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第三章
第三十四夜 【依存症】
しおりを挟む連日、満員御礼だった朱理の初回や裏が落ち着きを見せ始め、吉原細見の番付は朱理が1位を独占していた。
番付に載るのは、花魁や格子太夫以上の上級娼妓のみで、陰間も遊女も一緒くたに人気度が順位付けされる。
陸奥はこの番付の上位常連者で、現在2位につけている。朱理のように新しく見込みのある娼妓が現れた場合以外、1位の座をほぼ欲しいままにしている帝王だ。
3位以下は大文字、角海老、稲本の花魁と共に、万華郷の娼妓らが名を連ねていた。
そんなある日の午前11時。
完全に寝起き不機嫌面の朱理、冷や汗をびっしり浮かべているつゆ李、退屈そうに窓の外を見る伊まりの三人が、執務室に呼び出されていた。
眼前の革張りのソファには、黒蔓が咥え煙草で鷹揚に足を組んで座っている。
執務室とは顧問弁護士である辰巳の仕事場であると共に、楼主や遣手の打ち合わせ、娼妓の面談や説教に使われる部屋でもある。
黒蔓の前に並ばされた三人の横では、辰巳がデスクでPCに向かって仕事中だ。
朱理は東雲によって半寝の状態で引き擦ってこられ、何故こんな状況に陥っているのかさっぱり分かっていない。
「朱理、お前の話は最後だ。取り敢えず一服して目ぇ覚ましとけ」
「あーいー……」
何事だか知らないが、言われるままに執務室の珈琲を拝借し、煙草に火を点けて成り行きを見守る事にした。
「つゆ李。呼ばれた理由は、もう解ってるよな?」
「……はい」
冷や汗を流しながらつゆ李が答える。黒蔓は紫煙を吐き、口角を上げた。
「そうだよなぁ、お前はお利口さんだもんなぁ。なのにどうして、その悪癖は何時まで経っても治らねーんだ? なんなら前より酷くなってんじゃねぇか。身上がりだけじゃ飽き足らず、借金の肩代わりまでしてやるとは。お優しい事だなぁ、え?」
「……ッ、申し訳……御座いません……」
「俺に謝っても仕方ねぇよ、お前の問題だ──と、言いたいところだが、借金作っちまった以上、見て見ぬふりも限界だ。このままじゃ、見世にも損害が出る。それくらい解るだろ?」
「はい……」
「じゃあどうすれば良いかも当然、解るよな?」
「はい……。もう二度と身上がりは致しません……」
以前、話題に上っていた様に、つゆ李は押しに弱い大人しい娼妓で、身上がりを繰り返してはこうして注意を受けている。下手娼妓の中でも三本指に入る美形で、澄んだ美しさを感じさせる面立ちながら、小心が祟って折角の美貌も活かしきれていない。
黒蔓は紫煙と共に深く嘆息する。
「その台詞は聞き飽きたっつってんだよ。お前は毎回そう言ってこのザマだぞ。いい加減、口だけじゃなく行動で示せ」
「も、申し訳御座いません……。いけないと解ってはいるのですが、どうしても断り切る術が思いつかずに……」
「はー……。おい、朱理」
辰巳のデスク端に腰掛けて珈琲を啜っていた朱理は、突然の指名に吹き出しかけた。軽く噎せながら顔を向ける。
「……急に呼ばないでよ、吃驚するから……。なに?」
「聴いてたろ。お前ならどうする?」
「どうって、断るよ。例え心底好いた相手でも、借金の肩代わりは絶対に無理。100年の恋も瞬で冷める」
「ま、フツーそうやわな」
あっさり言い放つ朱理と、それに同調する伊まりを見て、黒蔓はつゆ李へと向き直った。
「つゆ李よ、こんな簡単な事が何故出来ない? まさか今までの奴ら全員に、身銭切ってやる程の気持ちがあったなんて言わねぇよな?」
「それは……無い、ですけど……」
「けど? なんだ」
「……どうしても駄目なんです……。贔屓にして下さっている方が困っているのに、あっさり見捨てるなんて……俺には出来ません……」
「贔屓だろうとあくまで客だ。金を払う側の人間だぞ。ほっときゃ良いじゃねぇか、他人なんだから」
「無理なんです……。今度こそ断ろうと思いながら、目の前で辛そうな顔をされると、つい……」
ぎゅっと拳を握り締めて俯くつゆ李を、朱理は紫煙を吐きながらぼんやり眺めていた。朱理には全く分からない感情なのだ。
陸奥ほどの無慈悲とは言わないまでも、普通は赤の他人にそこまでの情は掛けられない。身上がりや金銭を要求されたら突っぱねれば良いし、しつこい客は登楼を断れば良いだけの事だ。
それをいちいち聞いてやった挙句、そんな苦しそうな顔をするなど、まったく馬鹿らしい話だ、と朱理は思う。
黒蔓は深く溜息を吐き、語気を強めた。
「ったく、それでてめぇが借金抱えてちゃ世話ねーだろ。そんな事を続けていれば、借金は膨れ上がる一方で見世の評判はガタ落ちだ。こうなったら、此方も強硬手段に出ざるを得ないな」
その言葉に、つゆ李は唇を噛んで目を伏せ、軈て消え入りそうな声で呟いた。
「……でしたら、他の見世に売って下さい……」
「なんだと? もういっぺん言ってみろ」
「私を売って下さい。たいした金額にはならないかもしれませんが……。このままご迷惑を掛け続けるよりは、そうして頂いた方が宜しいかと思います……」
怒気を孕んだ黒蔓の声音に対し、つゆ李は腹を据えた様にきっぱりと言い放った。あまりに突飛な発言に、朱理と伊まりはぽかんと口を開けている。
やれやれと額に手を当て、黒蔓は呆れ果てた声を上げた。
「なに馬鹿なこと言ってんだ。本当に極端だな、てめぇは」
「しかし……先程、強硬手段に出ると……」
「誰が売り飛ばすなんて言った? はやとちりすんじゃねぇよ」
「では、どういう……俺が此処に居続けては、示しがつかないのでは……?」
「お前、全く治す気が無い前提だな。俺が言った強硬手段ってのは、お前が自力で断れる様になるまでの間、部屋に見張り方を付ける事だ」
「「ええっ!!?? 」」
「っ、それは……」
ぎょっとする娼妓らに構わず、黒蔓は飄々と話を続けた。
「一応、屏風で仕切って見えない場所に配置する。まあ、ちょっと隣が静かな割床とでも思え」
割床とは、簡単に言えば相部屋の事である。寝床と寝床のあいだは屏風で仕切っただけで、視界こそ遮られるが物音や声は筒抜けだ。
個室を持たない新造は大抵、名代寝屋という大部屋に送り込まれて割床となる。名代寝屋は、太夫の名代として新造が客と寝る事からそう呼ばれている。
新造が客を取る様になっても、格上げされるまではこの名代寝屋か、一階の新造寝屋を使うのだ。
「太夫んなってまでセックス監視されるとか最悪やな。鬼や、鬼」
「ま、まぁでも、最効率な気もする……。流石に其処までされたら、身上がりしたくても出来ないでしょ。うちらだってカメラで見られてる訳だし、監視されてるって点では、そう変わりない……かな?」
文字通りの強硬手段に、伊まりらは何とも言えない顔でそんなやり取りを交わしている。
「お前が自力で断れる様になったら、見張り方は外してやる。精々、一日も早くメンタル鍛え直す事だな」
「……分かりました……。お手数お掛けして、申し訳御座いません……」
「じゃ、お前との話は終わりだ。行け」
「はい……失礼致します……」
しょぼ、と肩を落として出て行くつゆ李を、憐憫の眼差しで見送る朱理と伊まりだった。
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