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第七章
第八十六夜 【暗中模索】
しおりを挟む「あ、居た居た。朱理ぃ! お前どこ行ってたんだよ、めちゃくちゃ探したぞ」
「おー、荘紫。退屈過ぎて、ちょっと散歩にね。どした?」
「晩メシ来たってよ。控え所に用意されてっから行こうぜ」
「ああ、もうそんな時間か。なんだろ、出前だよな?」
「そ。出前と言やぁ定番の寿司だ」
「はー? このくそ暑い時期に、選りにも選って寿司だぁ? うどんとかで良かったじゃねーかよ。誰チョイスだよ」
「お前が居ない間に投票で決まった。そんなに厭か? 良いじゃねーか、寿司」
「ただでさえ食欲ねぇのに、もっとさっぱりしたのが良かったー。つか、まだ直んねぇの? 暗くってしょうがねぇよ」
「朝からやってんのに遅ぇよな。この調子じゃ、今日中に復旧するか怪しいみたいだぜ」
「えー、まじ? トイレ超困るじゃんかー」
「なんだよ、怖ぇの? 付いてってやろうか?」
「ちげーよ。俺、ギャグかと思われるレベルで鳥目だからさぁ。暗くて見えねぇんだよ。的外して撒き散らかしそう」
「お前……可愛い顔して、撒き散らかすとか言うなよ……」
19時半。すっかり夜の帳が下りた室内は真っ暗で、荘紫が懐中電灯で照らしてくれる足元すら覚束無い。
案の定、ちょっとした段差に蹴躓く。
「おっと、大丈夫か?」
「ぅおぉ……びびったー……」
咄嗟に荘紫が伸ばしてくれた腕にしがみつき、派手な転倒は免れた。
「まじで見えねぇのな。そのまま腕、掴んどけよ。危ねーから」
「ありがと、助かる」
「その鳥目って生まれつきか?」
「そうだなぁ、多分。高校の頃さ、友達と川辺で花火した帰りに、思っきし転んで側溝に嵌ったの思い出したわ」
「なにそれ、ウケる」
「いやまじで。全身すっぽり収まったぜ。アレの横幅って俺と同じなんだな、吃驚したわ」
「全身かよ! てっきり足だけかと思ってた……。そんなん目の当たりにしたら、笑う前に驚くわ……」
「引っ張り出してもらったんだけど、満身創痍の血塗れでさぁ。ツレのお母さん青ざめてたなー。申し訳ない事したなー」
「そりゃそうだろうよ……。全く、お前のネタ倉庫には果てがねぇな」
「ネタじゃねーぞ、事実だぞ」
「しかし、そんだけ見えねぇとなると苦労すんだろ。取り敢えず、人参いっぱい食っとけ」
「人参食えば治るの?」
「要はビタミンA不足だ。鳥目は夜盲症っつー立派な眼病なんだよ。ただ先天性の場合は原因不明で、未だ治療法が無いからな。お前の目が治るとは言えねぇけど」
「へー。すげぇな、お前。そう言えば荘紫って理III出てんだっけ」
「一応な。つっても、ちょっと齧っただけだぜ」
「お利口さんなのに勿体ねぇなぁ。そのまま医者か研究者にでもなりゃ良かったのに」
「無理、無理。3年の時に遊び過ぎてってあるあるで、卒業出来たのが奇跡だったからな。あ、寿司ネタん中にウナギあったらやるよ。あれもレチノール豊富だから、ビタミン不足に効く」
「レチノール……? 何だかよく分かんねーけど、ウナギだな、了解。てか、お前ってそんな世話好きキャラだっけ? すっげ親切じゃん」
「親切……か」
ふと、荘紫は今まで聞いた事の無い、寂寥を帯びた声音で零した。やや俯き加減の顔を覗き込むと、自嘲の様な薄い笑みを浮かべている。
「お前はそう取るんだな。女には嫌がられた悪癖だぜ」
「それって、学生時代の話?」
「まぁな。口煩くて、うぜーんだと」
荘紫の女嫌いの根底が見えた気がしたが、朱理はそれ以上の追求を辞めた。そんな話を蒸し返しても、お互いに良い事などないのだ。
「そうかい。俺は嬉しかったけどな、色々アドバイスもらえて。これからも頼りにさせてもらうぜ」
荘紫は朗らかな朱理の声音に鼓舞されたらしく、いつものしたり顔へ戻った。
「ま、なんかの役に立てりゃ幸いだわ」
「おうよ」
荘紫の新たな一面に触れつつ控え所へ入ると、方々に蝋燭が置かれた薄明かりの中、豪華な寿司桶を囲む娼妓らが揃っていた。
桶は上下太夫、上手格子太夫、下手格子太夫、上手新造、下手新造の5箇所に分けられている。寿司の傍には人数分の盃に徳利、提子まで用意されていた。
「お、やっと来たか、朱理。待ち兼ねたぞ……って、なんで荘紫と腕組んでんの?」
「まるでカップル登場やな。どーせ足元見えへんから掴まっとるだけやろうけど」
「あ、そうなの?」
「そーだよ。ありがとな、荘紫」
「おー」
荘紫と別れて、朱理は太夫用の席へ腰を降ろした。箸や小皿を寄越しながら、棕櫚が声を上げる。
「そう言えば、朱理って極度の鳥目だっけ?」
「そーなんだよ。まじ灯り無いの困る。此処まで来るのに、何回転びそうになった事か」
顔を顰めて言う朱理に、陸奥が猫なで声を上げながら擦り寄った。
「ご所望とあらば、いつでも何処へでも、お姫様抱っこで運ぶよー」
「じゃ、後で部屋まで宜しく」
「俺の部屋ね、了解!」
「やっぱ荘紫に頼むわ。さっきの礼も合わせて身体払いしよう」
「ちょっと辞めてよ! 冗談でもそんな悲しい事言わないで!」
「本当、あの人って朱理にだけは別人格だよな」
泣きつく陸奥を冷ややかに見ながら、和泉は嘆息した。
そうして全員揃ったところで、賑やかな夕食が始まった。
未だ空調の動かない室温は高いが、昼よりは和らいだ暑気に皆、俄に精気を取り戻している。
「陸奥、大トロちょうだい。代わりにカッパ巻きあげるよ」
「やった! はい、どーぞ」
「等価交換が成り立ってないんだけど、それ……。良いんですか、陸奥さん……」
「なに言ってんだ、鶴城。朱理が素手で触ったカッパ巻きだぜ? 大トロより価値あるだろ」
「は、はぁ……」
「最早、サイコパスを隠す気も無くなってるな」
「サイコパスって言うか、ただの変態なんじゃ……」
嬉々としてカッパ巻きを頬張る陸奥にドン引きしている鶴城を見遣り、和泉と棕櫚は呆れと苦笑を浮かべていた。
「陸奥、ハマチちょうだい。あとエビとタイも」
「はいはいー」
「お前、なんでそんな脂っこい物から先に行くんだ? 普通、逆だろ」
「奈央は相変わらず細かいなぁ。俺はそういうの気にしねぇの。食べたい物から行かないと、腹パンパンになるんだもん」
「ウニとイクラもあるよー。いる?」
「どっちも嫌いだからいらない。あ、そのサーモンくれ!」
「お前、人の皿ばっか見てないで桶を見ろよ、桶を」
「暗くてネタが見えねーんだもん、仕方ねぇだろ」
棕櫚の皿からサーモンを奪い取る朱理に鶴城が苦言を呈していると、背後の席から荘紫が叫ぶ。
「おーい、朱理ー。ちゃんとウナギ食えよー」
「あーいー。えーと、これウナギ? アナゴと区別がつかねぇ」
「俺たちの桶にアナゴは入ってないよ。はい、ウナギ」
「さんきゅー、棕櫚」
「ウナギって、なんで突然?」
「なんか、ウナギにはなんたらって成分が多くて、なんたら不足に良いらしいよ。来る途中で荘紫が言ってた」
「大事な部分が軒並み抜けてて、何言ってんのか全く分からんぞ」
「レチノールね、ビタミンAの事だよ。おおかた、鳥目解消の話でもしてたんだろ」
「そうそう、それ。でも、先天性だと治んないって言われたー」
「後天性でも、子どもの頃に対処すればの話だからなぁ。大人になってからだと、完治はまず無理だろうな」
「流石、陸奥さん。文系のはずなのに、そんな事までよく知ってるな」
「あの人に出来ない事ってあるのかね……」
「朱理を落とす事じゃねぇの」
「さらっと爆弾落とすの辞めて、和泉」
そうして和気藹々と食事が進み、軈て朱理は箸を置くと、腹を撫でながら息を吐いた。
「うぁー、食った食った。美味かったー」
「あれ、もう良いの? 相変わらず食べないねー」
「これでも頑張った方よ。こう暑くっちゃ、食欲も減るしさ」
「元々あんまり食べないしな、お前」
「まぁねー」
和泉に答えつつ、朱理は控え所をぐるりと見渡した。
「って言うかさ、せっかく皆揃ってんだし、まじで百物語やれんじゃね? 蝋燭もいっぱいあるしさ」
「それ本気だったの? まぁ、やろうと思えば出来ると思うけど……」
「やるとしたら、全員合わせて23人。大体、1人4、5話……か。難しくはない数だな」
「なんなら番頭とか、遣手とオーナーも呼べば1人3話くらいになんじゃん?」
「でも、誰が遣手に話し付けに行くの? 俺、怒られるの厭だよ」
「楼主はともかく、遣手はなぁ……。想像するだけでホラー……」
「俺も絶対、厭だからな。言い出した朱理が行けよ」
棕櫚、鶴城、和泉が苦い顔で言うのを見て、朱理は嘆息しながら鶴城を指差した。
「わーかったっての。ったく、皆びびりなんだから。その代わり煜さんには鶴城が行けよ。オーナーは、遣手が良いっつったら付いて来んだろ」
「楼主の扱いが雑過ぎないか、お前」
「て言うかここ最近、俺が番頭担当みたいになってるのは何でだ?」
きょとんとする鶴城に、朱理は冷ややかな視線を向け、苛ついた声音で一蹴する。
「韻踏んでんじゃねーよ、さっさと行け。なんなら帰ってくんな」
「ええっ!? ちょ、なに!? なんかお前、急に冷たくない!?」
邪険にされて動揺する鶴城に、棕櫚は苦笑しながら答えた。
「あー……この子はアレよ。もう苛々してんのよ、お前の鈍さに」
「鈍さってなんだよ。俺、なんか悪い事したか?」
「何もしないから苛々されてんだろうが。良いから早く行って来い」
「えぇ……和泉まで冷たい……。なにこれ、どういう事……?」
「んじゃ、俺は遣手と話してくっから。皆に伝えといてー」
「行ってらっしゃーい。足元気を付けてねー」
困惑する鶴城を残し、朱理は懐中電灯片手に、そろそろと控え所を出て行った。
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