万華の咲く郷

四葩

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第六章

第七十一夜 【陽だまりの衣】

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 10時半。新造しんぞうらが一階の新造寝屋ねやから起き出す時間だ。
 新造たちの朝は忙しい。
 自身の支度だけでなく、直属の太夫や、新造の付いていない太夫の支度も手伝わねばならない。
 その他にも、楼主や遣手、番新の御用聞きや、座敷の掃除なども仕事の一環である。

「おはよう、榛名はるな妹尾せお
「おはよー、二人とも」
「おはよう」

 下手しもて新造の松雪まつゆき、榛名、妹尾が、大浴場の中にある洗面所で鉢合わせた。
 ふと、顔を洗い終えた榛名が、妹尾の着物に目をとめる。

「妹尾って最近、良い着物着てるよね」
「えっ……あ、ああ、うん」
「言われてみれば、小物も充実してるな。旦那衆だんなしゅに買ってもらったのか?」

 鏡に向かって髪を整えている松雪に問われ、妹尾は困惑しつつ答えた。

「いや……これは朱理しゅりさんが、もうらないからって……」
「えー! 良いなぁ、羨ましー!」
「妹尾はよく朱理さんに付いてるからな。可愛がられてるんだろ」
「どうなんだろう……。とても良くして頂いてるのは確かだと思う。でも、直属でもないのに、良いのかなぁ……」
「気にしなくて良くない? 要らないってんなら、俺が貰うー!」
「よせ、榛名。妹尾にその手の冗談が通じない事は分かってるだろ」

 小狡こずるそうに笑う榛名を、松雪が厳しい声でたしなめる。

「いや、要らないんじゃないんだけど……なんか申し訳なくて。断りたいけど、なんて言えば良いか分からないんだ」
「良いんじゃないのー、貰えるもんは貰っとけば。それ、京友禅きょうゆうぜんでしょ? 今の俺らじゃ到底、自腹で買える物じゃないしさー」
「そ、そんなに高価な物なのか……。それじゃ尚更、俺なんかには勿体ないだろ……」

 益々ますます、不安げに眉をひそめる妹尾の肩に、松雪が優しく手を置いた。

「頂いた物は、大事に使えば良い。まぁ、最近の朱理さんってちょっと趣味変わったみたいだし、本当に着ないんだと思うぞ」
「あー、確かにー。ここんとこ、黒無地ばっかり着てる気がするね。顧客も益々増えてるしさー。買ってくれる旦那衆には困らないでしょ」
「うん……」

 妹尾はきゅっと着物のそでを掴んでうつむいた。
 固く口止めされているが、朱理が与えてくれるのは服や小物だけではない。何かと理由を付けては小遣いを渡されたり、時折、着物にとんでもない額の小切手が挟まっている事もある。
 返そうとするが、毎回やんわりかわされるのだ。
 自分に借金があるからだと言う事は分かるが、直属の新造でもないのにそこまでして貰うのは、やはり気が引ける。
 何とか恩返しがしたいと思い、太夫替えを申し入れた事もあった。
 しかし、直属となる新造の生活費などは、兄貴分である太夫が負担せねばならなくなる。逆に面倒をかける事になるのだと、遣手に一蹴いっしゅうされてしまった。
 ふと、たかむらの座敷へ上がった夜の事を思い出す。
 弱っていた朱理が、吉良きらと自分を抱き締めた腕は優しく、温かかった。他意無く人に抱き締められたのは、何年振りだっただろうか。

────────────────

 妹尾は17歳の頃に両親が揃って蒸発し、天涯孤独の身となった。
 父親が経営していた会社が倒産し、家のローンも払えずに膨大な借金を抱え、闇金にまで手を出していたのである。
 毎日、昼夜問わず押し掛けてくる借金の取り立てに、怯えて過ごした子供時代だった。
 そしてある日、妹尾が高校へ行っている間に、両親は身の回りの物と共に消えていた。書き置きひとつ残っていない、がらんとした部屋で、妹尾は呆然と立ち尽くすしかなかった。
 運の悪い事に、両祖父母は既に他界しており、親戚とも疎遠で、頼れる身内など居なかったのだ。
 最初こそ、置き去りにされた事を憐れに思った友人の親らが、生活費や学費の援助をしてくれていたが、次第にそれも少なくなっていった。
 学生だった妹尾には利子すら払えず、借金はかさむ一方だった。必死にアルバイトをして、節約に節約を重ねても、精々、学費を払う事くらいしか出来なかったのだ。
 奨学金を貰いつつ、なんとか大学を卒業して稼ぎの良い仕事を探していた所、この見世を見つけた。
 幾許いくばくかの抵抗はあったが、とても普通の仕事で返せる金額ではなくなっていた借金に背を押される形で、面接を受けたのである。

────────────────

 良い印象の無かった吉原だったが、この見世は妹尾の固定観念を根底からくつがえす場所だった。
 皆が等しく仲間意識を持ち、並々ならぬプライドを持って従事している。男娼と呼ぶのもはばかられる程、此処ここ娼妓しょうぎらは気高く、美しく、自分は場違いではないかと強く感じた。
 直属の太夫であるけい菲は真面目で優しく、熱心に教育してくれる。それ故に、頼る事も甘える事も出来ず、期待に応えなければと必死だった。
 そんな中、まるで季節の様に多彩な朱理と親しくなり、妹尾は産まれて初めて人の生き様に見惚れた。
 自分に向けられる笑顔が、此処に居ても良いのだと言われている気がして、どれだけ救われたか知れない。
 あの夜から、もう3ヶ月近く経つ。
 歳月としては短いが、その間に環境は目紛めまぐるしく変化した。朱理は太夫となり、自分たちは突き出しを終え、いつの間にか、あの眩しい笑顔は見えなくなっていた。
 何があったかなど知るよしも無く、ましてや聞けもしない。最近は、顔を見る機会すら減っている。
 それでも未だこうして見守ってくれているのだと、身にまとう着物から感じる温もりがあるのだ。
 どれだけ雰囲気や趣味が変わっても、やはり朱理は朱理なのだ、と妹尾は思った。
 自らも早く一本立ちせねばと決意を新たに、今日もせわしない一日が始まる。
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