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第三章
第三十五夜 【虚言症】
しおりを挟む黒蔓は初っ端から苛ついた声音を伊まりへ投げた。
「で、お前だよ、この問題児が」
「なんですかぁ、藪から棒にぃ」
「なんですかじゃねーわ。お前、最近みょうに元気そうだと思ったら、客に一服盛ってるらしいなぁ、え?」
「うっそ、まじで?」
「はー? なんの事やら、さっぱり分かりませんけどぉー」
薄ら笑いですっとぼける伊まりに、黒蔓は煙草を嚙み潰しそうな勢いで苛立ちを露わにする。
黒蔓が袂から薬の紙袋を取り出し、机上に放り投げると、伊まりは途端に厭な顔をした。
「見張り方から報告があってなぁ。近頃、お前の客はやたらと直ぐ寝る。そこまで大酒かっ食らってる様子も無く、する事もしないで寝こけるのはおかしい、とな。で、お前の部屋を調べたら、これが出てきた訳だ」
「このッ……勝手に人の部屋漁んなや!」
やおら顔を顰めて憤慨する伊まりを、更に詰める黒蔓。
「これは眠剤だな。なんでこんなモン持ってんだ?」
「……い、イヤやなぁ。そんなん、俺が飲む為に決まっとるやないですか。ここんとこ、寝つき悪ぅてしゃあないんですよねぇ」
「ほーお。映像にはお前が服用してる所なんて、一度も映っていなかったが? しかも、薬のあった場所は完全にカメラの死角になる場所で? からくり箪笥の二重底に隠してあった訳だが、それはどう言い訳してくれるんだろうなぁ、え? おい」
「──……っ」
「伊まりぃ……いくらなんでも、そりゃやり過ぎだわ……」
流石、小細工が得意なだけに発想が奇抜だな、と関心と呆れが混じった声をかけ、朱理は三杯目の珈琲を注ぎに行く。
背後からは開き直った伊まりと黒蔓が、激しく言い争っているのが聞こえてくる。
伊まりはやたらと悪知恵の働く娼妓で、息をするように嘘を吐き、自分が楽をする為に様々な手段で客や従業員を出し抜くのだ。その為、しょっちゅう網代や黒蔓を怒らせては、更に面倒な客を宛てがわれるという、負の連鎖を形成している。
かなりタチの悪い男だが、顔面偏差値の高さと二重人格さながらの猫かぶりにより、根強い人気を誇っているのだ。
「やって良い事と悪い事の区別も付かねーのか、お前は。こんな事が公になったら訴訟モンだぞ」
「ちょっと寝かしつけただけで、そんなワケあるか! いちいち大袈裟なんじゃ! 客かてぐっすり眠れてええやろが!」
「良い訳ねーだろ馬鹿が。お前らの仕事は何だ? 言ってみろ」
「接客という名のセックス」
「で、その接客に問題があったらどうなる? 客は高い揚代払ってるってのに、お前がやってんのは殆ど詐欺だぞ」
「はあ? んなモン番付見てから言えや。俺、今回8位やし。トップテンやぞ。怒られるどころか、褒められるとこちゃうんかい」
「だから尚更だろうが。お前の悪事がバレてねーからその位置にいられるんだよ。そんなにラクしたけりゃ、其処の大関を見習え」
大関とは番付で1位の娼妓を指す言葉で、例えば〝東の大関 『万華郷』朱理太夫〟と言った様に、見世の名と太夫の名が記載される。
「あんなバケモンが手本になるかいな。皆がああやったら、番付もクソも無くなるわボケ」
「おっとぉ、飛び火するとか聞いてない」
「お前は腐っても上級娼妓だろうが。客は小細工じゃなく、手練手管で扱え。ったく、新造時代になに学んだんだか。兄貴の顔が見てみたいわ」
「はっ! よぉ言うわそんな事。朱理ぃ、お前の保護者、ええ加減うっといねんけどー」
「巻き込まないで、面倒くさいから」
「とにかく、これは没収だ。見張りも強化させる。今度みょうな動きしたら、お前に一服盛ってやるからな。醜態さらしたくなきゃ、よく覚えとけ」
「チッ……はいはい、分かった分かった! ホンマおっそろしい発想しよるな、鬼蔓め……」
膨れっ面を晒してそっぽを向いた伊まりに嘆息しつつ、黒蔓は煙草を咥える。
火を点けると、己の隣をぽんぽんと叩いて朱理を呼んだ。
「来い」
「はぁい。珈琲は?」
「いる」
「了解ー」
聞く前から既に二人分の珈琲を注いでいる朱理を見遣って、伊まりは顔を顰める。
「相変わらず、依怙贔屓がハンパないな。俺らとぜんっぜん態度ちゃうし」
「当たり前だろ。お前らにもあんな気が遣えりゃ、多少は親切にしてやるけどな」
「普通、これから説教くらうっつーときに〝珈琲は?〟なんて聞けるか!」
「聞けるじゃねーか。今見てたろ」
「はぁ……もぉええわ……」
伊まりとそんな問答をしている間に、珈琲を持った朱理が黒蔓の隣へ腰掛けた。
「はい、どーぞ」
「おう」
「で、俺なんかやらかしました?」
「お前は良い子だよ。選り好みはしねぇし、仕事も完璧にこなしてる。だがな、ちょっとやり過ぎだ」
「やり過ぎって、なにを?」
「客の我儘を聞き過ぎてる」
黒蔓は懐から何枚か写真を出して見せた。横から覗き込んだ伊まりが悲鳴を上げる。
「ひェッ! 吃驚したぁ……。何処のSM雑誌かと思たわ……。なにこれ、麻縄? 緊縛とか言うやつ?」
「あ、あー……それはそういう趣味の人が、ちょっと張り切っちゃって……。でも、傷になったり怪我する様な事はしてないから」
「これも痕にならねぇのか?」
「ああ、うん。その鞭は音が派手なのと、ちょっと赤くなるだけで大丈夫なやつ! 流石に一本鞭とか乗馬鞭は、めっちゃ痛いし怪我するから断ってるよ」
朗らかに言って退ける朱理に、伊まりは若干、引き気味だ。
「これもだ。危うく見張り方が駆け付ける所だったぞ」
「えっ!? おもっきし首締められとるやん! こわッ!」
「いやいや、そういうプレイだから。本気で殺すつもりなワケないじゃん」
「お前の寝屋の見張り方は毎晩、瞬きも出来ずに疲労困憊だぞ。こういう手合いは、何やらかすか分からん危険がある事は解ってるだろ」
「だから無理なものは無理って、ちゃんと言ってるよー。まあ、世の中いろんな趣向の方が居ますから」
次々と出てくる朱理の寝屋事情に、伊まりはげっそりしていた。
「目隠し、手錠、蝋燭……アダルトグッズ総なめやん……えげつなぁ……。朱理、こんなん相手にしてたんか……。なんか、ごめんな……?」
「え、やめてよ。悲しくなるじゃん」
やれやれ、と写真を仕舞いながら黒蔓は紫煙を吐く。
「本来ならキャパ以上の事はするなと言う所だが、お前のはでか過ぎるんだよなー。今の所は目を瞑るが、危険だと判断したら直ぐ言えよ。それと、あんまり客を調子に乗らせるな」
「はーい、分かってまーす」
「それからこれ、今日の予約表だ」
今度は写真の代わりに名簿を出して手渡した。
「昼に2、夜に9か。あれ、この初回の神々廻って、あの?」
煙草を咥えながら予約表に目を通していた朱理が、夜見世に名を連ねている男に眉を顰めた。
「ああ、稲本の楼主だよ。話は卯田さん達から聞いてるな」
「聞いた聞いた。なんなら本人とちょっと話したし。胡散臭い野郎だったけど、まさか本当に予約して来るとはね。ただの社交辞令かと思ってたわ」
「断っても良いが、どうする?」
「まー、馴染みになるまで受けとくよ。嗚呼、最後は大聖か。なら気楽で良いや」
「チッ……あのガキ、三日と空けずに来やがるじゃねーか。お前もちょっと甘やかし過ぎだぞ」
「だってもう8年近い付き合いよ? 指名変えせず、三度登楼もきっちりこなして馴染みに戻るなんて、律儀で可愛いじゃないの」
「あー、腹立つ。ぼったくって見世ごと潰してやろうかな」
「出たで、兄バカ」
嫉妬めいた発言を茶化す伊まりを、じろりと睨む黒蔓。
朱理は紫煙を吐きつつ、目を細めて予約表を指で弾いた。
「物は考えよう、ってね。俺が三大遊郭のアタマ抑えてりゃ、少しは黒蔓さんの役に立つ事があるかもよ?」
「まったく恐れ入るよ。やっぱり、お前を拾ったのは大正解だったな」
「あーあ、怖い怖い。朱理も可愛い顔して抜け目無いわぁ。流石は秘蔵っ子やな」
「いちいち五月蝿い奴だな。いつまで居るんだよ、お前はもう出てけ」
「はいはい。ほなな、朱理。また控え所来ぃやー」
「おう。お疲れー」
ひらひらと手を振って伊まりが出て行き、黒蔓は深く嘆息してソファに背を預けるのだった。
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