万華の咲く郷

四葩

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第三章

第三十七夜 【蜜色小噺】

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 12時半。執務室から出て風呂へ入り、軽く朝食をった朱理は、廊下で上手かみて格子太夫こうしだゆう佐久間さくま 景虎かげとらに出くわした。
 黒髪を短く整え、精悍な目鼻立ちに薄い唇が知性的で、少々、硬そうな印象を与える。実際、あまり口数の多くない真面目な娼妓だ。

「おはよう、朱理。朝から説教されていたそうだな。お疲れ様」
「おはよ、かげ。そんな大袈裟な話じゃなかったけどね。ところで香づきは? 一人で居るなんて珍しいじゃん」
「部屋で伊まりの愚痴を聞いてやってる。どうせバレるというのに、彼奴あいつりないな」
「そうだねー。しかし、相変わらず仲良いな、あの二人」

 景虎と香づきは突き出し以来、明確な恋人関係を築いており、今の面子めんつの中では稀有けうな存在である。
 その為、自由時間は二人で過ごす事が多く、顔を合わせる機会は他の娼妓しょうぎより少ない。

「あ、そうだ。景にお願いがあったんだわ」
「どうした」
「暇な時で良いから、俺の部屋見てくんない? 盗聴器とか隠しカメラ無いかさー」
「座敷じゃなく自室をか? お前、上に移ったばかりだろう。三階のセキュリティでそんな心配はないと思うが、何かあったのか?」
「いやぁ……なんつーか、私生活プライベートが遣手に筒抜つつぬけなんだよなぁ……。別に見られてまずいって事もねーんだけど、なんか怖ぇじゃん」
「なるほど。それなら無いとは言えないな」

 景虎は機械工学部出身で、朱理の部屋持ち時代から客に仕掛けられた盗聴器などを処理して貰っていたのだ。

「しかし、それでは尚更なおさら、手が出せんよ。遣手の仕掛けた物を始末したとなれば、俺が怒られかねん」
「そんなぁー……」
「まぁ、お前はあの人と仲が良いから、何を見られても大丈夫だろう。気にするな」
「ねちねち言われるから厭なんだよ……ちくしょう……」

 そんな事を話しながら一階へ降りると、大玄関に小間物屋が来ていた。

「あ、丁度良かった! 中田屋さん来てるー?」
「おー、朱理か。蜜売りも来てるぞ」
「おはよー、鶴城つるぎ。蜂蜜切れそうなんだよな、買わないと。景は見てく?」
「いや。俺は特に必要な物は無いから、部屋へ戻る」
「そっか。じゃ、またね」
「ああ、お疲れ」

 景虎と別れ、朱理はいそいそとあがかまちへ足を向けた。玄関先では鶴城、冠次かんじ一茶いっさ、けい菲がそれぞれ商品を物色していた。
 中田屋とは個人の養蜂場を持つ蜜売りである。朱理は大の蜂蜜好きであり、その品質の良さから贔屓にしている店だ。

「中田屋さーん、蜂蜜下さいなー」
「これはこれは、朱理太夫。いつも御贔屓に」
「今日もまとめて買いたいんだけど、良い?」
「勿論、結構で御座いますよ。しかし、今年はアカシアの花が駄目になりましてねぇ。申し訳御座いませんが、品切れなんですよ」
「了解。じゃー、百花蜜ひゃっかみつの2キロを二瓶と……何かオススメある?」
「時期的に、こちらの桜は如何いかがでしょうか。期間限定で上品なお味ですよ。どうぞお試し下さい」

 差し出されたさじを受け取り、試食してみる。百花蜜より繊細な甘さの中に、品の良い華やかな花の香りが広がる。
 朱理の用途は珈琲用の甘味である為、あまり香りには頓着とんちゃくしないが、限定品という物珍しさにかれて購入する事にした。

「確かに、凄く上品な味だね。じゃあそれ、ひと瓶貰うよ。あと蓮華れんげの2キロもひとつ」
「はい、有難う御座います」

 朱理がひとつ抱えたら手一杯になる様な大瓶に満たされた蜂蜜が4つも並ぶ様を見て、鶴城が苦笑する。

「相変わらず、纏め買いの量がすげぇな。そんなに大きな瓶、幾つも買って大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。あっという間に無くなるから、できるだけストックしとかないと不安なんだよね」
「ははは。朱理太夫は昔から、ひと月にひと瓶は空けるお方ですからね。もっと早くに無くなる事もしょっちゅうですし」
「え、それ1ヶ月もたないの!? 2キロあるんだろ!?」
「俺、蜂蜜どばどば入れた珈琲ばっか飲んでるから。あっという間よ、まじで」
「それでえへんねやさかい、羨ましわぁ」
「蜂蜜は身体に良いんだよ。糖分も砂糖より少ないし、殺菌効果は高いし。免疫力も高めてくれて、胃腸の調子も整えてくれるんだって。天然成分やばくね?」
「へぇ、蜂蜜にそんな効果があるの?」
「流石ですなぁ。朱理太夫のおっしゃる通りで御座います。古来から薬としても重宝ちょうほうされておりますからね」
「ほらねー。皆も砂糖の代わりに、蜂蜜使えば良いのに」

 やおら熱弁をふるう朱理に、一茶をはじめ、冠次、けい菲も蜜売りの前に集まってきた。

「朱理がそこまで言うなら、俺もひとつもらおうかなぁ」
「その蓮華っての気になる。俺も買うわ」
「やったら俺は桜ゆうんがしなぁ」

 朱理の蜂蜜好きははからずも中田屋の宣伝になったらしく、興味を惹かれた娼妓らが次々と購入していき、蜜売りの手元はすっかり軽くなった。

「いやはや、太夫のお陰で今月一番の売れ行きですよ。有難い事です」
「随分、品薄しなうすになっちゃったけど大丈夫? まだ回らなきゃいけないんじゃないの?」
「大丈夫ですよ、予備は沢山ありますから。それと、これはいつも御贔屓にして頂いているお礼と、ささやかながら太夫になられたお祝いです。おおさめ下さい」
「うわぁ、良いの? すっごく嬉しい! 有難う、中田屋さん!」

 質素ながら丁寧に包装された箱を差し出され、朱理は無邪気に破顔はがんした。

「あれだけ喜んでくれるんなら、プレゼントのし甲斐がいもあるってもんだよな」
「見ろ、中田屋の親父のほうけたツラ。他の商人まで見惚みとれてやがるぜ」
「あはは、あの子は本当に純粋だよねー」

 そんなこんなで娼妓らは買い物を済ませて商人達も帰って行き、朱理も部屋へ戻ろうと荷物を抱える。

「ゔっ……重ッ! この箱、何が入ってんだ? これひとつで腰痛めそうだな……」
「そんなに重いのか? それ」

 中田屋から贈られた箱を持ち上げようとした朱理が、想定外の重量に困惑していると、頭上から鶴城の声が降ってきた。

「うん、なんかすげぇ重い。蜂蜜だけなら何とかなるんだけど……。しゃーない、分けて運ぶか」
「箱と蜂蜜の袋、持ってやるよ」
「えっ、重い物ばっかじゃん! 良いよ、なんか悪いし」
「どうせ上まで一緒なんだから、気にするなって。軽いのだけ持ってきな」
「うう……有難う、めっちゃ助かる。従業員エレベーターとか欲しいよなぁ。せめて荷物の運搬用とかさ」
「あー、確かに。それあったら便利だよな」
「そもそも、なんで元から無いんだよって話だよ」
「防犯じゃないか? 客や従業員が簡単に各階に行けない様に。特に最上階な」
「だったら三階には専用キーとか作れば良いじゃんね」
「ああ、高級ホテルのエレベーターみたいな?」
「そうそう。今度、楼主か遣手に言ってみようかな」
「資金も頼める業者もありそうだし、言ってみる価値はあるかもだな」

 そんな話をしながら鶴城に手伝って貰い、荷物は無事に朱理の自室へ辿り着いた。

「ありがとな、鶴城。ほんとに助かったわ」
「どーいたしまして。ちなみにそれ、何が入ってるのか見て良いか?」
「あ、そうだね。開けてみよう」

 朱理は箱の包装をき、蓋を開いた。

「うわ、まじか! 枇杷蜜びわみつ4キロじゃん! 道理で重いはずだわー」
「すげぇ大きさ……もう業者用だな、これ。枇杷って珍しいのか?」
「枇杷は蜂蜜の中でも高級で、お値段も結構するのよ。太っ腹だなぁ、中田屋さんたら」
「他には……へぇ、蜂蜜由来の化粧水にパック、リップクリームにハンドクリーム、ボディクリーム、プロポリス飴……ローヤルゼリーの錠剤まであるのか」
「うはぁ、高いのばっかり……。これ、普通に買ったら10万以上かかりそうだわ……」
「そのぶん、いつも朱理が買ってるんだから良いんじゃないか? 今日は元取れるくらい他の奴らも買ってたしな」
「うん、これからも贔屓にさせて貰おう。運んでもらったお礼に、プロポリスとローヤルゼリー、1袋ずつあげるよ」
「そんな大袈裟な。ちょっと荷物持っただけだぞ」
「良いから取っといて。この飴、喉が痛い時にめっちゃ効くから。ローヤルゼリーは滋養強壮ね」
「おお、そりゃ良い。じゃ、有り難く頂いとくよ」
「んじゃ、そろそろ支度するか。今日も頑張るかなーっと」
「お互い、ほどほどにやろうなー」

 それぞれの支度部屋へ向かって別れ、本日も華やかに万華郷が開店する。

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