万華の咲く郷

四葩

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第五章

第五十二夜 【重金属製の男】

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 午前5時半。客を送り出した朱理しゅり欠伸あくびをしながら大玄関を潜ろうとした時、背後から巨大生物にし掛かられた。

「だーれだ」

 ぐえ、と潰れたかえるの様な声を上げつつ、見ずとも分かる人物の重みに顔をしかめる。

陸奥むつ。重い、苦しい、鬱陶しい、退け」
「もぉー、朱理ったらすぐ俺だって分かってくれるなんて、愛が深いぜー!」
「愛じゃない。お前以外に、こんなガキくせぇ真似まねするヤツが居ないだけだ」

 ここ数日、姿を見ていなかった陸奥だった。
 上等なスーツを身にまとい、綺麗に髪を撫で付けているところを見ると、仕事関係だったのだろうが、今回ほど長期で見世を空ける事は珍しい。

「見送り終わったとこ?」
「そーだよ。てか、最近どこ行ってたんだ? 長いこと居なかったろ」
「ああ、株主総会とか役員会とか、まぁ色々。この前のA社の件で株主らが大慌てでね。インサイダーで大損はまぬがれたものの、動かす額がでか過ぎて、国内の金融機関じゃ租税回避そぜいかいひ困難だからって、今更デラウェアにプライベートバンク開設するって大騒ぎしたわけ。その皺寄しわよせで関係各社が毎日、役員と株主集めて、あーだこーだとしかつらを付き合わせてたのさ。お陰でエゴイズムの塊みたいな親父どもの御用聞きで、もーくたくたよ」
「……お、おお……?」

 溜息混じりにすらすらと述べられる外出理由の九割方、朱理には通じていない。
 仕事終わりの早朝に、全く聞いた事の無い単語と横文字を並べ立てられ、ついて行けずにほうける朱理に、御構い無しで陸奥は話を続ける。

「本当は三日程度で帰れたものを、ここに来てBEPSベップス行動計画プロジェクトが再始動されるって噂を、国税庁にツテのある会社が嗅ぎ付けて来た所為せいで、更に大わらわ。繋がりのある政府関係者へ、阻止の根回しに奔走ほんそうする事になったのさ」
「ごめん、待って、ぜんぜん分かんない。なにプロジェクトだって?」
「正式には『一般的租税回避否認規定プロジェクト』って言うんだけどね。要は脱税阻止を目的に、国外への銀行口座の開設を不可にする法律を作る計画さ」
「はぁ……」
「で、俺は再始動阻止の橋渡しに、馬車馬のごとくあっちこっち引きり回された挙句あげくようやく帰って来れたのが今ってワケ」
「……正直、お前が何を言っているのか俺には1ミリくらいしか分からんが……ともかく、お疲れと言っておく」
「ありがとー。帰宅一番でお前に会えたから、疲れも吹き飛んだぜ」

 そう言って笑う陸奥は、やはり無理をしているのか、いつもの覇気はきが無い。共に部屋を目指して階段を上りながら、朱理は疲労のにじむ陸奥の横顔を見遣った。

「大丈夫か? だいぶキてんな。早く休めよ」
「なに、心配してくれるなんて、珍しいじゃないの。其方そっちは変わり無かった?」
「んー、まあ、大した事は無かったな。初回や裏もあらかた片付いたし、新規の馴染みも増えたよ」
「おめでとうとつくろって言えば良いのか、残念と白状してしまって良いものか、迷うところだなぁ」
「何もかも白状してるじゃねーか、それ」
「ははっ。あーあ……お前の珈琲、また飲みてぇなぁ……」

 独り言の様に呟いた陸奥を横目に、朱理は少し考えた後に口を開く。

「……良いよ、れてやるよ。どうせ自分の分作るし、ついでだ」
「えっ、まじで!? ちょっと、どうしたの今日。やけに優しいじゃない」
五月蝿うるさいな。お前がそんなやつれた顔してっからだろ。ねぎらってやろうという俺の寛大な心を、あがたてまつれ」

 そうは言いながら、ほとほと自分も甘いな、と朱理は思っていた。つゆ李ほどではないが、親しい人間の困った顔や弱った姿を放って置けない性分なのだ。
 しかし、自室には先客がいるかもしれない事に気付き、慌ててどうしたものかと思考を巡らせる。

「あー……お前、先に風呂入って来いよ。髪の毛、ワックスでベタベタじゃん。その間に珈琲の準備しとくから」
「了解致しました! なーんか出来る奥さんみたいだなぁ、幸せー。これから嫁って呼んで良い?」
「調子に乗んな。風呂でそのまま永眠してくれても良いんだぞ」
「あ、照れてる? 照れ隠し? くそ可愛いなオイ」
「まじめんどくせー。無視すりゃ良かったぜ……」

 そんな遣り取りをしつつ、三階へ着くと一旦別れ、朱理は足早に自室を目指した。ふすまを開くと、やはり文机ふづくえで煙草をくゆらせる黒蔓くろづるの姿があった。

「お帰り。どうした、そんな息急いきせき切って」
「その……ごめん、もうちょいしたら陸奥が来る……」
「はあ? 彼奴あいつもう帰って来たのかよ。折角せっかく、静かで良いと思ってたのに。で、なんで朝っぱらから彼奴が此処ここへ来る事になるんだ?」
「珈琲飲みたいって言われて……。なんか疲れてるっぽいから、ほっとけなくて……つい……」

 もごもごと言う朱理に、黒蔓は眉をひそめて紫煙を吐く。

「本当にお前は身内に甘いな。あんまり調子に乗らせて、面倒な事になっても知らねぇぞ」
「うう……それはちょっと、自分でも分かってるんだけど……。なるべく気を付けます……」

 やれやれ、と嘆息たんそくしながら黒蔓は腰を上げた。

「……まぁ良いさ。たまには彼奴にも夢くらい見させて、仕事に張り持ってもらわねぇと困るしな」
「はあ……なんか小難こむずかしい事言ってたけど、俺にはさっぱり分かんねー。彼奴、一体どこで何してんのかって、いつも不思議だわ」
万華郷ここは政府関係や大手企業の社長らがつどうからな。近頃、吉原を取り締まる動きもかなり強まってる。見世としては、ああいうのが居ると助かるってのが正直な所なんだよ。認めるのはしゃくだが、確かに比類ひるい無い優秀な男だ」
「ふうん……。どのみち俺には理解出来ないし、関係ない話だな」
「ま、長期出張で疲れてるのは事実だろ。精々せいぜいねぎらってやれよ。アレへの一番のご褒美は、お前だからな」
「相変わらずひねくれた言い方するなぁ、もう……」
「はは、悪い。じゃ、また後でな」

 そう言うと軽く口付けを交わし、黒蔓は部屋を出て行った。
 ふう、と息を吐いて朱理は珈琲の支度を始める。
 陸奥との関係は、朱理にとってもよく分からない。寝込みを襲われた件は別にして、きちんと関係を持った事は一度しかない。それも突き出しの為であって、気持ちがどうという訳ではなかった。
 好きか嫌いかと問われれば好きな方に寄るだろうが、決して情愛じょうあいたぐいではなく、友達以上恋人未満の様な物である。
 ふと、他の娼妓しょうぎらはどうなのだろう、とぼんやり思った。
 香づき達は明確だが、上手かみて下手しもても、互いの突き出し相手とは付かず離れずの距離を保っている様に見える。
 恋人として付き合うのは面倒だが、いつ、どうなってもおかしくない微妙な関係である事は確かだろう。
 今度、和泉いずみ棕櫚しゅろにでも聞いてみようと思い至った時、かち、と音がして珈琲の抽出ちゅうしゅつが終わった。
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