万華の咲く郷

四葩

文字の大きさ
上 下
64 / 116
第五章

第六十夜 【いろに吹き散る】

しおりを挟む
 午前11時半。ひかしょの机の上に、ぐったりした棕櫚しゅろ鶴城つるぎが頭を乗せていた。

「はぁー……もう限界……。しばらく二階で寝ようかなぁ、俺……」
「それな……寝不足がまじやばい……。寝屋使って良いか、楼主に聞いてみようぜ……」

 目の下にくまを作っている二人に、荘紫そうし一茶いっさいぶかしげな声を掛ける。

「なんだよ、太夫様が揃って朝から不景気なつらしやがって。そんなに忙しかったなら、結構な事じゃねぇの」
「大丈夫? 眠れなかったの?」
「いや、仕事とかじゃなくて……部屋っつーか、三階が無理……」
「は? 贅沢言ってんなよ。そんなに厭なら、俺が変わってやろーか?」

 にまにまと鶴城を覗き込む荘紫に、棕櫚が苦言を呈する。

「辞めた方が良いよ、寝れないから……」
「だから何なんだよ。なんで寝れねぇの?」
「今、陸奥むつさん帰ってきてるから……。毎日毎日、朝昼晩、もう凄いのなんのって……。ねぇ、鶴城……」
「んー……。いつ寝てんのか不思議なくらい……。陸奥さん、性欲まで規格外だったわ……」

 その言葉に、荘紫達は嗚呼ああ、と複雑な声を漏らした。
 陸奥が戻ったという事は、すなわ朱理しゅりを囲っているという事なのだ。

「まじかよ、そんなすげぇの?」
「それは確かに眠れないかもねぇ。あの子、声大きいし」
「それもあるけど……なんて言えば良いのか、分かんない……。とにかく困る……」
「激しい……。何してんだか知らんが、凄ぇ音したりして、普通に吃驚びっくりする……」
「助けに行った方が良いかって、ハラハラするし……。心臓に悪い……」
嬌声きょうせいも、あそこまでいくと悲鳴だよな……」

 げそっとする鶴城と棕櫚が、交互に口にする内容に、荘紫達は眉をひそめた。

「お、おお……それは厭だな。ってか、なんだよ悲鳴って、やべぇじゃん」
「最初、しばらく休んでたし……何されたのかなぁ……。心配だけど聞きづらいし……」
「けど、遣手が一番凄いよな……真隣まとなりだぜ? よくあんな部屋に居られるわ……」
「いや、ほんとそれ……。あー、でも、もしかしたら部屋戻ってないんじゃない? 普通の神経じゃまいるでしょ……。って言うかキレるでしょ……」
「あの人が普通の神経かどうかは、はなはだ疑問だけどな……。しかし、それは流石に居られねぇだろ。どっか空き部屋とか使ってんじゃねぇの」
「やっぱそうかな……。あー、つらい……。精神的にも肉体的にも……」

 荘紫は再び、にやりとしながら二人を覗き込む。

「で? どんな声すんのか詳しく教えろよ。お前らだけずりぃぞ」
「お前……俺らのこの姿見て、よくそんな目ぇキラキラさせて聞けるな……」

 じとりと荘紫を睨む鶴城の代わりに、棕櫚がうんざりした顔で答えた。

「〝もう無理、いや、やめて、助けて〟……後はもう言葉になってないよ……。俺、陸奥さんがあんな鬼畜だとは思ってなかった……」
「こないだ顔合わせたからさ、軽く言ったんだよ、ちょっと激しくないですかって。そしたらあの人、抱き潰した朱理が一番綺麗なんだ、ってめちゃくちゃ良い顔で言い放ったんだぜ……」
「え、怖。それ完全にサイコパスだろ。助けてやれよ」
「朱理が可哀想かわいそうだよ。どうにか出来ないの?」
「無理でしょ……。色事いろごとなんて本人たち次第だし、何より朱理は買われてる訳だから。部外者が口出すのはねぇ……」
「遣手が許してる以上、俺らに文句言う権利はねぇんだよ。だからこんなになってんだっての……」

 一茶が真面目な顔であごに手を遣る。

「朱理が厭だって言えば、それまでなんだけどねぇ……。付き合ってる訳じゃないんでしょ? あの二人」
「んー……朱理は付き合ってないって言ってた……。あくまで仕事だってよ」
「はぁ……ったく、朱理も朱理で、相変わらず溜め込み性と言うか、我慢性と言うか……」
「あの子、最近〝見世の為〟が口癖になってる……。雰囲気もおかしいし、明らかに悪影響だよ、こんな状況……」

 苦々しい顔をする荘紫と棕櫚に、鶴城は溜息混じりに呟いた。

「それに反して人気はうなぎのぼりって、皮肉な話だぜ……」
「確かに最近変わったよな、彼奴あいつ。前より色気が増したっつーか、更に凄味すごみが増した」
「でも……この頃、朱理が本当に楽しそうに笑ってる所、見た事ないよ」

 一茶の言葉に、一同は二の句が継げなくなる。
 皆、どこかで誤魔化ごまかしている自覚はあるのだ。ここ最近、見世に漂ういびつな雰囲気と不穏な空気は、ささくれの様に皆をちりちりと刺激している。
 明らかに様変さまがわりした朱理の事、朱理を囲う陸奥の事、全てを黙認している遣手の事。
 皆が気になりつつ、触れてはいけない腫物はれものの様に、遠巻きにしているのだ。
 何故ならそれらの裏には、自分達の及び知らぬ事情があると、分かっているからだ。
 朱理がその身を犠牲にしている〝何か〟。陸奥がしょっちゅう出掛けては疲労をにじませて戻って来る〝理由わけ〟。そしてそれらを一切、見ないふりで通す遣手。
 正にその全員が〝見世の為〟に行動している結果なのだ。何ひとつ事情を知らず、いち従業員に過ぎぬ娼妓しょうぎらが、簡単に首を突っ込めるはずも無い。
 苦渋をはらむ沈黙だけが、控え所を包んでいた。

────────────────

 午前3時。仕事を終えた黒蔓くろづるは一人、中庭に出ていた。
 自室には戻りたくない。
 あの二人の楽しげな声も、朱理の嬌声きょうせいも、立てる物音のひとつに至るまで聞きたくなかった。
 中庭の一角いっかくにある藤棚ふじだなが美しく咲き誇っており、其処そこたたずんで煙草に火を点ける。
 厭でも三階の角部屋へ目が行くが、ふすまが閉められている為に真っ暗だ。
 初夏の匂いがするとはいえ、まだ深夜は肌寒い。吹き付ける風が肌を刺したが、心の痛みよりはましだと思う。
 桜の大木はすっかり青々としており、つい数週間前に花見をした事が、遠い昔の様に感じた。
 決して離れないと言った手を離したのは、果たして何方どちらからだろうと考える。
 あの日、また後でと言ってから何日経ったか、黒蔓でさえ分からなくなっていた。

──何度も、何度も考えた。
 あの時、自分の判断は間違っていたのか。陸奥の要求をけていたら、今頃どうなっていたのか。朱理に判断を任せるのは、時期尚早じきしょうそうだったのか。
 いくら考えても答えは出なかった。
 まさか陸奥がここまでするとは、そして朱理にあんな影響が出るとは、本当に予想していなかったのだ。
 今までどんな客を取ろうと、何人に抱かれようと、変わらず無垢なままだった心を踏みにじったのは、果たして陸奥か、自分か。
 それは簡単に答えが出た。自分だ。
 相手は客ではない。りに選ってあの男だというのに、それをあっさり許可した。
 己だけを一心いっしんに信じ、想い、愛してくれる子を、突き放したも同然だった。
 そんなつもりは無かったなどと、どの口で言えよう。見世の為だなどと、どの口で言えよう。
 もう、自分達は別れてしまったのだろうか。
 優しく温かかった日々が懐かしく、出来る事なら戻りたい──

 そんな黒蔓の想いに反して、朱理はますます人気をはくし、吉原でその名を知らぬ者は居ない程の名太夫に成り上がった。
 朝なゆうなと押し寄せ、吐き出される欲望を、全てその身に受け止めて、優しく送り出す。
 時折、戻って来るけだものに閉じ込められても、文句ひとつ言わずに従っている。
 うすら寒い笑みを浮かべ、迷子の様な瞳でたたずむ姿は危うげではかなく、痛ましいほど美しい。
 強く吹き抜ける風に、藤の花弁はなびらが舞っている。

──綺麗な物だけすくい上げて、見せてやると誓ったのに。
 苦しみや哀しみがお前に降り掛かるなら、この身を呈してかばってやりたかったのに。
 お前を傷付ける者は許さないと、心に決めていたのに。
 哀しみを降りそそいだのも、その心を砕いたのも、全て自分だった。
 だったらもう一度、この傷だらけの手で全て覆い隠して、傷も痛みも引き受けて、優しい瘡蓋かさぶたにしてやりたい。
 こんな馬鹿げた事を、一体、いつまで繰り返せば良いのだろう……──

 答える者は無く、独りで見上げる花弁が静かに落ちる。
 藤の花言葉は『決して離れない』。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

次男は愛される

那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男 佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。 素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡ 無断転載は厳禁です。 【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】 12月末にこちらの作品は非公開といたします。ご了承くださいませ。 近況ボードをご覧下さい。

有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺

高菜あやめ
BL
【マイペース美形社長秘書×平凡新人営業マン】会社の方針で社員全員リモートワークを義務付けられたが、中途入社二年目の営業・野宮は困っていた。なぜならアパートのインターネットは遅すぎて仕事にならないから。なんとか出社を許可して欲しいと上司に直談判したら、社長の呼び出しをくらってしまい、なりゆきで社長秘書・入江のマンションに居候することに。少し冷たそうでマイペースな入江と、ちょっとビビりな野宮はうまく同居できるだろうか? のんびりほのぼのテレワークしてるリーマンのラブコメディです

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

one night

雲乃みい
BL
失恋したばかりの千裕はある夜、バーで爽やかな青年実業家の智紀と出会う。 お互い失恋したばかりということを知り、ふたりで飲むことになるが。 ーー傷の舐め合いでもする? 爽やかSでバイな社会人がノンケ大学生を誘惑? 一夜だけのはずだった、なのにーーー。

騎士が花嫁

Kyrie
BL
めでたい結婚式。 花婿は俺。 花嫁は敵国の騎士様。 どうなる、俺? * 他サイトにも掲載。

君が俺を××すまで

和泉奏
BL
【執着攻め】ただ、いつもと同じように平凡な日を過ごすはずだった。 イラスト表紙、赫屋様

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

処理中です...