30 / 116
第三章
第二十六夜 【宵闇雨】※
しおりを挟む午前0時。朱理は篁の待つ揚屋へ向かっていた。
太夫になってからの初馴染みという事で、今回の付き添い新造は妹尾、吉良、月城、碓氷の4名が宛てがわれた。
本来ならば遣手も同行する筈だが、代わりに番頭新造の東雲が付いている。三つ指をついて口上を述べる姿を見ていた朱理は、東雲もすっかり〝あちら側〟だな、と思った。
朱理は此方をじっと見つめて待ち受けている篁の隣へ、静かに座した。
早速、盃へ酒が注がれ、朱理も篁へ注ぎ返して乾杯をする。朱理が干した杯へまた継ぎ足しながら、篁は口を開いた。
「先日の道中を見たよ。素晴らしかった」
「……有難うございます」
冠次から貰った煙草煙管を咥えると、篁が火を差し出した。ふうっ、と紫煙を吐いて短く礼を言う。
「昼も良かったが、個人的には夜の方が魅力的だったな」
「そうでしょうね。夜が本番の様な物ですから」
「君の見世の道中は何度か見たが、その中でも群を抜いていたよ」
「恐れ入ります」
朱理は篁の方を見もせず、会話を続ける気が微塵も無い様な返答をする。
とても馴染みに接する態度ではなく、何時、客が怒り出しても不思議ではない状況に、東雲と新造らは冷や汗を浮かべて気が気ではない。
しかし、篁は全く気にとめていない様子で、朱理を見つめたまま話を続けた。
「君は私の呼ぶ芸妓に興味があった様だが、ああ言うのが好きか?」
「ええ、まぁ。貴方より、芸事にばかり目が行く程度には、好ましいと思っていますよ」
棘のある嫌味を言って嗤う朱理に、篁も笑みを深くする。
「ふふ……やはり君は面白いな。では早速、始めさせよう」
今回もまた違う曲目が披露され、酒を酌み交わしながら宴席を楽しんだ。
ひと通り披露された頃には、既に1時間が経過しており、東雲が二人の間に膝をついた。
「それでは篁様、迎車が参っておりますので、そろそろ置屋へ向かいましょう」
「ああ」
そうして、篁は初めて朱理の座敷へ招かれる事となった。
座敷へ上がる客はまず、大浴場にあるシャワールームへ通される。その間に、太夫は座敷衣装から寝屋衣装へ着替えるのだ。
座敷は二間に別れており、酒を飲んだり食事をする部屋と、寝具の用意された寝屋とが襖で隔てられている。
いきなり寝屋へは行かず、まずは共に座って酒や会話を楽しむのが礼儀だ。
膳が運び込まれ、酒の用意が整うと、漸く二人きりになる。
朱理は直ぐに足を崩して脇息へ肘をつき、つまらなそうに煙草へ火を点けた。
篁はスーツの懐から分厚い封筒を取り出し、朱理の膝元へ置く。
「心付けだ。色々と厄介をかけて、すまなかったな」
朱理は封筒をちらりと見遣って鼻で笑い、紫煙を吐いた。
「ふん……俺には全く理解出来ませんよ。貴方ほどの人が、たかが陰間一人にここまでするなんて。酔狂を好む方には見えないんですがねぇ」
「ふふ、謙遜しつつも手厳しいな。馴染みになれば太夫も優しくなるのが、妓楼の常だと思っていたんだが」
「……篁様は、花魁をお揚げになった事がありますか?」
「ああ」
「その方々は、馴染みになったら直ぐに優しくしてくれましたか?」
「そうだな。まるで飼い犬の様相だった、と言えば伝わるか?」
「ははぁ……そりゃ結構な事で」
そんな物か、と朱理は嘆息した。
極道筋の者は兎角、水商売に人気があるものだ。それもこんな大物ともなれば、自ら引き寄せたがる女性は後を絶たないだろう。
ふう、と紫煙を吐くと、朱理は嫌味っぽく目を細めて口角を上げた。
「残念ながら、全て徒労に終わりましたね。生憎、俺は愛想を振る尻尾など、持っておりませんよ」
そんな朱理を見据え、篁は喉の奥で笑いながら煙草を咥える。
「それで良い。そんな君だからこそ、惜しまず手間暇をかけ、大枚を叩いたのだからな」
「…………」
余裕に満ちた瞳と、低く深いその声音に訝しさを覚える。
悪意は感じられないが、その真意もまた、分からない。篁の目に宿っているのがどんな感情なのか、朱理は測りかねていた。
ひとつ紫煙を吐き、篁は訥々と語り出した。
「初めて君を見たのは丁度、今から8年前だ」
「8年……?」
予想していなかった言葉に、朱理は驚くと共に困惑した。てっきり、太夫になってから知られたものと思っていたのだ。
「あれはこの見世の道中だった。俺は未だ君と同じくらいの歳で、男の道中になど興味は無かった。しかし、通りは大変な人混みで、進退儘ならなくなってね。仕方が無いので、やり過ごす事にした。其処で君を見つけたんだ」
「はぁ……」
確かに朱理はその頃、幾度か兄太夫の道中で付き添い新造をしていた。
「驚いたよ。道中と言うのは、ただ花魁が練り歩くだけの物と思っていたからな。しかし、それは全く違っていた。引き連れていた新造は美青年ばかりだったが、私の目は太夫の隣に居た君に釘付けだったよ」
「隣?」
朱理は首を傾げた。道中で太夫の隣に新造が並ぶなど、いくら規格外の万華郷と言えども、有り得ない事である。
人違いじゃないのかと言おうとした矢先、篁が話を続けた。
「その太夫は君を引き寄せ、まるでダンスでも踊る様に外八文字を踏んでいた。大見世の道中とは思えないそれが、とても楽しそうでね。気付けば食い入る様に見ていたのさ」
「嗚呼……」
そこまで聞いて漸く、朱理は二人ほど心当たりのある人物を思い出した。
「(蝶二さんか宇昆さんだ。あの人達、真面目に道中しなかったもんなぁ。しょっちゅう玩具にされてたな、俺)」
朱理は数年前に年季明けした兄太夫達を思い出し、口元を弛めた。
当時の上手太夫には、常識外れの自由人が二名おり、道中はつまらんと言って付き添い新造を揶揄っていた。真面目な東雲や和泉と違い、共にはしゃぐ朱理はそんな太夫の遊び相手にされていたのだ。
太夫に可愛がられている姿に加えて、遣手の秘蔵っ子というお墨付きも手伝い、新造時代から注目されていた訳である。
「あれはきっと、上手と呼ばれる太夫だろう? 名は知らないが、背の高い派手な美丈夫だった」
「ええ、懐かしい思い出です」
「着飾った太夫に抱き上げられた君は、まるで子どもの様に無邪気に笑っていた。この吉原でそんな顔が出来る者が居た事に驚き、魅了されたよ。同時に羨ましくもあった。俺達の様な日陰者に、そんな笑顔を向けてくれる者など居ないからな」
朱理は苦笑混じりに紫煙を吐く。
「その日から、俺は君の笑顔がどうしても欲しいと思う様になった。自分へそれが向けられる日を請い願い、漸くこうして君と顔を合わせられる所まで来た。君を買ったのは、単なる好奇心などではないんだよ」
篁は灰皿で煙草を揉み消すと、朱理へ身体を向け、その手を掴んだ。
「君は未だ解らないだろうが、これから厭という程、思い知る事になると覚悟してくれ。俺の想いは、生半可では無いからな」
「…………っ」
掴まれた手首の熱さと、強い意志を秘めた双眸に息を呑む。思わず後退りかけた身体を逞しい腕に引き寄せられ、煙草とムスクの匂いが鼻腔をくすぐる。
「お前が欲しい、今直ぐに」
「……では、寝屋へ。此処では駄目です……」
「分かった」
篁は朱理を軽々と横抱きにし、隣の襖を開けた。布団へ降ろされると同時に唇を塞がれる。
外は雨が降り出した様で、窓に当たる雨音がやけに耳についた。
仕事の時間だ、と朱理は目を閉じたまま思った。本来、座敷巡りなど仕事のうちには入らない。これぞ娼妓の本職である。
簪を抜かれ、帯を解かれ、身軽になっていく度、朱理の中である種の切り替えが成される。誰にどう触れられても、全てを快楽として受け入れる様になるのだ。
いつからそうなったのかは、本人にも分からない。万華郷へ入るより、ずっと前からそうだった。
無意味な苦痛や嫌悪を感じるより、割り切って愉しんだ方が楽だという、自己防衛なのかもしれない。
行為が進むにつれ、もう雨音も気にならなくなっていた。
篁のそれは予想より遥かに穏やかで、過激な要求も手荒な扱いもされなかった。流石に手慣れているだけあって、長い指が器用に動き、的確に快楽を与えてくる。
「男を抱くのは初めてだが、お前はどんな女より魅力的だ……なんて台詞は、言われ慣れているかな」
「はっ……どうだか……。案外、期待外れかもしれないよ……」
「期待外れか以上かは、直ぐに分かる」
じっくり慣らされた後、篁の欲望が緩々と開口部を押し拡げながら挿入ってくる。
「……っふ、あぁ……はッ、ァ……」
「辛ければ言え。無理強いは趣味じゃない」
「ん、ン……大丈夫……っ。続けて……」
ゆっくり先端が潜り込み、朱理は息を吐きながら仰け反る。その白い頤に、篁は酷く欲情するのを感じた。
尖った顎をなぞり、唇に指を這わせると柔らかな舌が絡んでくる。温かく、ぬるりとした感触に煽られ、堪らず勢いよく根元まで突き入れた。
「──ぁ゙アッ!! はッ……あ゙、ん゙んっ!」
ぞぞっと快感が背筋を駆け抜け、朱理は高い声を上げる。
「優しくした方が良いと思っていたが、案外、激しいのが好みか?」
「っ、はぁッ……ぅ……んっ、良い……すご、ぃ……」
眉根を寄せ、上気して潤んだ瞳で見上げられて、篁はぞくりとした。あざとさもなく、演技でもなくそんな表情が出来る娼妓は初めて見る。
道理で人気がある訳だと、納得するに余りある素ぶり、反応、声音。男の欲望を満たす為だけに生まれついたのではないかとさえ思わせる、凄まじい妖艶である。
行灯の薄明かりに浮き上がる肢体は汗ばみ、己の与える快楽を全身で受け止め、打ち震える姿に悦ばない者など居ないだろう。
突き上げる度に溢れる吐息と、堪え切れずに漏れる様な声が、ますます情欲を掻き立てる。
快楽に溺れきった表情で薄っすら微笑まれ、篁はその蠱惑的な色気に鳥肌が立った。
「……やはり、お前は最高だ……」
予想を遥かに上回る愉悦と充足感に満たされ、篁はひたすら朱理の身体に溺れていった。
30
お気に入りに追加
138
あなたにおすすめの小説
次男は愛される
那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男
佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。
素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡
無断転載は厳禁です。
【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】
12月末にこちらの作品は非公開といたします。ご了承くださいませ。
近況ボードをご覧下さい。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
one night
雲乃みい
BL
失恋したばかりの千裕はある夜、バーで爽やかな青年実業家の智紀と出会う。
お互い失恋したばかりということを知り、ふたりで飲むことになるが。
ーー傷の舐め合いでもする?
爽やかSでバイな社会人がノンケ大学生を誘惑?
一夜だけのはずだった、なのにーーー。
有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺
高菜あやめ
BL
【マイペース美形社長秘書×平凡新人営業マン】会社の方針で社員全員リモートワークを義務付けられたが、中途入社二年目の営業・野宮は困っていた。なぜならアパートのインターネットは遅すぎて仕事にならないから。なんとか出社を許可して欲しいと上司に直談判したら、社長の呼び出しをくらってしまい、なりゆきで社長秘書・入江のマンションに居候することに。少し冷たそうでマイペースな入江と、ちょっとビビりな野宮はうまく同居できるだろうか? のんびりほのぼのテレワークしてるリーマンのラブコメディです
年上の恋人は優しい上司
木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。
仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。
基本は受け視点(一人称)です。
一日一花BL企画 参加作品も含まれています。
表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!!
完結済みにいたしました。
6月13日、同人誌を発売しました。
恋なし、風呂付き、2LDK
蒼衣梅
BL
星座占いワースト一位だった。
面接落ちたっぽい。
彼氏に二股をかけられてた。しかも相手は女。でき婚するんだって。
占い通りワーストワンな一日の終わり。
「恋人のフリをして欲しい」
と、イケメンに攫われた。痴話喧嘩の最中、トイレから颯爽と、さらわれた。
「女ったらしエリート男」と「フラれたばっかの捨てられネコ」が始める偽同棲生活のお話。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる