万華の咲く郷

四葩

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第六章

第六十五夜 【夏至南風】

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 梅雨明け宣言がなされ、湿り気を帯びた夏風が吹く頃。万華鄉内はにわかざわついていた。

「あー、やっと梅雨が終わったかぁ。いよいよ夏だな」
ようやくこの湿気から解放されると思うと、清々せいせいするねぇ」

 ひかしょにて、鶴城つるぎ棕櫚しゅろが伸びをしながら言った。それを受けて、伊まりが思い出した様に声を上げる。

「ああ、もうそんな時期か。そろそろアレ、あるんとちゃうか?」
妓夫ぎゆうは皆、バタバタしてるしね」
陸奥むつさんも戻って来はったさかい、宣伝も兼ねたるらしなぁ」

 一茶いっさとけい菲がそれに答え、冠次かんじは相変わらずソファでタブレットをいじりながら不機嫌そうに顔をしかめた。

「面倒臭ぇなぁ、毎年毎年。ウチだけだろ、あんなド派手な事やってんの」
「だりーよな、正直。あちーわ、衣装代かかるわで、誰得だれとくだっつーの」
「そら、見世と客やろ。客っつーか、見物人か」

 冠次に同調する荘紫そうしを横目に、伊まりは諦めた顔で紫煙を吐いている。
 現在、話題になっているのは、間も無くおこなわれる予定の『総道中そうどうちゅう』である。
 これは万華鄉独自のもよおしで、毎年、夏至の日に見世の宣伝と威光を示す目的で、所属する全娼妓しょうぎが揃って吉原の町を練り歩くのだ。
 言わば花魁道中総集編の様な物であり、夏の始まりを告げる風物詩として定着している。
 今年は陸奥の長期出張がようやく落ち着きを見せた為、そのお披露目も兼ねているのだ。

「まぁ、新造の顔も広めなきゃならんし、これも仕事のうちよ」
「確かに、鶴城の言う通りだけどねぇ。しかしもうアレだなー、あさの衣装引っ張り出して来ないとなぁ」
「はーあ、上手かみては麻モン着れてええよなー。いっそ、がっつりオフショルにしたろかと思うわ」
「おー、色っぽくて良いんじゃない? 近頃の花魁に流行はやってるみたいだし、見物人も大喜びするだろ」

 男物の衣装を着る上手は、夏になると麻や絽の着物へ衣替ころもがえするが、下手しもては麻物の着用は出来ない。
 女性がきぬ以外の物を着る事は非常識とされている為、下手もそれに従っているのだ。女性の場合は、絽やしゃと呼ばれる絹性の薄物へ衣替えを行うのである。
 現在では、装飾の一環いっかんとして毛皮やレースの羽織、小物、飾り帯の使用が許可されている為、年々、和装も多様化している。
 夏になると綿めん浴衣ゆかたで出歩く女性が多いが、本来、浴衣とは寝間着ねまきであって正装ではない為、吉原で外出時に浴衣を着る者は居ない。
 鶴城、棕櫚、伊まりがそんな会話をする中、けい菲が伊まりに念を押しつつ、思案気しあんげな声を上げた。

「肌出すんはええけど、日焼け止め忘れんときやぁ。俺も軽いやつ探さなあかんけど……ほんまに、これからの時期、昼の道中は困りもんやわぁ」
「いっそ総レースとかにすれば良いんじゃねぇの、けい菲は」
「かなんよ冠次、色々コンプライアンスに引っ掛かるやろぉ」
「中になんか着りゃ大丈夫じゃね? 汗取りも兼ねてさ。紗もレースも、透け感は似た様なもんだろ」
「おー、それで良いじゃねぇか」
「うーん、そやけど、焼けてまうのんは困るしなぁ……」
「阿呆どもの言う事いちいち間に受けんなや、けい菲。まぁ、日焼けは傘差しに任せといたら大丈夫やと思うけど」
「ああ、そうやねぇ。やったら、レースも有りかもしれへんなぁ」
「まじかお前……」

 冠次と荘紫の言葉を受けて真剣に悩んでいるけい菲に、流石の伊まりも引き気味で眉をひそめている。

「あーあ、下手は衣装で遊べて良いよなぁ。上手って、派手にするならにもかくにも、いろいろ着ない事にはどうにもならないよぉ」
「棕櫚はもう充分、派手だから良いじゃねぇか。俺らはあんまり見た目いじれねーもん」
「そうだねぇ、俺も髪とか中途半端な長さだし。アクセサリーとかで何とかするしかないよねー。あとは帽子とかかなぁ?」
「荘紫も一茶も、キンパに茶髪で派手な方だろ。お前らより俺や景虎かげとらが困るっつーの。あーくそ、考えるのも面倒臭ぇわ」
「確かに、冠次と景虎はほぼ刈り上げで短いもんな。お前も少しは伸ばしたら?」
「厭だ、鬱陶しい」
「えぇ……じゃあ文句言うなよ……」

 娼妓らはもっぱら、道中の衣装について盛り上がっていた。
 当然ながら、総道中は衣装や装飾品も普段の道中より一層いっそう華美かびな物が求められるのだ。わざわざこの日の為に買い付ける娼妓も、少なくない。

「次、仕立て屋が来たら新しいの頼もうかなぁ。どうせ掻き入れ時って分かってるだろうし、良い物たくさん仕入れてるでしょ」
「だろうな。仕立ててもらった方が、考えるより楽だわ」
「後は、色味がかぶらない様に気を付ければ大丈夫だねー」

 一茶のひと言に、荘紫がうんざりした様にうめいた。

「あー、それ忘れてた……。くそ、まじ面倒臭ぇー。こんだけ人数居て被らねぇとかある?」
「まぁ大体だいたいお決まりの色あるし、今まで通りやったら大丈夫やろ。太夫とモロ被りせん限り、微妙にちゃうかったらいけるて」
「お前ら、太夫なんだからさっさとイメージ出せよ。じゃねぇと俺らが困る」

 思いきり不機嫌そうな冠次に急かされ、棕櫚が答える。

「俺は小紫こむらさきと黒だよ。ファーはもう時期的にしんどい。鶴城は?」
「俺もいつも通り、黄丹おうに黄蘗きはだだな。がらは多少被っても仕方ないだろ」
「陸奥さんも今まで通りかなぁ。俺、青系で被るからちょっと心配……」
「大丈夫じゃねぇの? 一茶は孔雀青くじゃくあおと白の袴だろ。あの人は瑠璃るりが基本で、差し色は飴色あめいろとか紅柑子べにこうじ使ってくるだろうし」

 ふと、首を傾げて頬に手をやりながら、けい菲が呟いた。

「後は和泉いずみがどないすんかやなぁ。朱理しゅりは多分、赤系と黒やろうさかい」
「和泉の使ってる色って、絶妙なの多いからなぁ。あれ何色っつーの? 薄藤うすふじ?」
「多分、そうなんちゃう? 藤色よりちょい淡い感じやな。被りゆうても、香づきはどーせ派手な本紫ほんむらさき紅桔梗べにききょうやし」

 伊まりの言葉に荘紫が苦笑する。

「あー、香づきなぁ……。髪もピンクだし、なんなら彼奴あいつが一番派手なんじゃねぇかって、いつも思うわ」
「ふふ、確かに。色味で言えばほぼ原色やさかいなぁ」
「……朱理、まさか趣味まで変わったりしてないよね……」

 笑い合う一同の中、ぽつりと一茶が漏らした言葉に空気がきしむ。
 陸奥との一件が落ち着いたとは言え、もう以前の様に朱理が控え所に来る事は無くなっていた。
 前ほどでは無いにしろ、昼見世ひるみせの早出も続けており、夜まで戻る事はほとんど無い。朝も客を見送るとふらりと何処かへ行き、自室に居る事は皆無だ。
 たまに見かける見世での姿は、漆黒の毛皮を素肌にまとっただけのしどけない物である。以前から襦袢じゅばんに肩を落とした打掛うちかけというゆるい格好だったが、取り巻く雰囲気も顔つきも、まるで別人だ。

「駄目なんだろうな、未だ……。やっと落ち着いたばかりだし、もう少し待ってれば、きっと…………」

 みなまで言わない鶴城に、誰も答えない。答えられないのだ。
 本来なら今年もこの場に朱理が居て、同じ様に盛り上がっていた筈だ。今まで確かに居たその空間には、まるで目に見えぬ穴がぽっかり空いている様で憂苦ゆうくを誘う。
 誰もが願うのはただ、以前の様に皆で笑い合う事だけだった。
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