万華の咲く郷

四葩

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第三章

第二十六夜 【宵闇雨】※

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 ‪午前0時。‬朱理しゅりたかむらの待つ揚屋あげやへ向かっていた。‬
‪ 太夫になってからの初馴染みという事で、今回の付き添い新造は妹尾せお吉良きら月城つきしろ碓氷うすいの4名がてがわれた。‬
‪ 本来ならば遣手も同行するはずだが、代わりに番頭新造ばんとうしんぞう東雲しののめが付いている。‬三つ指をついて口上を述べる姿を見ていた朱理は、東雲もすっかり〝あちら側〟だな、と思った。‬
 ‪朱理は此方こちらをじっと見つめて待ち受けている篁の隣へ、静かにした。
 ‬早速、盃へ酒ががれ、朱理も篁へ注ぎ返して乾杯をする。‬朱理がしたはいへまた継ぎ足しながら、篁は口を開いた。‬

‪「先日の道中を見たよ。素晴らしかった」‬
‪「……有難うございます」

‪ 冠次かんじから貰った煙草煙管たばこきせるを咥えると、篁が火を差し出した。‬ふうっ、と紫煙を吐いて短く礼を言う。‬

‪「昼も良かったが、個人的には夜の方が魅力的だったな」‬
‪「そうでしょうね。夜が本番の様な物ですから」‬
‪「君の見世の道中は何度か見たが、その中でもぐんを抜いていたよ」‬
‪「恐れ入ります」‬

‪ 朱理は篁の方を見もせず、会話を続ける気が微塵も無い様な返答をする。‬
 とても馴染みに接する態度ではなく、何時いつ、客が怒り出しても不思議ではない状況に、東雲と新造らは冷や汗を浮かべて気が気ではない。
 しかし、篁は全く気にとめていない様子で、朱理を見つめたまま話を続けた。

‪「君は私の呼ぶ芸妓げいぎに興味があった様だが、ああ言うのが好きか?」‬
‪「ええ、まぁ。貴方より、芸事にばかり目が行く程度には、好ましいと思っていますよ」‬

 棘のある嫌味を言ってわらう朱理に、篁も笑みを深くする。‬

‪「ふふ……やはり君は面白いな。では早速、始めさせよう」‬

‪ 今回もまた違う曲目が披露され、酒を酌み交わしながら宴席を楽しんだ。
 ‬ひと通り披露された頃には、すでに1時間が経過しており、東雲が二人の間に膝をついた。‬

‪「それでは篁様、迎車げいしゃが参っておりますので、そろそろ置屋おきやへ向かいましょう」‬
‪「ああ」‬

‪ そうして、篁は初めて朱理の座敷へ招かれる事となった。 ‬
 座敷へ上がる客はまず、大浴場にあるシャワールームへ通される。その間に、太夫は座敷衣装から寝屋衣装へ着替えるのだ。

 ‪座敷は二間ふたまに別れており、酒を飲んだり食事をする部屋と、寝具の用意された寝屋ねやとがふすまへだてられている。‬
‪ いきなり寝屋へは行かず、まずは共に座って酒や会話を楽しむのが礼儀だ。

 ‬ぜんが運び込まれ、酒の用意が整うと、ようやく二人きりになる。‬
‪ 朱理はぐに足を崩して脇息きょうそくへ肘をつき、つまらなそうに煙草へ火を点けた。‬
 篁はスーツのふところから分厚い封筒を取り出し、朱理の膝元へ置く。‬

‪「心付こころづけだ。色々と厄介をかけて、すまなかったな」‬

‪ 朱理は封筒をちらりと見遣って鼻で笑い、紫煙を吐いた。‬

‪「ふん……俺には全く理解出来ませんよ。貴方ほどの人が、たかが陰間一人にここまでするなんて。酔狂を好む方には見えないんですがねぇ」‬
‪「ふふ、謙遜しつつも手厳しいな。馴染みになれば太夫も優しくなるのが、妓楼ぎろうつねだと思っていたんだが」‬
‪「……篁様は、花魁をおげになった事がありますか?」‬
‪「ああ」‬
‪「その方々は、馴染みになったら直ぐに優しくしてくれましたか?」‬
‪「そうだな。まるで飼い犬の様相ようそうだった、と言えば伝わるか?」‬
‪「ははぁ……そりゃ結構な事で」‬

 そんな物か、と朱理は嘆息たんそくした。
 ‬極道筋の者は兎角とかく、水商売に人気があるものだ。‬それもこんな大物ともなれば、自ら引き寄せたがる女性は後を絶たないだろう。
 ふう、と紫煙を吐くと、朱理は嫌味っぽく目を細めて口角を上げた。

‪「残念ながら、全て徒労に終わりましたね。生憎、俺は愛想を振る尻尾など、持っておりませんよ」‬

‪ そんな朱理を見据え、篁は喉の奥で笑いながら煙草を咥える。

‪「それで良い。そんな君だからこそ、惜しまず手間暇てまひまをかけ、大枚たいまいはたいたのだからな」‬
‪「…………」‬

 余裕に満ちた瞳と、低く深いその声音にいぶかしさを覚える。
 悪意は感じられないが、その真意もまた、分からない。‪篁の目に宿っているのがどんな感情なのか、朱理ははかりかねていた。‬
 ひとつ紫煙を吐き、篁は訥々とつとつと語り出した。

「初めて君を見たのは丁度、今から8年前だ」
「8年……?」

 予想していなかった言葉に、朱理は驚くと共に困惑した。てっきり、太夫になってから知られたものと思っていたのだ。

「あれはこの見世の道中だった。俺は未だ君と同じくらいの歳で、男の道中になど興味は無かった。しかし、通りは大変な人混みで、進退ままならなくなってね。仕方が無いので、やり過ごす事にした。其処そこで君を見つけたんだ」
「はぁ……」

 確かに朱理はその頃、幾度いくどか兄太夫の道中で付き添い新造をしていた。

「驚いたよ。道中と言うのは、ただ花魁が練り歩くだけの物と思っていたからな。しかし、それは全く違っていた。引き連れていた新造は美青年ばかりだったが、私の目は太夫の隣に居た君に釘付けだったよ」
「隣?」

 朱理は首をかしげた。道中で太夫の隣に新造が並ぶなど、いくら規格外の万華郷と言えども、有り得ない事である。
 人違いじゃないのかと言おうとした矢先やさき、篁が話を続けた。

「その太夫は君を引き寄せ、まるでダンスでも踊る様に外八文字そとはちもんじを踏んでいた。大見世の道中とは思えないそれが、とても楽しそうでね。気付けば食い入る様に見ていたのさ」
「嗚呼……」

 そこまで聞いてようやく、朱理は二人ほど心当たりのある人物を思い出した。

「(蝶二ちょうじさんか宇昆うこんさんだ。あの人達、真面目に道中しなかったもんなぁ。しょっちゅう玩具おもちゃにされてたな、俺)」

 朱理は数年前に年季明けした兄太夫達を思い出し、口元をゆるめた。
 当時の上手太夫かみてだゆうには、常識外れの自由人が二名おり、道中はつまらんと言って付き添い新造を揶揄からかっていた。真面目な東雲しののめ和泉いずみと違い、共にはしゃぐ朱理はそんな太夫の遊び相手にされていたのだ。
 太夫に可愛がられている姿に加えて、遣手の秘蔵っ子というお墨付きも手伝い、新造時代から注目されていた訳である。

「あれはきっと、上手と呼ばれる太夫だろう? 名は知らないが、背の高い派手な美丈夫びじょうぶだった」
「ええ、懐かしい思い出です」
「着飾った太夫に抱き上げられた君は、まるで子どもの様に無邪気に笑っていた。この吉原でそんな顔が出来る者が居た事に驚き、魅了されたよ。同時に羨ましくもあった。俺達の様な日陰者に、そんな笑顔を向けてくれる者など居ないからな」

 朱理は苦笑混じりに紫煙を吐く。

「その日から、俺は君の笑顔がどうしても欲しいと思う様になった。自分へそれが向けられる日をい願い、ようやくこうして君と顔を合わせられる所まで来た。君を買ったのは、単なる好奇心などではないんだよ」

 篁は灰皿で煙草を揉み消すと、朱理へ身体を向け、その手を掴んだ。

「君は未だわからないだろうが、これから厭という程、思い知る事になると覚悟してくれ。俺の想いは、生半可なまはんかでは無いからな」
「…………っ」

 掴まれた手首の熱さと、強い意志を秘めた双眸そうぼうに息を呑む。思わず後退あとずさりかけた身体をたくましい腕に引き寄せられ、煙草とムスクの匂いが鼻腔をくすぐる。

「お前が欲しい、今ぐに」
「……では、寝屋ねやへ。此処ここでは駄目です……」
「分かった」

 篁は朱理を軽々と横抱きにし、隣のふすまを開けた。布団へ降ろされると同時に唇を塞がれる。
 外は雨が降り出した様で、窓に当たる雨音がやけに耳についた。
 仕事の時間だ、と朱理は目を閉じたまま思った。本来、座敷巡りなど仕事のうちには入らない。これぞ娼妓しょうぎの本職である。
 かんざしを抜かれ、帯をほどかれ、身軽になっていくたび、朱理の中である種の切り替えがされる。誰にどう触れられても、全てを快楽として受け入れる様になるのだ。
 いつからそうなったのかは、本人にも分からない。万華郷へ入るより、ずっと前からそうだった。
 無意味な苦痛や嫌悪を感じるより、割り切ってたのしんだ方が楽だという、自己防衛なのかもしれない。
 行為が進むにつれ、もう雨音も気にならなくなっていた。
 篁のそれは予想より遥かに穏やかで、過激な要求も手荒な扱いもされなかった。流石に手慣れているだけあって、長い指が器用に動き、的確に快楽を与えてくる。

「男を抱くのは初めてだが、お前はどんな女より魅力的だ……なんて台詞は、言われ慣れているかな」
「はっ……どうだか……。案外、期待外れかもしれないよ……」
「期待外れか以上かは、直ぐに分かる」

 じっくり慣らされた後、篁の欲望が緩々ゆるゆると開口部を押しひろげながら挿入はいってくる。

「……っふ、あぁ……はッ、ァ……」
つらければ言え。無理強むりじいは趣味じゃない」
「ん、ン……大丈夫……っ。続けて……」

 ゆっくり先端がもぐり込み、朱理は息を吐きながらる。その白いおとがいに、篁は酷く欲情するのを感じた。
 尖った顎をなぞり、唇に指を這わせると柔らかな舌が絡んでくる。温かく、ぬるりとした感触にあおられ、堪らず勢いよく根元まで突き入れた。

「──ぁ゙アッ!! はッ……あ゙、ん゙んっ!」

 ぞぞっと快感が背筋を駆け抜け、朱理は高い声を上げる。

「優しくした方が良いと思っていたが、案外、激しいのが好みか?」
「っ、はぁッ……ぅ……んっ、良い……すご、ぃ……」

 眉根を寄せ、上気じょうきして潤んだ瞳で見上げられて、篁はぞくりとした。あざとさもなく、演技でもなくそんな表情が出来る娼妓しょうぎは初めて見る。
 道理で人気がある訳だと、納得するに余りある素ぶり、反応、声音。男の欲望を満たす為だけに生まれついたのではないかとさえ思わせる、凄まじい妖艶である。
 行灯あんどんの薄明かりに浮き上がる肢体したいは汗ばみ、己の与える快楽を全身で受け止め、打ち震える姿によろこばない者など居ないだろう。
 突き上げる度にこぼれる吐息と、こらえ切れずに漏れる様な声が、ますます情欲を掻き立てる。
 快楽に溺れきった表情でっすら微笑まれ、篁はその蠱惑的な色気に鳥肌が立った。

「……やはり、お前は最高だ……」

 予想を遥かに上回る愉悦と充足感に満たされ、篁はひたすら朱理の身体に溺れていった。
 
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