万華の咲く郷

四葩

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第六章

第七十三夜 【理性的な野獣】

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 23時。揚屋あげやにて、ゆったりと盃を傾けながら、たかむら朱理しゅりを見遣る。
 何を話すでもなく、目を伏せて空いたはいに酒をぐ仕草に、思わず感嘆の吐息が漏れた。

「いつ見ても優美だな、お前の振る舞いは」
「そう? 普通でしょ」

 答えながら提子ひさげを傾け、微笑む表情から流れる髪、華奢な指先に至るまで、篁を見惚れさせる。 
 色気も勿論あるが、それを超える流麗りゅうれいさが、所作しょさのひとつひとつからかもし出されている。
 本人が意図していない所為か、あざとさを微塵みじんも感じさせない。
 篁は、そんな朱理を見るのが好きだった。

「珍しいね、こんなに揚屋でゆっくりするなんて。いつもせっかちに座敷へ上がりたがるくせに」

 悪戯っぽく紫煙を吐きながら笑う朱理の手を握り、微笑み返す。

「ここの所、少々がっつき過ぎたからな。それに、今日のお前はいつもと雰囲気が違う。……いや、戻ったと言った方が正しいか」
「ん?」

 小首を傾げて微笑わらう姿も可愛らしく、篁は益々ますます、気持ちが上がるのを自覚しつつ、誤魔化ごまかすように煙草を咥えた。
 愛用のデュポンを擦るが、ガスが切れたらしく火が点かない。そこへ、朱理が煙管きせるに差し込まれている己の煙草を差し出した。
 虚をつかれた篁の顔に、朱理は無邪気に笑って言った。

「火、あげるよ」
「驚いたな。そんな事を言ってくれるなんて、初めてじゃないか。お前は、こんな真似はしないタイプだと思っていたよ」
「誰にでもはしないさ。でも、ガスが切れたまんまじゃ可哀想だ。取り敢えず今はこれで点けなよ。見世に着いたら、マッチをあげる」
「ああ、有難う」

 朱理の煙草を火種に貰い、数度、吹かして火を点ける。

「いつも隙の無い篁さんが珍しいね。何かあったの?」
「まぁ……少しな。大した事はない」
「ふうん。通い詰め過ぎて、仕事が溜まってるとかだったりして」

 揶揄からかう朱理に篁は首を振って見せたが、ぐに笑みを引っ込めて思案気しあんげに眉をひそめた。

「そうじゃない。……が、お前には話しておいた方が良いのかもしれんな」
「………?」

 真剣な顔付きになった篁を、朱理は怪訝そうに覗き込む。どう見ても楽しい話では無さそうだ。

「実は俺の親父がな、我々の親団体に当たる、出茂会いずもかいの執行部に居るんだが、近々、登楼する事になるかもしれない」
「親父って、まさか実のお父さん?」
「いや、親分という意味さ。此方こちらの世界には親や子、叔父おじ等と呼ぶ上下関係があるんだよ。繋がりの濃さを示すパラメーターの様なものだ。お前たちも、師弟を兄弟分としているだろう?」
「ああ、なるほど。で、なんでそんな大物っぽい人が来るの?」
「単なる冷やかしだろうと思うが……。俺がお前に入れ上げていると知った親父が、面白がって見てみたいと言うんだ。全く……あの人の気紛れには、いつも手を焼かされる」

 篁は苦々しく紫煙を吐く。
 吉原では親子丼や穴兄弟など珍しくもないが、当人らにとって良い気はしないだろう。
 その上、篁でさえ登楼にこぎつけるまで、あれ程の苦労をしたのだ。更に上層部の人間が来るとなると、また網代あじろ達が肝を冷やすな、と朱理も苦笑を漏らした。

「そりゃ、確かに面倒だねぇ。俺をげるのは、暇つぶしにしちゃ、時間と金の無駄だと伝えてよ」
「その辺りは話してあるんだが、構わんの一点張りでな。なんとか思い止まってもらう様、手を回している所さ」

 くくっ、と朱理は喉の奥で笑った。

ようやく篁さんへの疑念が晴れた所へ来られちゃ、やっぱり何か裏があると思われるわなぁ。しかも大幹部殿のお出ましとなれば、ウチも大わらわだ。最悪、篁さん諸共、登楼拒否になる可能性が出てくる訳か」
「やれやれ……親父はそう言う事に無頓着なんだ。お陰で周りが苦労する。もし俺が親父を止められなかった場合、また見世やお前に面倒を掛ける事になるかもしれん」
「俺は別に構わないさ。篁さんの時だって、俺は気にしちゃいなかったし。まぁ、見世は戦々恐々とするだろうけど」
「お前に会えなくなるなど、絶対に御免だからな。何としても親父を抑えねばならんが、ひと苦労どころじゃないんだ、これが」
「おやおや、元気なパパを持つと苦労するのね」

 朱理は笑みを含んだ声音で言いながら、盃をあおった。
 舌先で舐める様にして含み、口の中で転がしていると、握られた手に力がこもったのを感じる。

「ふふ……今、キスしたいって思ったでしょ」
「……何故、分かる」
「そりゃ分かるさ。篁さんって案外、分かり易いんだから」
「これでも仕事柄、ポーカーフェイスは得意なつもりなんだがな」
「顔なんか見なくたって、分かるんだよ」

 握られていた手が引かれ、寄り添う様に身体が密着した。
 ベルヴェストのスーツに、ムスクとガラムが染み込んだ独特の香りに包まれる。
 寄せられた耳元で低く、深い声が囁いた。

「……相変わらず、あおるのがうまいな。これでは益々ますます、親父に会わせる訳にはいかなくなった」
「パパがどうだか知らないが、俺は篁さんの小粋な所が好きなのさ」

 する、とジャケットのすそからのりの効いたシャツへ、てのひらを滑らせる。
 篁の耳元へ口を寄せ、なまめかしく囁いた。

「夜は未だ長いんだから……余計な事は明日、考えれば良いでしょ?」
「悪い男だよ、お前は。この場で押し倒さない事を、褒めて欲しいものだ」
「そう言う理性的な所も好き。そのくせ、寝屋ねやでは野性的な所もね」

 篁は色気を含む吐息を漏らした。

「やれやれ……。今日こそ、お前とゆっくり話してから、見世に行こうと決めていたのに」
「あははっ、もう降参? まぁ良いじゃない、続きは座敷でもさ」
「分かったよ。俺がお前に敵わんと知った上で言っているんだから、タチが悪い」
「だから最初に言ったでしょ? 俺は面倒だって」
「そういうお前が良いと言った筈だが?」
「はいはい。本当に酔狂な人だねぇ、篁さんは」
「酔狂な男は嫌いか?」
「んーん、大好き」

 そうして二人は仲睦まじく寄り添い合い、揚屋を後にした。
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