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第四章
第五十一夜 【下手の鬱憤】
しおりを挟む「あ゙あ゙ぁぁ゙──くそが! 彼奴いつか絶対、殺してやる!」
「おおぅ……久し振りに怒髪冠を衝いてるねぇ、奈央」
とある日、16時半。朱理の座敷へ、和泉が暴言を吐きながら足音も荒々しく入って来た。
「どうしたよ、何があった?」
「きもいんだよ、あの蝦蟇オヤジ。60手前の爺のくせして、童貞みてぇな夢見てんじゃねーっつの」
「あー……剛田さんかぁ。そりゃ愚痴も出るわなー」
和泉を贔屓にしている剛田という議員は、でっぷりした太鼓腹に下卑た笑みを貼り付けた、正に好色親父を絵に描いたような人物である。
和泉の客にはその手の議員や官僚が多く、たまにこうして愚痴を吐き出しに来るのだ。
「何が〝後ろだけでイってごらん〟だ! イける訳ねーだろ、馬鹿が。ただでさえテクのテの字もねぇくせに自覚してねぇし。辞めろっつってんのに都合良く脳内変換しやがって、作りモンと現実を一緒にしてんじゃねぇっつーんだよ!」
「うん、うん、分かった。ゆっくり聞くから、ちょっと声落とそうか。ここ二階よ? みんな居るからね」
「あー、帰りに事故って死なねーかな、まじで。あんな阿呆でよく政治家なんてやってられんな。この国、終わってるわ」
「そーいう奴ほど、悪知恵と小細工が巧いもんさ。腹ン中まで真っ黒じゃないと、逆にやってらんないんじゃねーの」
「本当それな。何奴も此奴も、インテリの皮被ったAV再生機みてーな奴ばっかだわ」
和泉は額に手を当てて深く嘆息した。
「はぁ……。もう厭だ……疲れた……しんどい……。くそ馬鹿どもが……死ねばいいのに……ちくしょう……」
「うんうん、よしよし。疲れたね。奈央は頑張ってるよ」
朱理は項垂れる和泉を抱きかかえ、優しく頭を撫でる。いつからか、和泉がやって来るとこうして慰める事が恒例になっていた。
気丈で甘え下手な和泉だが、唯一、素顔を見せられる朱理には、されるがままに身を預けているのだ。
時折、和泉の方から抱き着いてくる事もある。そう言う時は決まって、精神的に極限まで追い詰められているという事を、朱理はよく知っていた。
賢く、美しく、仕事は確実にこなす出来た人間だが、反面、溜め込み性で不器用で、心優しい大切な友人である。
暫しそうしていると、徐に座敷の襖が派手な音を立てて開かれた。
「ちょお聞いてや朱理ぃ! って、なんしてんの、お前ら」
「ハグ」
「………」
「あっそ」
固まる和泉を抱き締めたまま答える朱理に、伊まりはあっさり納得してそのままどかどかと入って来た。
これまた怒り心頭な伊まりに苦笑しつつ、朱理は戸口を見遣った。
「お前、襖壊す気? 乱暴なんだよいつも。つーか閉めろよ」
「やってムカつくんやもん! あのガキゃあ、落ち目のくせして〝俺イケてる〟感出しまくりで、ナルシス半端ないんじゃボケ! ホンマにイケとったら、昼間っからこんなとこ来とらんと仕事入っとるやろが!」
「今日は何処ぞの俳優か……。彼奴ら、自己愛すげぇからなぁ」
和泉は伊まりが暴言を吐いている隙にさっと離れ、煙草に火を点けている。
「挙句、誰それと寝ただの彼それに告られただの、有名女優の名前つらつらつらつら並べ立てよってからに! いやいや、フツーに嘘なん丸分かりやし。苦笑しか出てこんしな。お前なんぞ相手にされんて、喉まで出かけたわ」
「出さなかったのか! えらいぞ伊まり!」
「やろぉー? めっちゃ堪えた俺のメンタルも癒してぇー」
「はいはい。よくやったなー、お疲れさん」
そう言いながら、伊まりは朱理の腹に抱きついた。
伊まりは香づきとよく行動を共にしているが、朱理とも懇意にしていた下手である。
朱理が三階へ自室を持ち、会う機会が減った為、近頃は昼見世後の時間を狙って愚痴りに来るのだ。
和泉は自分の特等席を取られた様な心持ちに眉を顰め、紫煙を吐いてはそれを誤魔化すのだった。
朱理が伊まりの背を撫でていると、今度は開きっぱなしだった出入り口から、半泣きの香づきが駆け込んで来た。
「もぉ厭だぁ!! 俺もう辞めるぅ──!!!!」
「おいおい、どうした? また景となんかあった?」
「うぅー……夜見世までシよって言ったら、疲れたから休ませて、だってぇ! 酷くない!? 俺だって疲れてるけど、景虎に抱かれて癒されてるのに……。俺より他の女への体力残すとか、有り得ないだろぉ!」
「それはー……ほら、香づきの身体の負担も考慮しての事だったんじゃない? ちょっとでも休まないと、辛いのは下手の方なんだしさ」
「だって、愛情なんて目に見えないしさぁ……俺たちは疑われるのが仕事みたいなもんじゃない。だからこそ俺は精一杯、景虎に愛を伝えてるんだよ。折角、恋人なのに、ここまで素っ気ないなんて……。まじで意味分かんないよぉ……」
「そうだねぇ、香づきの気持ちはよく分かるよ。景は口下手だし、顔にもあんまり出さないじゃん? 本音なんて本人にしか分かんないんだし、くよくよ考えてると悪い方にしか行かないからさ。今日は一緒にゆっくりしようよ、ね?」
「うえぇ──ん!! 朱理様優しいぃ──!!!!」
膝には先客の伊まりが居る為、朱理の背中側から抱き着いて泣き出す香づき。香づきは自由時間の殆どを恋人の景虎と過ごす事が多いが、たまにこうして朱理を頼りに来るのだ。
和泉は紫煙を吐きつつ、呆れた顔で眉を顰めた。
「……お前、よくこんなのに毎度毎度、真面に対応出来るな」
「こんなのって何だよぉ! 和泉だって愚痴りに来てるくせに! 俺たちと同じだろぉ」
「お前の色ボケと一緒にされたくねーわ」
「はっ! 色ボケる相手も居ない人に言われたくないねぇ」
「なんだと? もっぺん言ってみろテメェこら」
互いに余裕の無い和泉と香づきが争い始めるや否や、朱理が宥める為にゆるい声を上げた。
「はいはい、辞めなさいって二人とも。仕事も色恋も、当人にとっては同じくらいしんどい事なんだから。他人の不幸に口を挟む権利は無いでしょー?」
「お前……聖人君子か……」
「だから頼れる癒されるぅー……。はぁー……マイナスイオン出てるわ、此処」
「ホンマそれ。朱理の座敷って妙に落ち着くよな」
そこへしょぼ、と肩を落としたつゆ李が入って来た。
「朱理、ちょっと良いか?」
「あー……こんな状態で良いなら。どしたの? 珍しい」
後ろから香づき、前から伊まりに抱き着かれ、傍では不機嫌そうに煙草を吹かす和泉を指して、朱理は苦笑する。
つゆ李はさして気にする様子も無く、朱理の前に正座した。
「俺は……どうしたら身上がりを断れるんだろうか」
「え、またやっちゃったの!?」
「いや……自分では断れずに、結局、見張り方が追い出している状態だ。いい加減、自力で対処せねばと思ってはいるんだが……」
「あららぁ。つゆ李は相変わらず暗いねぇ」
「はーあ、秒で空気が重たなったわ」
眉尻を下げて言うつゆ李を、呆れた顔で眺める香づきと伊まり。
「どうもこうもなぁ……。そればっかりは、俺にはどうする事も……」
朱理は暫し考える様に髪をがしがしやっていたが、軈て思いついたように声を上げた。
「あ! そうだ! 客の大掃除するってのはどう?」
「大掃除?」
「総入れ替えだよ。身上がりとか金銭要求してくる客は全員、登楼拒否して、新規の客だけ通すの。それを繰り返して行けば、自然とその手の客は減るし、もし新規から同じ様なのが出たら、また拒否する」
「おお! それええかもな!」
「つゆ李の場合、顔見ちゃうとしんどいんだろうから、会わずに切るのが一番良いと思うんだよね」
「なるほど……。御贔屓さんを切るのは忍びないが、そうでもせねば現状克服は難しそうだ。貴重な意見を有難う。やはり君を訪ねて正解だった」
「一旦、顧客数は減っちゃうけど、身上がり強要してくる客なんて、居ないどころかマイナスでしかないからね。遣手に話してごらんよ」
「ああ、そうする。朱理からの意見だと言えば、とりあって貰えるだろうしな」
少し晴れた顔になったつゆ李の台詞に、和泉が苦笑を漏らした。
「相変わらず、遣手に対するネームバリューが半端ないな、お前」
「使えるもんは使っとけって、角海老の楼主も言ってたぜ」
「秘蔵っ子は流石やなー。ほんで、逆に俺らの事チクらんあたりが、出来た子やで」
「もしチクられてたら今頃、伊まりはもっと酷い客を回されてるだろうな」
「うっさいなー。そういや和泉、前から気になっとったんやけど、お前ホンマに客と寝とるんか?」
「はあ? なんだいきなり」
「お前の座敷、いっつもめちゃくちゃ静かなんやもん。朱理んとこなんて、凄かったら一階まで聞こえんのに」
「ぅえっ!!?? まじかよ、恥っず……」
「俺は元々、そんなに大声出さないんだよ。大体、客と寝て声上げるほど感じた事も無いしな」
「演技でも、声出したら客は喜ぶで」
「嬌声の安売りはしない主義だ」
「流石、太夫様はお高くていらっしゃるぅー」
「高くない。事実を言っているだけだ」
耳の痛い話に、口を挟めない朱理は冷や汗をかいている。
「伊まりも割と声大きいよねぇ。まぁ、朱理様が一番凄いけどぉ」
「演技に決まっとるやん。朱理のは寝屋まで行っとらんか、襖閉め忘れとるんやろ。こないだ、座敷入った途端に襲いかかられてたて、新造が吃驚しとったわ」
「い、いやぁ、それはたまたまで……普段そんな事無いよ。確かに、寝屋の襖はよく閉め忘れるけども……」
「あんだけ鳴かれりゃ、そりゃ男も悦ぶだろうよ。流石、三大楼主囲い」
「ちょ……妙なあだ名つけんなよ、奈央……」
「やけど誰やっけ? 例の巨根。ホンマに大丈夫なんか? そんなん相手にして」
「稲本でしょ。病院レベルって、相当やばいよねぇ」
「んー、それにはまじで参ってる……。なんとか床入り減らす方向で頑張らせて頂きますよ……」
「大関も大変やな。ま、お前ならのらりくらり、やってけそうやけど」
「無理はするなよ、朱理」
「ありがと、奈央。さて、そろそろ夜見世の支度するかねぇ」
「あーあ、だっるー」
「腹いせに、今夜はやけ酒しちゃおっかなぁー」
そうして駆け込み寺、もとい朱理の座敷にて鬱憤を晴らした下手達は、今夜も身を粉にして客をもてなす為、其々の部屋へと重い足を引きずって行くのだった。
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