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第七章
第八十一夜 【君を愛す】※
しおりを挟む午前0時。座敷へ上がった卯田は、二人きりになった途端、膳にも手を付けずに朱理を抱き締めた。
「っ、卯田さん?」
「……良かった……本当に良かった……!」
顔は見えないが、卯田の声は僅かにくぐもっている様で、朱理は少なからず動揺した。
「どうしたの? 泣いてるの?」
「……そりゃあ涙も出るさ……。これほど安堵したのは、久し振りだからね……」
そう言って身体を離した卯田は涙ぐみ、嬉しそうな笑みを浮かべて朱理の頬を両手で包む。
「おかえり、朱理。私はその笑顔が戻った事が、嬉しくって堪らないよ……」
「…………」
朱理は、卯田の愛情溢れる言葉に胸が熱くなった。
同じく泣き笑いの様な表情で、ただいま、と呟き、卯田の手に自分の手を添えた。
再びその腕に優しく抱き締められ、朱理も抱き返す。
「嗚呼……本当に、こんなに嬉しい事は無いよ……。良かったね、朱理」
「うん……有難う、卯田さん。心配かけてごめんね」
「……っはは。どうも歳の所為か、直ぐ涙腺が弛むねぇ。恥ずかしいなぁ」
「ちっとも恥ずかしくなんかないよ。それだけ心配してくれてる証拠でしょう。俺は果報者だよ、こんなに大事にしてくれる人が居るんだもの」
「うん、うん……。私はお前さえ幸せで居てくれれば、それだけで充分だ」
「厭だなぁ、もう。卯田さんには、何もかもお見通しなんだから」
「そりゃあそうさ。私はお前が吉原へ来たばかりの頃から今まで、ずっと見守ってきたんだからね」
卯田は朱理が入楼して、未だ客を取らない新造の頃から目を掛けてきた。客を取る様になれば直ぐに馴染みとなり、指名変えもせず、今までずっと朱理の元へ登楼し続けているのだ。
並々ならぬ愛情を注がれて来た実感は、十二分にある。
卯田に限っては、朱理もなぜ自分なんかに、とは思わない。そんな疑問を抱かせる隙も無い程、有り余る深い情を感じるからだ。
其処に理由を付ける事の方が、野暮な気さえする。
何もかもを受け入れ、長年、大切に想い続けてくれる卯田の様な客は、他に居ないだろう、と朱理は思った。
「卯田さんは俺にとって、凄く特別なんだ。信じてもらえないかもしれないけど、本当に大切な人だと思ってるよ。貴方の代わりは、誰にも務まらない」
「私も同じさ。お前が大事だよ、誰よりも。お前の様な子に出逢えただけで、至上の人生だったと言える程だ」
「もう、またそうやって今際の際みたいな事ばっかり言うー。俺にとって卯田さんは唯一無二なんだから、長生きしてもらわなきゃ困るよ」
「勿論、お前が年季明けするまで死ねないさ。必ず見送ってあげると、決めているのだからね」
「うん、必ずだよ」
そんな事を言いながら寝屋へ赴く。
その日の卯田は普段の穏やかな行為ではなく、少し強引で雄々しかった。
長い口付けをされながら内腿を撫で上げられ、後孔へ侵入した指が激しく動かされる。口付けの合間に堪え切れない嬌声が漏れ、更に深くこじ開けられる感覚に欲情する。
軈て馬乗りになった卯田は朱理の膝裏を持ち上げ、自身を捻じ込む様に腰を進めた。両手首を布団へ縫い止められ、深く、強引に根元まで突き挿れられて揺さぶられる。
「んぁッ!! ァっ、ン! ぅ、たさんッ……深いィ! そ、なに……したら、すぐ……ィ、あァっ!!」
「嗚呼……愛おしくて堪らない……。朱理……お前を愛しているよ……心から……」
「……ッ、アっ、ん゙、ん゙! は、ぁっ!! っ……んぅ!」
初めて卯田が明確に口にしたその言葉に、背筋が粟立った。
好きだの愛してるだのと、寝屋での睦言には慣れているが、卯田の口から漏れたそれは重みが違い、脳髄の深くまで染み渡る。
愛していると仮初めに応える事は簡単だが、卯田に対してはしたくなかった。恐らく卯田も、見返りを求めている訳ではないだろう。
真摯に愛を注いでくれる者に応えられないと言うのは、いつまで経っても慣れない。
同じ想いを返せない代わりに、朱理は卯田の首にしがみ付き、何度も繰り返しその名を呼んだ。
珍しく性急に事を終え、少々、息が上がっている卯田の腕に抱かれる。
軈て、ぼんやり天井を見つめていた卯田がぽつりと言った。
「……随分、久し振りに肌を合わせた気がするよ」
「そうだね。ここの所ずっと添い寝ばかりだったから……2ヶ月振りくらいかな」
「すまないね、年甲斐も無くがっついてしまったよ。身体は平気かい?」
「うん、凄く気持ち快かった。卯田さんこそ大丈夫?」
「はは、大丈夫さ。流石に少し疲れたけれど、久々にお前を感じられて幸せだよ」
「なら良かった。あんな野性的な卯田さん、珍しいから興奮しちゃった」
揶揄う様に言う朱理に、卯田は苦笑を漏らす。
「そりゃあ、たまには私も獣になるよ。こんなに綺麗なお前が、目の前で微笑んでいるんだもの」
「えー? ちゃんと見えてる? そんなに綺麗なもんじゃないよ」
「いいや、綺麗さ。私が言っているのは見てくれだけじゃあない。お前の中から溢れる物の全てだと、いつも言っているだろう」
その言葉を受けて、朱理は卯田の胸板に顔を乗せながら真剣な声音で問うた。
「……俺、戻れたと思う?」
「未だ少し不安定な部分もあるが、概ね、戻った様に思うよ。お前ほどの子が様変わりしてしまうくらい辛かったんだ。多少の不安が残るのは、仕方のない事だね」
「俺は心が弱いから……何にでも直ぐ、一喜一憂してしまうんだよ」
「どうかお前の愁いが一日も早く祓える様、願っているよ。私の命が尽きるまでね」
「ふふ、有難う。……ねぇ卯田さん、俺は貴方の最期に会えるかな」
「どうだろう、死に目は流石に難しいかもしれないね。お前はその頃にはきっと、とうに吉原を出ているだろうから」
「それは厭だな……。一筆書いておいてよ、朱理に連絡する様にって」
「ははは。危うくなったら、必ず連絡するよ。突然の事なら、どうしようも無いけれど」
「必ずだよ。何処に居ようと、絶対に逢いに来るから」
「ああ、勿論さ。私としても、お前に見送られて逝けるのなら、それ以上の幸せは無いからね」
「……俺には、それくらいしか出来ないから……」
「充分だよ。さあ、疲れただろう。少しお眠り」
「うん……」
そんな話をしながら優しく頭を撫でられ、襲い来る眠気に目蓋を閉じる。眠りの浅瀬に、再び優しい声音で愛してると囁かれた様な気がした。
静かに夜の帳が降りる、穏やかな一日の終わりだった。
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