万華の咲く郷

四葩

文字の大きさ
上 下
38 / 116
第三章

第三十四夜 【依存症】

しおりを挟む

 連日、満員御礼だった朱理しゅりの初回や裏が落ち着きを見せ始め、吉原細見よしわらさいけんの番付は朱理が1位を独占していた。
 番付に載るのは、花魁や格子太夫以上の上級娼妓のみで、陰間も遊女も一緒くたに人気度が順位付けされる。
 陸奥むつはこの番付の上位常連者で、現在2位につけている。朱理のように新しく見込みのある娼妓が現れた場合以外、1位の座をほぼ欲しいままにしている帝王だ。
 3位以下は大文字だいもんじ角海老かどえび稲本いなもとの花魁と共に、万華郷まんげきょうの娼妓らが名を連ねていた。

 そんなある日の午前11時。
 完全に寝起き不機嫌づらの朱理、冷や汗をびっしり浮かべているつゆ李、退屈そうに窓の外を見る伊まりの三人が、執務室に呼び出されていた。
 眼前の革張りのソファには、黒蔓くろづるが咥え煙草で鷹揚おうように足を組んで座っている。
 執務室とは顧問弁護士である辰巳たつみの仕事場であると共に、楼主や遣手の打ち合わせ、娼妓の面談や説教に使われる部屋でもある。
 黒蔓の前に並ばされた三人の横では、辰巳がデスクでPCに向かって仕事中だ。
 朱理は東雲しののめによって半寝の状態で引きってこられ、何故こんな状況におちいっているのかさっぱり分かっていない。

「朱理、お前の話は最後だ。取り敢えず一服して目ぇ覚ましとけ」
「あーいー……」

 何事だか知らないが、言われるままに執務室の珈琲を拝借し、煙草に火を点けて成り行きを見守る事にした。

「つゆ李。呼ばれた理由わけは、もうわかってるよな?」
「……はい」

 冷や汗を流しながらつゆ李が答える。黒蔓は紫煙を吐き、口角を上げた。

「そうだよなぁ、お前はお利口さんだもんなぁ。なのにどうして、その悪癖あくへき何時いつまで経っても治らねーんだ? なんなら前より酷くなってんじゃねぇか。身上がりだけじゃ飽き足らず、借金の肩代わりまでしてやるとは。お優しい事だなぁ、え?」
「……ッ、申し訳……御座いません……」
「俺に謝っても仕方ねぇよ、お前の問題だ──と、言いたいところだが、借金作っちまった以上、見て見ぬふりも限界だ。このままじゃ、見世にも損害が出る。それくらい解るだろ?」
「はい……」
「じゃあどうすれば良いかも当然、解るよな?」
「はい……。もう二度と身上がりは致しません……」

 以前、話題に上っていた様に、つゆ李は押しに弱い大人しい娼妓で、身上がりを繰り返してはこうして注意を受けている。下手娼妓の中でも三本指に入る美形で、澄んだ美しさを感じさせる面立ちながら、小心が祟って折角の美貌も活かしきれていない。
 黒蔓は紫煙と共に深く嘆息たんそくする。

「その台詞は聞き飽きたっつってんだよ。お前は毎回そう言ってこのザマだぞ。いい加減、口だけじゃなく行動で示せ」
「も、申し訳御座いません……。いけないと解ってはいるのですが、どうしても断り切るすべが思いつかずに……」
「はー……。おい、朱理」

 辰巳のデスク端に腰掛けて珈琲をすすっていた朱理は、突然の指名に吹き出しかけた。軽くせながら顔を向ける。

「……急に呼ばないでよ、吃驚びっくりするから……。なに?」
「聴いてたろ。お前ならどうする?」
「どうって、断るよ。例え心底いた相手でも、借金の肩代わりは絶対に無理。100年の恋も瞬で冷める」
「ま、フツーそうやわな」

 あっさり言い放つ朱理と、それに同調する伊まりを見て、黒蔓はつゆ李へと向き直った。

「つゆ李よ、こんな簡単な事が何故出来ない? まさか今までの奴ら全員に、身銭みぜに切ってやる程の気持ちがあったなんて言わねぇよな?」
「それは……無い、ですけど……」
「けど? なんだ」
「……どうしても駄目なんです……。贔屓にして下さっている方が困っているのに、あっさり見捨てるなんて……俺には出来ません……」
「贔屓だろうとあくまで客だ。金を払う側の人間だぞ。ほっときゃ良いじゃねぇか、他人なんだから」
「無理なんです……。今度こそ断ろうと思いながら、目の前でつらそうな顔をされると、つい……」

 ぎゅっとこぶしを握り締めてうつむくつゆ李を、朱理は紫煙を吐きながらぼんやり眺めていた。朱理には全く分からない感情なのだ。
 陸奥ほどの無慈悲とは言わないまでも、普通は赤の他人にそこまでのなさけは掛けられない。身上がりや金銭を要求されたら突っぱねれば良いし、しつこい客は登楼を断れば良いだけの事だ。
 それをいちいち聞いてやった挙句あげく、そんな苦しそうな顔をするなど、まったく馬鹿らしい話だ、と朱理は思う。
 黒蔓は深く溜息をき、語気を強めた。

「ったく、それでてめぇが借金抱えてちゃ世話ねーだろ。そんな事を続けていれば、借金は膨れ上がる一方で見世の評判はガタ落ちだ。こうなったら、此方こちらも強硬手段に出ざるを得ないな」

 その言葉に、つゆ李は唇を噛んで目を伏せ、やがて消え入りそうな声で呟いた。

「……でしたら、他の見世に売って下さい……」
「なんだと? もういっぺん言ってみろ」
「私を売って下さい。たいした金額にはならないかもしれませんが……。このままご迷惑を掛け続けるよりは、そうして頂いた方が宜しいかと思います……」

 怒気どきはらんだ黒蔓の声音に対し、つゆ李は腹をえた様にきっぱりと言い放った。あまりに突飛とっぴな発言に、朱理と伊まりはぽかんと口を開けている。
 やれやれと額に手を当て、黒蔓は呆れ果てた声を上げた。

「なに馬鹿なこと言ってんだ。本当に極端だな、てめぇは」
「しかし……先程、強硬手段に出ると……」
「誰が売り飛ばすなんて言った? はやとちりすんじゃねぇよ」
「では、どういう……俺が此処ここに居続けては、しめしがつかないのでは……?」
「お前、全く治す気が無い前提だな。俺が言った強硬手段ってのは、お前が自力で断れる様になるまでの間、部屋に見張みはかたを付ける事だ」
「「ええっ!!?? 」」
「っ、それは……」

 ぎょっとする娼妓らに構わず、黒蔓は飄々ひょうひょうと話を続けた。

「一応、屏風びょうぶで仕切って見えない場所に配置する。まあ、ちょっと隣が静かな割床わりどことでも思え」

 割床とは、簡単に言えば相部屋の事である。寝床ねどこと寝床のあいだは屏風で仕切っただけで、視界こそさえぎられるが物音や声は筒抜けだ。
 個室を持たない新造は大抵、名代みょうだい寝屋ねやという大部屋に送り込まれて割床となる。名代寝屋は、太夫の名代として新造が客と寝る事からそう呼ばれている。
 新造が客を取る様になっても、格上げされるまではこの名代寝屋か、一階の新造寝屋を使うのだ。

「太夫んなってまでセックス監視されるとか最悪やな。鬼や、鬼」
「ま、まぁでも、最効率な気もする……。流石に其処そこまでされたら、身上がりしたくても出来ないでしょ。うちらだってカメラで見られてる訳だし、監視されてるって点では、そう変わりない……かな?」

 文字通りの強硬手段に、伊まりらは何とも言えない顔でそんなやり取りを交わしている。

「お前が自力で断れる様になったら、見張り方は外してやる。精々、一日も早くメンタルきたえ直す事だな」
「……分かりました……。お手数お掛けして、申し訳御座いません……」
「じゃ、お前との話は終わりだ。行け」
「はい……失礼致します……」

 しょぼ、と肩を落として出て行くつゆ李を、憐憫の眼差しで見送る朱理と伊まりだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

次男は愛される

那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男 佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。 素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡ 無断転載は厳禁です。 【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】 12月末にこちらの作品は非公開といたします。ご了承くださいませ。 近況ボードをご覧下さい。

有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺

高菜あやめ
BL
【マイペース美形社長秘書×平凡新人営業マン】会社の方針で社員全員リモートワークを義務付けられたが、中途入社二年目の営業・野宮は困っていた。なぜならアパートのインターネットは遅すぎて仕事にならないから。なんとか出社を許可して欲しいと上司に直談判したら、社長の呼び出しをくらってしまい、なりゆきで社長秘書・入江のマンションに居候することに。少し冷たそうでマイペースな入江と、ちょっとビビりな野宮はうまく同居できるだろうか? のんびりほのぼのテレワークしてるリーマンのラブコメディです

君が俺を××すまで

和泉奏
BL
【執着攻め】ただ、いつもと同じように平凡な日を過ごすはずだった。 イラスト表紙、赫屋様

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

one night

雲乃みい
BL
失恋したばかりの千裕はある夜、バーで爽やかな青年実業家の智紀と出会う。 お互い失恋したばかりということを知り、ふたりで飲むことになるが。 ーー傷の舐め合いでもする? 爽やかSでバイな社会人がノンケ大学生を誘惑? 一夜だけのはずだった、なのにーーー。

またのご利用をお待ちしています。

あらき奏多
BL
職場の同僚にすすめられた、とあるマッサージ店。 緊張しつつもゴッドハンドで全身とろとろに癒され、初めての感覚に下半身が誤作動してしまい……?! ・マッサージ師×客 ・年下敬語攻め ・男前土木作業員受け ・ノリ軽め ※年齢順イメージ 九重≒達也>坂田(店長)≫四ノ宮 【登場人物】 ▼坂田 祐介(さかた ゆうすけ) 攻 ・マッサージ店の店長 ・爽やかイケメン ・優しくて低めのセクシーボイス ・良識はある人 ▼杉村 達也(すぎむら たつや) 受 ・土木作業員 ・敏感体質 ・快楽に流されやすい。すぐ喘ぐ ・性格も見た目も男前 【登場人物(第二弾の人たち)】 ▼四ノ宮 葵(しのみや あおい) 攻 ・マッサージ店の施術者のひとり。 ・店では年齢は下から二番目。経歴は店長の次に長い。敏腕。 ・顔と名前だけ中性的。愛想は人並み。 ・自覚済隠れS。仕事とプライベートは区別してる。はずだった。 ▼九重 柚葉(ここのえ ゆずは) 受 ・愛称『ココ』『ココさん』『ココちゃん』 ・名前だけ可愛い。性格は可愛くない。見た目も別に可愛くない。 ・理性が強め。隠れコミュ障。 ・無自覚ドM。乱れるときは乱れる 作品はすべて個人サイト(http://lyze.jp/nyanko03/)からの転載です。 徐々に移動していきたいと思いますが、作品数は個人サイトが一番多いです。 よろしくお願いいたします。

処理中です...