万華の咲く郷

四葩

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第五章

第五十四夜 【蜉蝣の夢】※

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 どさ、と寝具へ押し倒される。
 興奮にかすれた声で名を呼ばれ、近づく顔に目を閉じた。
 熱く、柔らかな唇がそっと触れてくる。それは思いのほか心地良く、嗚呼ああ、そう言えばこの前は口付けてこなかったな、と妙な事を思い出していた。
 ぬるりと入って来た舌を受け入れて絡めていると、やがて角度を変え、ぐいぐいと押し付けられる様な激しい物に変わっていく。

「んっ、ふ、ぁ……ッ、ま……て……」
「ハァ……ッ、なに?」
「……そんなにがっつくなよ……。らしく無い……」
「ははっ……それは難しいな。俺がどれだけ興奮してるか、お前なら分かるだろ? 何年振りだと思ってんの……。もう、理性もギリギリなんだぜ……」
「だって、隣が……ァ、んっ、ンン……ッ」
「遣手ならもう居ないよ。他の奴らも、みんな仕事中だ。三階ここには俺達だけだから、安心して声出してよ」
「ぅ、んぁ……はっ……」

 唾液の混ざり合う水音が部屋に響き、巧みな舌技に翻弄される。此奴こいつ、こんなにキスが巧かったんだな、とぼんやり思った。
 長くぬめる陸奥の舌が、歯の裏や上顎まで余すところ無く這い回り、まるで口腔を犯されている様な気分になる。ぞわぞわと鳥肌と共に快感が全身に広がり、シーツを握る指には力が入らない。
 どれくらいそうしていたか、ようやく唇が離れた頃には、朱理の表情はすっかり快楽にとろけていた。

「ぅうっ……ン、ふ……ぅ……」
「凄く可愛い……。キスだけでそんな顔になっちゃうの? 毎日抱かれてるのに、どうして?」
「っ……ど、してって……ンなの、知るか……」
「嗚呼、やっぱりお前は最高だよ……。いつまで経っても綺麗なままだ。誰にどれだけ抱かれようと、何も変わらないんだな……」
「……っに、言って……アっ!!」

 何の前触れも無く後孔をとん、と指でつつかれ、敏感になった腰が跳ねる。

「ははっ、可愛い声。舐めて欲しい? それとも指が良い?」
「……好きにしろよ……。慣らしてくれんなら、どっちでも良い……」
「じゃ舐めてから指でするね。好きにして良いって言ったの、お前だからね」
「えっ、ちょ、何する気!? 待っ……ぅあっ!! ヒ、ぐぅっ!」

 ぐいと両脚を持ち上げられ、陸奥の肩に膝が乗せられて背が浮く。首に全体重がかかる無理な姿勢に、身体がきしんだ。

「ぐっ、ぅ……おろせッ! 苦しぃ゙ッ……!!」
「えー? 相変わらず硬いねぇ、朱理は。これ、一回試してみたかったんだけど、やっぱりキツい?」
「ッたりまえだ!! まじ……やめろって!!」
「ふう……仕方ないな」

 溜息混じりにいびつな姿勢から解放され、溜息をきたいのはこっちの方だと言いたくなった。

「ゔぁ゙ッ……はぁっ、くそ! いっててて……首おかしくなるわ! お前もアレか? AVと現実を混同してる馬鹿なのか? あんな体勢、無理に決まってんだろ!!」
「いや、俺AV見ないよ。エロ漫画で見たやつ」
「このサイコ野郎……。AVよりタチ悪いじゃねぇか! 二次元を三次元に持ち込むな!」
「イケると思ったんだけどなぁ。朱理、ちょっと身体柔らかくした方が良いんじゃない?」
「うるせぇ黙れ。あー……萎えた」
「ちょっと、どこ行くの」
「ぅわッ!!!!」

 雰囲気をぶち壊され、寝具から降りようとした腕を引かれて再び押し倒される。

「逃がさないよ?」
「……次おかしな事したら、まじで出てくぞ」
「はは、出来るもんならな」

 ぞっとするほど綺麗な顔で微笑わらう陸奥に、鳥肌が立った。
 再び深く口付けられ、後頭部が枕に沈む。
 するすると後孔を撫でられ、厭でも意識が持っていかれる。唾液で濡らされた指が押す様に其処そこひろげ始めた。

「……ッ、ふ、……ぅ」
「ごめんね……久し振りだから、優しくする余裕が無い……」
「……はっ、よく言う……っア! ン、んん──!!」

 唐突に指を挿入され、ぞぞっと快感が背筋を駆け抜ける。卑猥な水音が響き、まるで部屋ごと他人におかされている様な気がした。

──仕事でもないのに……いや、これも仕事のうちになるのか。それでも、何故か酷い罪悪感に襲われる。
 黒蔓くろづるさんもあの時、こんな気持ちだったのだろうか。
 優しいあの人の事だから、きっと俺の何倍もつらかったに違いない。
 これが終わったら、いっそベッドごと買い換えようか。そうして、全て無かった事にしてしまえば良い。
 大丈夫だ……。この程度、大した事じゃない……。
 全然、なんて事ない……。ただの利害関係だ……──

 そんな事を考えていると、不意に指が抜かれた。

「なに考えてるの」
「……なにも」
「嘘が下手だね……」

 恨みがましい声で言われた直後、陸奥の物が前触れも無くつらぬいた。そのままの勢いで、激しく抽出を繰り返される。

「あァアッ!! ぅッ、あ゙! ッン、んぁっ!!」
「愛してるよ……9年前からずっと、お前だけを……」
「ぅっ、ゔぁ……っ!! ま、って……ッ、ゆっくり……ィ゙ッ!! ぃ、ア゙っ!」
「俺を見てよ、朱理……。今だけで良いんだ……」
「っ……み、てる……ッからっ! あっ、んんん゙っ!!」
「可愛い……やっと俺を受け入れてくれた……。幸せだよ……」
「っ、アっ! む、つ……ッ……あぁ……ッ」
「……愛してるよ、朱理……。どうしようもないほど、愛してる……」
「アッ! ひぅッ……んン゙っ!」

 陸奥の訴えに、酷く胸が締め付けられるのは何故なのか。どれだけ考えても分からない。
 これが情という物なのか。それとも、僅かでも愛と呼べる物があるのか。
 何故、こんなにも執拗に愛を囁いて来るのか。何故、そんなにも哀しそうなのか。
 何もかも、何年経っても分からない。
 激しく突き上げられ、返事も思考もままならなくなる。
 ただ、幾度も繰り返し愛を囁く声は、まるで催眠術でもかけている様だった。

────────────────

 快楽に呑まれて喘ぐ朱理を見下ろしながら、陸奥はこれまでの事を思い出していた。
 物心ついた時から、運動も勉強も人付き合いも、ほとんどの事は簡単に出来てしまった。
 人生は単調で容易たやすく、面白味を見出す間もなく片付いてしまう。興味を持った物や人は軒並み手に入り、すぐに無関心へと変わった。
 歳を重ねるにつれて好きな物は減り、嫌いな物が増え、言わずに呑み込む言葉ばかりになっていった。
 大学の卒業式。それぞれの目標へ向けて旅立つ学友の背を、凪いだ気持ちのまま、ぼんやり眺めていた。
 その日も今日の様に曇天で、特に苦労もせずに首席卒業を迎えた陸奥には、何の感慨かんがいも湧かなかった。
 そこで万華郷、先代楼主の令法りょうぶに声を掛けられ、陰間というのも面白いかもしれないと思い、入楼を決めたのだ。
 ほんの気まぐれだったが、結果的にその判断は大正解となった。己の唯一無二とまで思える人物に出逢えたのだから。

「っう……あぁッ! ィ、いッ……陸奥……っ」
「ハァ……ッ、朱理……ちゃんと俺を見てるか……?」
「っ、はぁ……? 見てるに、決まってんだろ……ぁ、ア! っんん!」

 ただ見つめられ、そんな他愛ないひと言でこんなにも心がたかぶり、満たされ、歓喜する。
 朱理の吐息、眼差し、体温をこの手に感じている現実と、己を受け入れてくれている事実は、身震いする程の幸福だ。
 陸奥にとって、恋とはすなわち、錯乱だ。
 この9年間ずっと朱理に浮かされ、揺らぐ蜃気楼の中に立っている。それは覚める事の無い白昼夢の様で、堪らなく心地良い。

「……朱理っ……朱理……ッ!」
「っ……んな……泣きそ、な声……出すなよ……。ッ……ホント、バカなやつ……」

──馬鹿で良い。わらわれても良い。愛してくれなくても良い。
 だからどうか、想う事だけは赦して欲しい──

 全ての言葉を呑み込んでは欲を吐き出し、陸奥は朱理の肌へ顔をうずめた。
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