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第四章
第四十三夜 【春に青】
しおりを挟む「こんにちは、お邪魔しますよ」
「網代さん、お久し振りです」
「おお、卯田さん、蘆名君。よく来てくれたね」
と、やおら中庭の勝手口から、卯田と蘆名が入って来た。
「わー、どうしたの二人とも!」
「いやぁ、網代君から今日がここの突き出しと聞いてね。お祝いも兼ねて、来させてもらったよ」
「俺も、花見がてらお誘い頂いたんだ」
「チッ……ガキが偉そうに。余計な世話だってんだ」
「なんだと? わざわざ祝いに来てやったってのに、いくら何でもその言い草はねぇだろ、遣手さんよ」
「ふん、誰も頼んでねーわ」
「ああ?」
啀み合う黒蔓と蘆名の間に、するりと卯田が割って入る。
「はいはい、二人とも、目出度い席で野暮な真似はお辞めなさい。これ、お祝いの大吟醸。皆で分けて下さいね」
「俺はツマミを少し持ってきた」
「どれどれー……カラスミ、このわた、粒雲丹、白トリュフまであるー! 高級品ばっかりじゃん! 流石、ボンボンは趣向がハイソだわぁ」
卯田と蘆名の差し出した一級品に、皆から歓声が上がる。
「君たちもいよいよ、一本立ちだね。これから大変だろうけど、先輩たちを見習って頑張るんだよ」
「有難う御座います!!!!」
穏やかな卯田の激励に、新造達は揃って頭を下げた。
「さぁ、お二人とも座って下さい」
「みんなー! 吉原三大遊郭の楼主様だよ! 媚び売っといて損は無いから、どんどんお酌してあげてねー」
朱理のとぼけた声音に、一同からどっと笑いが起こった。
網代を挟んで二人が座し、早速、新造らが礼と挨拶に酒を注ぎに来る。酌をされながら、蘆名は別の風呂敷包みを朱理の方へ寄越した。
「ほれ、お前にだ。どうせ日本酒ばかりで、うんざりしてる頃だと思ってな」
「なになに? おお! さっすが大聖、分かってるぅー! 誰かグラスと氷と烏龍茶ちょーだーい!」
「なんだ? 酒か?」
「お洒落な瓶ですけど、なんですか?」
「此奴はそもそも、日本酒もビールも嫌いでな。甘いカクテルが大好きなお子様舌なんだよ。特にペシェが大好物だ」
「ペシェ……?」
皆が興味深そうに朱理の手元を覗き込む。
「ピーチリキュール。特にこのメーカーのが一番良いのよ。安い割に美味いし、かつ悪酔いもしないって最高じゃね?」
「はー、小洒落てんなー。朱理らしいわ。けど、どうやって飲むんだ?」
「こうして適量リキュール入れてー……」
手元にやってきたグラスに氷を入れ、早速、開封したピーチリキュールを指1本分ほど注ぐ。其処へ並々と烏龍茶を入れ、手際良くマドラーでステアする様に皆から感嘆の声が上がった。
「割物は結構、何でも合うんだけど、俺は烏龍茶で割るのがあっさりしてて好きかな」
「へーえ、手慣れてんなぁ。俺、そんなの初めて見たわ」
「俺も。なんて名前のカクテル?」
「単純にピーチウーロンって言う事が多いけど、レゲエパンチって名前もあるよ。そっちの方がカクテルっぽいよね」
「すげぇ! 朱理さん博識ー」
「学生時代、バーでバイトしてたからちょっと知ってるだけ。大聖んとこがカクテルも扱い始めたって聞いて、めちゃくちゃ羨ましかったんだよねー」
もの欲しげな声を上げる朱理に、網代は苦笑を漏らしつつ答えた。
「仕事で飲んでればそのうち慣れると思ったんだが、やっぱりまだ駄目か」
「全然、駄目! まったく慣れない! もう厭になるわ。せめて見世の座敷では別のも扱ってよー、オーナー!」
「ははは、検討するよ」
馴染みの無いカクテルの物珍しさから、朱理の周りに続々と人が集まり、飲んでみたいと興味津々だ。
「甘いの平気な子は作ってあげるから、グラス貰っといでー」
「あっ、じゃあ俺、飲んでみたい」
「俺もー!」
「俺も飲んでみたいわぁ」
「俺も気になる」
鶴城や棕櫚、けい菲、和泉、妹尾や吉良と、次々に名乗りを上げ、最終的にほぼ娼妓全員分を作る事になった。そうして十数杯のカクテルを作りあげ、グラスに口を付けた面々は美味しいと満足そうである。
ひと通り酒を配り終えると、朱理はやれやれと元いた黒蔓の隣へ戻って息を吐いた。
「お前さぁ……太夫なんだから、もっとどしっと構えてろよ。なんでそんな雑用してんだ」
「だって、誰も作り方知らないんだから仕方ないじゃん? まぁ、適量入れてステアするだけなんだけどさ」
「そんなもん、適当に教えて新造にやらせとけ」
「駄目だよー。初めて飲む物がちゃんと作られてないと、勿体ないでしょ。後は任せて来たから大丈夫!」
「その間、俺が虚しく独り酒だった事への詫びは?」
「あはは、ごめんごめん。黒蔓さんも飲んでみる?」
「お前のひと口、くれれば良い」
「どーぞ。黒蔓さんにはドライマティーニとか、辛口のショートカクテルが似合いそうだね」
「ん……結構、甘いんだな。でもまぁ、美味い。あのガキの土産なのは腹立つけど」
「おい、悪口が筒抜けだぞ」
「なんだ、居たのか。存在感ねぇな」
「遣手のくせに悪目立ちしてるヤツよりマシだわ」
「あー、はいはい、もう喧嘩しないで。ほら、大聖、快晴だよー」
「韻を踏むな! 名前呼びやめろ!」
「どっちかと言うとそれ、親父ギャグじゃねぇか?」
「あはは! いやぁ、前からこれ言ってみたくてうずうずしてたんだよねー」
「お前……頭良いくせに、たまにとんでもねぇ馬鹿になるのは何でだ?」
「くくっ、話す相手に合わせてるからじゃねーの」
「悪態つくのも大概にしとけよ、この眼帯ヤクザが」
「豆柴みてーな童顔で凄まれても、面白いだけだから辞めとけ、くそガキ」
「はぁ、もう……。これが世に言う犬猿の仲ってヤツなのか……」
「犬猿と言うより、恋敵って感じじゃないのかな?」
再び険悪になる黒蔓と蘆名に朱理が頭を抱えていると、ひょっこり卯田が現れた。
「ぅわぁッ! う、卯田さん……っ!?」
「卯田さぁん……。いっつも気配消して現れるのやめてよー。吃驚するからぁ」
「ところで朱理、どっちが犬で猿なんだ?」
「え、そこ引っかかるの? 黒蔓さん……」
「ンなもん、聞かなくても分かんだろ」
「あ゙?」
「もー、あんたらしつこい!」
「ははは、若いねぇ」
かくも賑やかに万華郷の花見は盛り上がっていく。
黒蔓は桜吹雪の合間から見える青空を振り仰ぎ、隻眼を細める。
こうしている間に移りゆく物なのか、と感傷的になりかけた時、地面についていた手に誰かの指先が触れた。思わず笑みが零れる、よく知った手だ。
その手に光る指輪は贈って以来、外されている所を見た事は無い。
「綺麗だね」
「……ああ」
桜の薄桃色がよく映える晴天を、共に見上げる。
この先、こんな穏やかな日々が続く事は無いのだろうと、ある種の予感めいた物を感じる。
本領を発揮した朱理を取り巻く有象無象が次々と鎌首を擡げ、これからこの見世のみならず、吉原全土が大きく動き始めるだろう。
二人の間に越え難い壁が立ちはだかる日も、そう遠くは無いのかもしれない。
けれど朱理も黒蔓も、今こうして確かに互いの温みを感じていられるのなら、どんな苦難も困難も喜んで甘受してやろうと思えるのだ。
指先を固く繋いだまま空を仰ぎ、朱理は静かに目を閉じた。
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