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第四章
第四十一夜 【華の色】
しおりを挟む太夫たちは皆、欄干に肘をつき、寝屋を見守りつつ雑談している。勿論、中の様子など分かる筈は無く、殆ど野次馬の暇つぶし状態だ。
「失格者、出なきゃ良いな」
「大丈夫だろ、多分。どこも静かなもんだし」
「静かなのも、それはそれでどうなんだろうねぇ……」
ぽつりと呟いた朱理に鶴城が呑気に答えるが、棕櫚は苦笑気味だ。
「いや、悲鳴とか奇声とかが無いって意味でさ」
鶴城の補足に、流石の朱理も眉を顰める。
「奇声ってなんだよ、怖ぇわ。っていうかこれ、いつ終わんの? 俺もう飽きたんだけど」
「後30分くらいじゃない? 飽きたんなら、煙草でも吸いに行く?」
陸奥の誘いに、朱理はやおら欄干から身体を起こした。
「おー、良いね。行く行く」
「あ、じゃあ俺も……」
「棕櫚は玖珂が心配だよなぁ? ん?(訳・ついて来るな)」
「……あ、ああー、そうですねぇ! 終わるまで見守らなきゃですねぇ! 行ってらっしゃーい……」
「こっわ……」
黒い笑みを向ける陸奥の真意を即座に察し、ひらひらと手を振る棕櫚と、背筋に冷たい物が走る鶴城であった。
そうして朱理と陸奥は控え所へ向かった。炬燵へ潜り込みながら煙草に火を点け、朱理は机に伸びつつ紫煙を吐いた。
「ぶふぇー……眠ぃ……。ぼんやり待ってるだけとか、くそ退屈なんだけど。皆よく居られんなー」
「直属の新造が居れば未だしも、俺らはねー」
「お前だって一大イベントだ何だとか言って騒いでたじゃねーか」
「ははっ、まぁね。だってこれ見られるのって精々、年季中に一回くらいだしさ」
「あー、そっか。俺みたく中途入楼とかがなきゃ、10年単位だっけ? 新人採用すんのって」
「だね。基本、採用は新卒からだし、身請け断る奴が殆どだから。次々に入れてちゃ、あっという間に部屋が無くなる」
「そっか。陸奥は推薦か何かだったか?」
「まぁ、そんな感じかな。大学出て何しようか迷ってた時に、前楼主の令法さんに声掛けられてね。だから俺も朱理と同じ、中途入楼だよ」
「へぇ、楼主直々のスカウトってワケか。陸奥は最初から特別だったんだな。でも俺、その人知らねーや」
「まぁ、朱理が入ってくる少し前に代替わりしたからね。隠居してから、見世には一度も顔出してないし」
「ふうん、そうなんだ……」
朱理は気の無い相槌を打ち、紫煙を吐く。
「はえーなぁ……今年で10年かぁ。陸奥は12年目?」
「あー、もうそんなになるかな。なんだか長い様で短い気がするね」
「やっぱ、俺より陸奥が先に年季明けるんだよな」
「順序的にはそうなると思うけど。此処は個人差あるから、なんとも言えないかな」
陸奥の言葉を聞きながら、ふと控え所に活けられた見事な枝振りの桜に目が留まる。
「……花の色は 移りにけりな いたづらに……か」
「どうしたの? 今日はやけに感傷的じゃない」
「年季明けしたら俺たち、どうなっちまうんだろうなと思ってさ」
「まぁ、ここで培った人脈使って会社起こしたり、見世に残ったり、貯めた金で好きな事したり、色々だろうな。朱理は何か決めてる?」
「いや全く。考えると落ちる。なんだかんだでこの生活、気に入ってるから。他所でどうとか考えらんなくてさ」
「ふうん……。あ、それなら良い考えがあるぜ」
「なに?」
「俺が楼主で朱理が遣手。これ、良くない?」
「あははっ、良いなそれ。楽しそうだ」
でも、と朱理は思う。
──そうしたら、黒蔓さんは何処へ行くのだろう。
もしくは、自分が年季明けして吉原を出たら、彼との関係はどうなってしまうのだろう──
「あ、何なら内儀でも良いんだぜ? いや、寧ろなってよ。そしたら東雲が……」
──嗚呼、そうか。
そうしたら、黒蔓さんは遣手のままで居られるのか。
けれど、そんな事はあの人も自分も望んでいない。
そもそも、太夫の年季が明ければ、代替わりするのが此処のしきたりだ。
きっと吉原を離れて行ってしまうのだろう。
そうして置き去りにされたら、自分はどうすれば良い?
互いに離れられんと言ったあの言葉は、嘘になってしまうのか?
もしそうなったら、自分は……──
「おーい、朱理ー。どしたー?」
「えっ……? ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてたわ」
「ひどっ! せっかく二人の明るい将来設計を熱く語ってたのにぃ!」
「はは、ごめんって。で、なんだっけ?」
「だからー、俺が楼主で朱理が内儀で、そしたら東雲に……」
陸奥が改めて熱弁をふるいだした時、俄に外が騒つき始めた。
「お、やっと終わったかぁ。って、なんでこんな騒がしいの?」
「誰かやらかしたのかもね。見に行こうぜ」
朱理らが皆の居る二階へ行くと、思い切り顔を顰めている冠次と、卒倒しそうに青ざめたけい菲が呆然と立っており、周囲は爆笑している。
「なになにー? どしたの?」
「キャハハハ! 吉良がやりおったで!」
「ははぁ、なるほど。流石は冠次の弟だなぁ」
「え、なに? 全然話が見えないんだけど」
目尻に涙を溜めながら笑い転げる伊まりらと、何かを察した陸奥の横で、朱理だけが首を傾げている。
「あれ、見てみろ」
和泉が顎で指した階下を見ると、ぐったりと気を失っている妹尾が妓夫らに運び出され、吉良は好奇の視線に晒されてげっそりしていた。
「何やってんだ、てめぇは。そんなに俺の顔に泥塗りてぇのか? あ?」
「ち、違うんです、冠次さんッ!! こ、これは、その……ッ」
「吉良ー! お前、妹尾に何したのー?」
「いやいやいや、変な事はしてないですって、まじで! 真面目にやろうとした結果なんですよ!」
「ははは。まぁまぁ、そう苛めてやるな。なんと言うか……不可抗力な部分が大きいしな」
今にも血管が切れそうな冠次と、興味津々に問い掛ける朱理に、必死で弁明する吉良。網代が苦笑しながら手を挙げ、皆を宥めている。
「うるせぇなぁ。吉良のナニが馬並みで、初心な妹尾が失神した。それだけの事だ」
黒蔓の大声によって知らされた事実に、太夫らは再び爆笑し、吉良を更にげそっとさせた。
「うそぉ!? そんなにぃ!? 吉良ぁ、ちょっと見せてごらんよぉー!」
「まじウケる! 見せろ見せろ!」
「馬並みってなに? 馬くらいあるって事? つか、馬ってどんくらい?」
「バカみてーな巨根って意味だよ」
「そんなにはっきり言いますかね……」
きょとんとする朱理へあっさり答える和泉に、棕櫚は引き攣った笑みを浮かべる。
「でかい子に育って良かったじゃないか、冠次。色んな意味で、な」
「……喧嘩売ってんすか、陸奥さん」
「だったら何だ?」
「買いますよ。表出ましょうや」
「ちょ……やめろって冠次! 目出度い席で揉めるな! 陸奥さんも、変に刺激しないで下さいよ!」
啀み合う陸奥と冠次の間に割って入る鶴城を、冷ややかに見遣る和泉と朱理。
「何やってんだ、あいつら」
「知らね。馬鹿はほっといて部屋戻ろーぜ、奈央」
「ああ」
なんだかんだありつつも、桜の儀は終了し、無事に全員、合格したのであった。
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