万華の咲く郷

四葩

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第六章

第六十八夜 【総道中・後】

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──真面まともに目が合ったのは、何週間ぶりだろうか。
 其方そちらを向いたのは、本当に何となくだった。まさか向こうも此方こちらを見ていたとは、思いもしていなかった。しかも、あんな泣きそうな目で。
 総道中の真っ只中だと言うのに、どうしてそんな表情をしているのか分からなくて。でも、久し振りに見た顔がどうしようもなく愛おしくて。
 何故だか、つられてこっちまで泣きそうになった──

 知らず陸奥むつの手を握る力が強くなっていたらしく、身体を寄せて問われる。

「どうしたの、疲れた?」
「……いや、何でもない」

 ふ、と陸奥が微かに笑う。

「相変わらず、嘘が下手だね」
五月蝿うるさいよ。黙って歩け」
「良いじゃない、別に喋っちゃいけない決まりでもないんだから」
「良くねぇわ。集中しろ」
「そろそろ半分超えた頃か。なぁ朱理しゅり、お前忘れ物したろ」
「はぁ? してねぇよ」

 陸奥は握り合った手とは反対の腕をふところに入れると、真朱まそほかんざしを取り出した。
 それを見て、嗚呼、そう言う事かと理解する。

「必ずつけてって言ったろ」
「悪いけど、着飾るのは辞めたんだ。それはもう──」

 朱理が最後まで言い終わらない内に、くん、と腕が引かれた。急な事で足がもつれ、陸奥に倒れかかる。
 陸奥は持っていた簪を口に咥え、受け止めた朱理の身体を両腕で抱え上げた。ざわっと観客から驚きの声が上がる。

「……おい、何してんだ。降ろせよ」
「良いから、お前は大人しくお姫様になってて。あと、これ」

 陸奥は朱理の頭へ顔を寄せ、結われた後ろ髪に咥えていた簪を器用に挿し込んだ。
 その一挙手一投足の隅々まで色気に溢れており、周囲は感嘆の吐息を零す。

「これで良し。歩くより楽だろ? 注目度も上がるし、一石二鳥じゃないの」
「はぁ……好きにしろ」

 朱理はあっさり抵抗を辞め、陸奥の肩口へ気怠そうに腕を掛けた。
 小首を傾げながら陸奥に撓垂しなだれ掛かる様は、妖艶な色気をかもし出し、更に観客を興奮させている。

「ふふ、流石。ファンサービスも欠かさない辺り、抜け目が無いね」
「まァ、これも仕事だからな」
「俺は役得だよ。皆にお前は俺の物だって事を、堂々と主張出来る」
「誰がお前の物だ。ただのアシだろ」
「お前がどう思おうと、世間がそうだと言えばそうなるのさ」
「あっそ。別にどうでもイイ」

 陸奥はもたれかかっている朱理の耳元へ、あざとく顔を寄せた。

「いつか、こうしてお前を抱えて道中したかったんだ。蝶二ちょうじさんや宇昆うこんさんが羨ましくてね。積年の願いが、ようやく叶ったよ」
「そりゃ良かったな」

 朱理は心底、興味無さそうに返事をする。

「もっと抵抗されると思ってたけど、意外とすんなり受け入れてくれたね。どうして?」
「別に。確かに歩くより楽だし目立つし、世間がどう見たって構わんからさ」
「あ、そう。ならキスしても良いよね?」
「阿呆か、良いワケねぇだろ。見世の品格に差し障るわ」
「なーんだ、残念。本当はキスだけじゃなくて、お前と繋がったまま道中したいくらいなのに」

 朱理は呆れ返って嘆息した。

「お前さぁ……一体、どこまでイカレてんの?」
「俺は出逢ってからずっと、お前にイカレてるよ」
「はいはい」

 陸奥はぐっと顔を寄せ、朱理を覗き込んだ。

面紗めんしゃなんてつけちゃって、まるで結婚式みたいだと思わないか?」
「思わないね。こんな禍々まがまがしい結婚式があってたまるか。前見て歩けよ、転んだら許さないからな」
「朱理、お前を愛してる。初めて見た時から、今も、これからもずっとだ」
「…………」

 鼻が付きそうな程の距離で、甘く囁かれる。
 誰もが虜になる様な完璧な容姿、低く柔らかく耳朶じだに染み入る声音、真っ直ぐ愛を囁く一途さ。人のうらやむ全ての魅力を持ち合わせていながら、どうして自分なのだろう、といつも思う。
 自分には何も無い。あの見世で働けている事が不思議な程、凡庸ぼんようだ。器量が良い訳でも、頭が良い訳でも、芸に優れている訳でも無い。
 ただ、しとねでどうすれば相手が悦ぶか分かるだけだ。どう見て、どんな仕草で、どんな声を使えば相手をその気にさせられるか、分かるだけだ。
 今にも唇が触れ合いそうになった時、陸奥の後ろから低い声が掛かった。

「そこまでだ、陸奥。あまり勝手をするな」

 網代あじろの怒気をはらんだ声音に、ぴたりと陸奥の動きが止まる。やれやれ、と口の中で呟いたのが分かった。

「男の嫉妬ほど手に負えない物は無いね」
「当然の叱責だと思うぞ」
「ふう、仕方ない。お前を抱いていられるだけでも、良しとするよ」
「そうしろ。この状況だって充分、珍道中だ」

 と、朱理は妓夫ぎゆうを一人呼びつけ、何事か指示する。
 暫くすると、提灯持ちの後ろに大きな竹籠を持った妓夫が二人現れ、中から真っ赤な薔薇の花弁はなびらちゅうに撒かれた。
 見物人達から大きな歓声が上がる。

「こりゃ驚いた。相変わらず面白い事を思いつくね、お前は」
「紙吹雪なんて、汚れるだけでつまらないだろ? 前にもらった薔薇が綺麗だったから、ありったけ取り寄せたのサ」
「嗚呼、例の花屋の坊ちゃんか。媚び売る相手を見極める才はあるようだ。立派な跡取りになるだろうね」
「厭な言い方すんじゃねぇよ。無粋な奴だな」

 朱理は陸奥の腕の中で身体を伸ばし、舞い散る花弁をてのひらで受けては逃す。
 皆の上にひらひらと赤が散り、文字通り道中に華を添えていく。
 朱理のまとう漆黒に、その赤がよく映えた。

「なんで真っ黒なのかと思ったら、こう言う事か。何から何まで、綿密だねぇ」
「別にそんなんじゃない。どうせ吹雪ふぶかせるんなら、本物がイイと思っただけさ」

 後ろに続く娼妓らも、朱理のいきはからいに笑みを浮かべている。
 観客も花弁へ手を伸ばしたり見惚れたりと楽しそうだ。
 美しく着飾った太夫の行列に薔薇が舞い散り、この地獄を煮詰めた様な狭い世界で生き急ぐ者たちに、束の間の夢を見せている。
 己の身体に降る赤で衣装をいろどり、時折、溜まった花弁を観客へ降りかけながら朱理はわらう。その姿は妖美にして高貴な美しさを醸し出し、誰からともなく拍手が鳴り始めて、波紋の様に広がって行く。
 それはやがて、吉原中から沸き起こる喝采となった。
 夏の始まりを知らせるまばゆい陽光の元、真っ赤な花吹雪に何処からかしゃぼん玉が飛んで来て、玉虫色たまむしいろを添えて行く。
 まるで御伽噺おとぎばなしのひと幕の様な光景に、誰もが心底、楽しそうに笑い合っていた。
 そうして、かつて無い程の大盛況の内に、総道中は幕を下ろしたのだった。
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