答える。

「なんか俺らって、よく昼見世後が被るよな。他のやつにはほとんど会わないのに」
「俺も丁度、この辺りで仕事だったからねー。お前、着替えてないからすぐ分かったよ。目立ち過ぎ」
「見世近いから面倒でさぁ」
「はは、相変わらずだねぇ。一緒に帰ろうよ」
「うん。じゃあ大聖、俺もう行くけど……ってどした? ぼーっとして」

 野性味溢れる美丈夫と朱理の仲の良さに呆気に取られていた蘆名に、棕櫚は申し訳無さそうな声を掛けた。

「ありゃ、蘆名さんと一緒だったのかぁ。気づかずお邪魔しちゃって、すみません」
「あ、いや……。もう帰るところだったし……」
「棕櫚、大聖のこと知ってたっけ?」
「そりゃ三大遊郭の楼主さんだし、花見にも来てくれてたしね。当然、知ってるよ」

 そう言って棕櫚は柔和な物腰で蘆名へ向き直り、頭を下げた。

「直接お話しさせて頂くのは初めてですね。上手かみて太夫だゆうの棕櫚と申します。いつも御贔屓に」
「ど、どうも……」
「なんだよ大聖、やけに大人しいじゃん。人見知りだったか?」
「いや……なんかこう……男としてのかくの違いを目の当たりにしたっつうか、なんつうか……」
「なに? どうしたの、お前」
「ははっ、ご謙遜を。俺なんて、大見世を取りまとめる楼主殿の足元にも及びませんよ」
「大体、男ってんなら俺だってそうじゃん。なんか馬鹿にされた気分だぞー」
「いや、そうじゃないが……」

 非難がましく言う朱理に慌てる蘆名を見て、棕櫚は苦笑しつつ仲裁の声を上げる。

「こらこら、辞めなさいよ。本当にお前はそういうとこ鈍いんだからぁ」
「あー、またそうやって愚鈍よばわりするー。なんだよ、2人してさぁ」
「ははっ、ねても駄目だよ。事実でしょ」
「優しくさとすな! 余計に悲しくなる!」

 2人の仲睦まじい会話について行けず、蘆名は内心、ひっそり嘆息した。
 朱理が上手の娼妓しょうぎらと話す姿は何度か見ているが、この太夫との遣り取りは特に楽しそうに見える。顔も声も背格好も、朱理の好みそのものだということが、長い付き合いで分かるのだ。
 相手も少なからず好意を持っているだろうことも、表情や声音から察してしまう。
 そもそも万華郷の上手達は、男としての魅力を有り余るほど持ち合わせている。
 長く吉原に君臨する大見世の娼妓を務めるのは、並みの人間には出来ない所業だ。太夫格ともなると、雲の上どころか別次元の存在である。
 そんな2人の並ぶ様は、圧倒的な存在感と優位性をかもし出しており、己が如何いかに凡人たるかを知らしめられる気がした。

──こんなのに本気を出されちゃ、到底、かなう道理が無い。第一、朱理にしても相当な高嶺の花だ。俺が一時いっときでも手に出来るのは、見世の名と金があるからで、男としては何の取り柄も……──

 と、そんな鬱々とした思いを巡らせていた蘆名の頬を、冷たい華奢な指がすっと撫ぜた。耳元へ寄せられた唇が囁く。

「……今、お前が考えてたこと当ててやろうか?」
「な、何を……」
「〝こんな男前には勝てない、俺には何の取り柄も無い〟。違うか?」
「……ッ、違わねぇよ……」

 蘆名の返答に、朱理は喉の奥で笑った。両手でその頬を包み、目線を合わせると困ったように眉尻を下げた顔がある。まるで飼い主に叱られた犬みたいだ、と朱理は思った。

「馬鹿だねぇ。今更なにをそんなに不安になることがあるのさ。俺はお前が大好きだと言ってるだろ」
「……いや、しかし……」
「そんなに心配ならこうしてやる」
「っ……!?」

 流れる仕草で唇が重ねられた。人の行き交う往来で、しかも同僚の目の前であるにも関わらず、熱い舌が差し入れられ、絡められる。
 先程までの不安は、あでやかに零れる吐息と愉悦に押し流され、頭の芯がぼうっとするような感覚におちいった。
 長く濃厚な口付けの後、濡れた唇で朱理は妖艶にわらう。

「こんなことするのはお前にだけだよ、大聖」
「……ああ……有難う……」

 朱理は己の想いも不安も、何もかも受け入れてくれている。それがどれほど幸福なことか、忘れかけた頃に思い出させてくれるのだ。これだから、自分はこの男を想うのを辞められないのだ、と苦笑が漏れた。
 優しい笑みで、またねと手を振る朱理に片手を上げて返し、去って行く背を見送る。
 朱理と出逢ってから数年、幾度も距離を取ろうとしたが、どうしても出来なかった。そして、これからもきっと不可能だ。
 早くも次の予約を取ろうと頭の隅で考えている自分は、間違い無く朱理の術中にはまっている。それは酷く心地良く、過ぎる程の甘美でもって、ひと時の夢を見せてくれるのだ。
 蘆名はひとつ息をつき、あいつの見せてくれる夢ならば何度でも見てやろう、と思いながらきびすを返すのだった。



 並んで見世への帰路を辿る中、棕櫚は溜め息混じりに朱理へ視線を遣る。

「見せつけてくれたねぇ。お熱いことで」
「そんなんじゃないって。何処かの誰かさんが、無自覚に男の沽券こけんを打ち砕いてたから、フォローしただけだよ」
「ええ? なにそれ。俺のせいってこと?」
「八割方な。ま、元はと言えばあいつが考え過ぎるのが悪いんだけど」
「あー。なんか〝真っ直ぐに生きてます!〟って感じだよねー、あの人」
「そそ。大見世の楼主なんてやってるくせに、本当にじゅんで可愛いったらねぇよ。そのぶん、見た目よりデリケートでね。良い奴だけど、取り扱い注意物件なのさ」
「物件って……あの人に惚れてるんじゃないの?」

 棕櫚の問いに、朱理は通りに響き渡るほど盛大に吹き出した。

「お前それ、本気で聞いてんのか?」
「だって目の前で、しかもこんな往来であんな濃厚なキスシーン見せられたんだよ? 普通、そう思うでしょ」
「あいつはああいう特別感が好きだからしただけで、それ以上の意味なんてねーよ。卑屈になってどんよりしてたお客様を、ちよいと慰めてやっただけさ」
「なにそれ怖っ! あざとっ! やだー、お前の手練てれん手管てくだなんて知りたくなかったぁー」
「なに言ってんだよ。棕櫚だって客のご機嫌取るためなら、あの程度のことはするだろ」
「いやぁ……俺にはあそこまで出来る気がしないけど……。まあ、言わんとすることは分かった。なーんだ、あくまで仕事ってワケかぁ」
「当たり前だろ。俺が演技してんの見て幻滅した?」
「ははっ、まさか。むしろ安心したよ」
「心配しなくても、こう見えてちゃんとお仕事してるんだぜ」
「いや……俺はそういう心配してるんじゃないんだけどね……」

 そんな遣り取りをしているうちに見世へ辿り着き、朱理は階段を上りながら早くも帯をほどき始めている。
 3階へ到着し、別れ際に朱理は伸びをして呟いた。

「あーあ。やっぱ、いくら古馴染みでも客は客だよなー、気疲れしたわ。またお前と団子食いてぇなぁ。あの茶屋のみたらし、めちゃくちゃ美味かったもん」
「また行こうか、近いうちに」
「行く行く! 棕櫚と居ると落ち着くんだよね、不思議ー」
「はは、そりゃ嬉しいね」
「んじゃ、お疲れー」
「お疲れさん」

 歩き去る朱理の背を見送りながら、棕櫚は溜め息をつきながら額に手を遣る。

「まったく……とんだ人誑ひとたらしの上に鈍感なんだから……。東雲しののめもこんな気持ちなのかね……」

 棕櫚の独語は誰にも届くことは無く、静まり返った廊下に吸い込まれていった。
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