万華の咲く郷

四葩

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第五章

第五十六夜 【蠱毒】

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「あいつの様子は?」
「……あの日から入室はおろか襖を開けることも拒まれ、お姿は確認できておりません……」
「メシも食ってないな。いつも部屋の前に手付かずのぜんが置きっぱなしだ」

 黒蔓くろづるは紫煙と共に深く嘆息した。
 14時半。娼妓しょうぎらは昼見世ひるみせに出はらい、静まりかえった番頭台で、東雲しののめと黒蔓はそんな話をしていた。陸奥むつが再び見世を出てから4日目である。

「一体、いつまで続くのでしょうか……。お食事くらいらねば、本当に体が持ちません……」
「そうだな。身上がりした分も含めてほぼ1週間、馴染みをことごとくキャンセルし続けで苦情の山だ」
「……そう、ですね……」

 そんな事が問題かと言いかけて、東雲はぐっとこらえた。
 事実、卯田うた蘆名あしなら古馴染みからたかむら神々廻ししばにいたる新馴染みまで、朱理しゅりはどうしたのかと毎日のように問いただされている。
 ちまたでは重い病だの、酷い怪我だの、足抜け、駆け落ち、果ては自害したとまで尾鰭おひれの付いた噂が広まっていた。
 放っておけば復帰した時、相当な悪影響が出るだろう。言い訳して誤魔化ごまかすのも限界に近いのだ。

「しかしまぁ、あんなあざだらけで引っ張り出したところで、仕事にならんしな。もう消えてても良い頃だと思うんだが、お前が入れてもらえねぇんじゃ、確認のしようも無い」
「数が数でしたし……。シーツに血が付くほど濃くて、腫れも相当でしたから……。まだ、かかるかもしれません……」
「なんであいつは毎度毎度、面倒な奴に絡まれるんだろうな。何処も彼処かしこも傷だらけじゃねぇか」

 黒蔓は眉間に深い皺を刻んだまま、再び溜め息をついた。あの日、目の当たりにした惨状を思い出した東雲は、小刻みに震えている。
 皮膚を吸い上げれば鬱血するのは当然だが、それがあまりに強く激しいと毛穴から血液が吹き出し、腫れ上がって打ち身のような状態になる。そこまでいくとただの内出血ではなく、痛々しい傷も同然だ。

「……何故、身上がりを許されたのですか……?」
双方そうほうが望んだからだ」
「貴方なら……こうなる事は、予想できたのではありませんか?」
「そんな訳ねーだろ。利口な陸奥がここまで無茶するとは、俺だって思ってなかったさ」

 嘘だ、と東雲は思った。よりにもよってあの二人なのだ。無事に済むはずがない事くらい、簡単に予想が付く。
 見世のため、仕方なく下した判断だという事は分かるが、御職おしょくを張る太夫二人が揃って不在という現実は、既に多大な不利益を生じさせている。
 陸奥は致し方ないとしても、朱理は日に日に番付を落とし、目に見えて予約数が減っている。このままでは確実に、売り上げは以前の半分以下となるだろう。先を見据えるどころの騒ぎではない。そんな事は、黒蔓なら分かりきっているはずなのだ。
 東雲は強くこぶしを握り締め、なぜ貴方は何もしないのか、と問い詰めたくなるのを押しとどめる。
 そこへ、苦い顔の網代あじろが頭を掻きつつ、内所ないしょから出てきた。

「参った……篁様は相当おかんむりだ。いよいよ見世に乗り込んできそうな勢いだぞ」
「ほっとけ、そんな極道者。事情も知らねぇ新参のくせに、少しはわきまえろってんだ」
「卯田さん達もだ。せめてひと目、見舞いだけでもと食い下がってくるのをかわすのも、もう厳しいぞ」
「ったく……。何奴どいつ此奴こいつもうるせぇんだよ、ちくしょうめ」

 苛々いらいらと煙草を噛み潰しながら、黒蔓は舌打ちする。

「こうなったら仕方ない。お前が動かないなら、少しでも顔を見せるよう俺から言ってくる」

 溜め息混じりの網代の言葉に、黒蔓はぴくりと反応したが、すぐに顔を逸らせて紫煙を吐いた。

「……そうだな、お前が行くほうが良いかもな。ついでに〝打ち身〟が消えてるか、しっかり確認してきてくれ」
「ああ。あいつが許可してくれればな」

 網代は苦く笑って階段を上って行った。



 静まり返った三階の廊下。突き当たりにある部屋の前に立ち、ひとつ息をついて声を掛ける。

「朱理、網代だ。入って良いか?」

 少し待ってみるが、中からは返事どころか物音もしない。

「開けるぞ」

 そう言って襖を開くと、室内はだいだい色の間接照明のみで薄暗く、煙草の煙でかすみがかっていた。遮光用の窓襖はぴったり閉ざされ、まるでこの部屋だけ夜中のような錯覚を起こす。
 朱理は漆黒の兎毛ともうをしどけなくまとわりつかせ、寝具に寝そべったまま煙草をくゆらせていた。

「朱理……?」

 怪訝そうに声を掛ける網代へ視線を寄越よこすと、朱理はゆっくり上体を起こし、目を細めて口角をつり上げた。

「……なンだ、オーナーか。久し振りィ」

 ぞっとするほど濃い色気と妖艶さに、網代は思わず息を飲んだ。ねばつく笑みを含んだ声音は、いつものそれとはまったく別物で、本当に同一人物かと疑うほどである。

「あ、ああ……。少し話したいんだが、良いか……?」
「んー、どーぞォ」

 愉快そうに答える朱理に戸惑いながら、無意識に忍び足で敷居をまたぐ。
 網代は異常なまでの蠱惑感に気圧けおされつつ、あえて明るく声を掛けた。

「良かったよ、思ったより元気そうだな」
「アハハ。別に病気じゃないからねぇ」
「4日以上、ほとんど何も食べていないんだろう? 心配にもなるさ」

 ふっ、と笑みとも吐息とも付かぬ息を吐いて、朱理は灰皿で煙草を揉み消した。

「で? どぉしたの」
「どうもこうも、お前がまったく出て来ないから、様子を見に来たんだよ」
「ふぅん。それだけ?」
「後は、その……体のあとが消えているかどうか、確認させてもらいたい」
「別に良いけど、消えてたらなんなの?」
「そろそろ見世に出てくれないか。馴染みが毎日、電話を寄越してくるんだ。特に卯田さん達は、本気でお前を心配しているんだぞ」
「見世……」

 朱理はぼんやりとくうを見つめて呟いた。わずかな沈黙の後、高くかすれた笑声が部屋に響いた。

「アハハ! そっかぁ、忘れてた。痕が消えたら仕事だったねぇ」
「朱理……お前、一体どうしたんだ? なんだか、様子がおかしいぞ……」

 いびつ空笑からわらいを上げる朱理に、網代は思わず眉をひそめる。朱理は不思議そうに小首をかしげた。

「おかしい? 何処が? 普通だよ。至極真っ当、いつも通りサ」
「そ、そうか……。なら良いんだが……」

 網代は朱理と話すうち、目眩のようなものを覚え始めた。真昼のはずなのに、ここだけ真夜中のような錯覚。見た事のない壮絶な婀娜あだ。聞いた事のない、湿り気を帯びたなまめかしい抑揚の声音。すべてに脳髄のうずいが侵食される。
 朱理はゆったりと体を仰向あおむけにし、口元に弧を描きながら網代を見遣った。

「見るんでしょう? カラダ」
「あ、ああ……」

 薄灯りに照らされる滑らかな白い肌に、漆黒の毛皮が危なっかしくまとわり付いている姿は、直視する事さえ躊躇ためらわれる妖艶さである。
 網代はおざなりに首元や腕、足に視線を流すと、すぐに目を逸らせた。

「も、もう大丈夫みたいだな……」
「んー? そんなに少しで良いの? お客サマは、もっと色んなトコロを隅々すみずみまで見るンだよ?」
「し、しかし……そんな……っ」

 たじろぐ網代のそでが、つっと引かれた。濡れた瞳がじっとこちらを見上げている。

「ダメだよ、ちゃんと見てくれなきゃ。客と同じにサ……」
「……っ」

 網代はその扇情的な声と視線に、ぞくりと身を震わせた。
 いざなわれるまま寝具へ乗り上げ、朱理の上にまたがる。優しい手付きでうながされ、ゆっくり顔が近づくと、耳元に熱い息と掠れた声が掛かった。

「俺を見て……。お願いだよ、賢剛けんごうさん……」
「──……ッ」

 網代は自分が何をしているのか、頭で理解するよりも先に体が動いていた。
 朱理の纏う毛皮を引き剥がして取り去り、細い手首を掴んで深く口付ける。舌を絡め、吸い、噛むと、白い体が嬉しそうに震えた。あでやかな吐息の隙間で名前を呼ばれ、湧き上がる興奮に理性が押し流される。
 差し入れた舌に、朱理の熱いそれが絡み、生き物の様にたくみに蠢く。内腿うちももてのひらすべらせると甘い声が上がり、上気した目元で見つめられた。
 網代は必死で激情を抑え込み、眉根を寄せて絞り出す様に言う。

「……朱理、こんな事は駄目だ……ッ」
「ン……して欲しいンだ……。俺をここから出せるのは、貴方だけだから……」
「俺、が……?」
「そう……貴方だけだよ、賢剛さん……。お願い……俺を助けて……」

 僅かに残っていた抵抗感も、切なる声音であっさり吹き飛んだ。
 乱雑に羽織を脱ぎ捨て、性急に帯を解きながら再びその唇を塞ぐ。細い足が脇腹や腰に絡み付く感覚に、酷く興奮した。
 悦びに震えて声を上げる朱理の姿に、乾き、飢えていた心が歓喜で満たされる。思考する余裕など与えられず、網代はひたすら朱理の肢体を掻き抱いた。



 数日振りに受け入れる男の感覚と、網代に抱かれているという事実に、朱理の口角が吊り上がる。
 黒蔓を愛し、黒蔓を抱き、そして捨てられた男。それが同じ境遇の自分に跨って、必死に腰を振っている様は、酷く滑稽で愉快だった。
 同時に、少し誘惑しただけであっさり落ちる単純さが、今の朱理には堪らなく愛おしい。望む物に真っ直ぐ手を伸ばす素直さは、失う事を恐れて背を向ける自分達とは正反対だ。
 朱理は少しの羨望せんぼうを感じながら、網代の肩に柔らかく歯を立てた。

──悲しみも寂しさも、うれう暇など無いのなら。夢を見ていた己が悪いと言うのなら。そんなにも、あの幸せに逆らいたいと言うのなら。
 こうしている間にも、奈落の底まで突き落として欲しい。声を上げ、体を揺らし、果てるたびに背を押して。
 そうしたら、堕ちるところまで堕ちてやる。
 綺麗な物など捨て去って、真心など踏みにじって、愛も欲も利用して、貴方の望む姿になってやる──

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