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第三章
第三十夜 【全楼懇談会】
しおりを挟む昼見世は休みとなった朱理は、一先ずゆっくり風呂に入り、疲れを癒す事にした。普段は20分そこそこで出るものを、40分程かけて堪能し、襦袢を引っ掛けて自室へ戻る。
時刻は13時を回っており、他の娼妓らは各々、支度に取り掛かっている頃だ。
オンデマンドで映画でも見ようかと思っていた時、がらりと襖を開いて入って来た黒蔓の姿に、目が点になる。
「……え? どしたの、その格好……なにごと?」
「なにごとってなんだ、普通だろ」
「いや、普通だから普通じゃないっつーか、なんつーか……」
黒蔓は普段、着流しの胸元を広く寛げ、羽織も肩に引っ掛けるだけという、何ともしどけない出で立ちをしている。
だが今、目の前に立っているのは、普段より上等な着物をきっちり着こなし、羽織に袖を通した姿だった。
「意味分からん事言ってないで、さっさと支度しろ」
「はっ!? 今日、休んで良いって言ったじゃん!」
「見世はな。今日は全楼懇談会だ。ついでだから、お前も連れて行く」
「ぜん……なに? そんなの聞いて無いし! ついでってなんだよ!」
「良いから早くしろ。開始は14時半だからな」
「ちょっと待っ……なにそれ! なにするとこ!?」
話が見えずに混乱する朱理を衣装部屋へと引き擦って行き、外出用の着物を手際良く着せ付け始めた。帯を締めながらおざなりに説明する。
「吉原全店の楼主や内儀、遣手が集まる月一の定例会だ。情報共有や規約見直しやらの話をする、まぁ、会議と交流を兼ねた集会みたいなもんだな」
「はー? そんなん、俺が行って良いとこじゃなくない?」
「問題ねぇよ。お前の客どもが雁首揃えてるだけの事だ」
「余計に厭だわ! 御内儀と鉢合わせたら気不味いじゃんか!」
「来るのは楼主か遣手が殆どだから心配するな。ま、内儀が来たところで、集会中に揉める様な阿呆は居ないだろ」
「いやいやいや、おかしいって。場違い過ぎるでしょ、俺。そう言うのは煜さんが行くべきなんじゃねぇの?」
「東雲には昼見世を仕切らせるから無理」
「えぇー……。休ませたのはこの為だったんだな……ちくしょう……」
「ふん、ただで休ませる訳ないだろ。楼主どもは皆、お前が来たら泣いて喜ぶだろうよ。精々、愛想振り撒いとけ」
ものの15分たらずで支度を済まされ、嫌々ながらも黒蔓の後を追いつつ、朱理はその真意を察した。
朱理の顧客には、楼主などの妓楼関係者が数多く居る。この三日で登楼を断った者のご機嫌取り兼、営業をするつもりなのだろう。
朱理は深く嘆息しながら、腹を括るしか無いのだった。
────────────────
集会所へ向かう車内で煙草を燻らせ、隣に座る黒蔓を見遣る。
「そんなきっちりした格好、久し振りに見たわ。珍しく明るい色着てるけど、京友禅?」
「いや、加賀。大島と迷ったが、今日は友禅の方が良さそうだったんでな」
「なんで?」
「お前が居るからだよ。俺だけ暗くちゃ、見栄えが悪いだろうが」
「えぇ……ちょっと大袈裟に考え過ぎじゃない? 道中じゃないんだからさ……。それに、大島でも明るい色はあるでしょ」
「大島は泥しか無いから、もっと暗くなる。お前も一枚くらい持っとけよ」
「持ってるよ。泥染めじゃないけど」
「そりゃ大島とは言えないな」
「意識高けぇなオイ……」
黒蔓は加賀友禅の鳩羽色の着物、白地に黒鳥と赤花模様の半襟、菫色の羽織。
朱理は京友禅の小町鼠の着物、黒地に赤白金菊と赤垂れ藤の半襟、薄紅の羽織。
二人共、冬用の黒足袋を履いている。
下手娼妓の仕事着は全て女物だが、私用の際は男物の着物で出掛けるのだ。
軈て車は集会所へと到着した。まず、大広間の座敷で客の情報交換、規約の見直し、立案、吉原情勢などが話し合われ、ひと段落すると、別室にて立食会が行われる流れだ。
二人が広間へ足を踏み入れると、既に到着していた楼主らが騒めくのが分かった。
「見ろ、御出でなすったよ。万華郷の黒蔓さんだ」
「相変わらずの気迫よのぉ。一瞬で空気が変わりやがる」
「あれだけのキレ者を抱えてるんだ、あの見世はますます繁盛するわいな」
「おいおい、いっしょくたにしちゃいけねぇよ。あすこはもう別次元だぜ」
「おや? 隣に連れているのは、まさか……」
「なんと、朱理太夫じゃないか! どうしてこんな所に……」
「聞いた話じゃ、あの篁に初馴染みから居続けられていたとか……」
「嗚呼……道理で。予約が軒並み後ろ倒しだってんで、おかしいと思ってたんだよ」
「なんてこったい、また厄介なのに目ぇつけられたもんだ。可哀想に……」
此方を見ながらひそひそと耳打ちし合う輩を横目に、黒蔓は舌打ちして煙草に火を点けた。苦笑を漏らしながら朱理は首を傾げる。
「京雀に負けず劣らず、吉原雀も賑やかなことだねぇ」
「くちさがない連中だ。毎度毎度、飽きもせず喧しいったらありゃしない」
「それにしても、相変わらずの人気ぶりだね、黒蔓さん。皆が貴方を見てる」
「ふん。今日はお陰で半分はお前に釘付けさ」
「はいはい。大人しく視線避けになっておきますよ」
「俺の側から離れるなよ。流石に此処でやらかす様な馬鹿は居ないと思うが、念の為だ」
「はーい」
呑気な声で答えつつ、朱理も袂から煙草を取り出し、さり気なく黒蔓へ身体を寄せるのだった。
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