万華の咲く郷

四葩

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第二章

第二十四夜 【好悪の感情】

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 ‪16時をやや過ぎた頃。‬あいも変わらず初回、初回、裏、初回と退屈な座敷仕事が続き、最早、どの客が次に馴染みになるのかも分からなくなっていた。
‪ 昼見世ひるみせを終えた戻りの車内で、朱理しゅりは煙草をかしつつ夜見世よみせの予約名簿を眺める。‬

‪「教授、外科医が2人、精神科医が3人、大文字楼だいもんじろうの楼主、たかむら……か。どいつもこいつも癖が強ぇなぁ、まったく」‬
‪「仕方がありませんよ。そのような方々は偏屈と相場が決まっていますから。なせるのは朱理さんか、伊まりさんくらいです」

‪ 朱理のぼやきに答えるのは、昼見世の付き添いだった下手新造しもてしんぞう水瀬みなせだ。‬瞳の大きな童顔で、美人と言うより可愛いと称した方がしっくりくる。小柄で愛嬌のある新造だ。
‪ 水瀬は伊まりの顧客を散々、見ている為、さして驚いてはいない。‬

‪「お前も苦労するね。伊まり付きじゃあ、変人の相手ばっかりさせられるんだから」‬
「いえいえ、大丈夫です。もう慣れましたから」
「ははぁ……愛くるしい見た目に反して、強靭きょうじんなメンタルに育ってるなぁ……」

 小首を傾げて笑う水瀬を、憐憫れんびんの混じる眼差しで見遣る。
 と、玖珂くがが名簿を覗き込んで声を上げた。

‪「しかし、やたらと医者が多いのは何故なんでしょうか。しかも、外科医や精神科医ばかりなんて、特殊な偏り方を……」‬

‪ 首をひねる玖珂に、朱理は流し目を寄越よこしながら片方の口角を上げた。‬

‪「外科医ってのはねぇ、腕が良けりゃ良い程、サドのが強いのさ。でなきゃ痛がる患者やら、えげつない怪我の処置なんて冷静に出来ないだろ。精神科医にゃ、ちょっとした変態趣向を抱えてるのが多いからな。まぁ、流石に全員がそうとは言わないけど」‬
‪「は、はぁ……。という事は、朱理さんはマゾ気質という事ですか?」‬
‪「んー、そうかも。サドっ気の強い人ばっかり相手にしてたから、自然とそうなった感じかな。つっても、別にこだわりとか無いし、俺はどっちでも良いんだけどね」‬
「な、なるほど……」

‪ 玖珂は納得と感嘆の入り混じったうめき声を上げる。‬‪上手かみてには恐らく一生、縁の無い話なので、それも当然である。‬
 難しそうな顔のまま、玖珂は再び朱理に問い掛けた。

‪「しかし、大文字楼と言えば吉原三大遊郭のひとつですよね。楼主って登楼して良いものなんですか? 商売がたきなのに……」‬
‪「楼主だって人間だからね。自分の見世の商品に手ぇ出すのは御法度タブーだけど、他所よその見世で誰を買おうが、そりゃ個人の勝手でしょ」‬
‪「確かに、理屈の上ではそうかもしれませんが……。楼主が他楼で遊んでるなんて、職場の士気が下がるんじゃないでしょうか」‬
‪「あははっ! 真面目だなぁ、玖珂は。まぁ、彼処あそこの楼主は結構な苦労人くろうにんなのよ。新造の頃からの馴染みなんだけど、いっつも疲れ果ててるもん。遊びに来てるって言うより、休みに来てる感じだね。さっさとご内儀ないぎもらって、見世ごと任せちまえば良かったのにさ」‬

‪ 内儀とは楼主の妻の事であり、格付けとしては遣手の上になる。‬‪内儀が居る妓楼では、内儀が娼妓を取り仕切り、遣手は補佐に付くのだ。‬
 ‪ふと、水瀬が思いついた様に問いかけてきた。‬

‪「朱理さんって、どんな方が好みなんですか?」‬

 朱理は内心、今日はやけにこの手の話が多いな、と苦笑しながら紫煙を吐く。

‪「どうした突然、そんな事」‬
‪「伊まりさんが、朱理さんは来る者拒まずだとおっしゃっていたので、逆にこんな人が良いとか、こんな見た目が良いとか、あったらお聞きしたくって」‬
‪「んー、そうだなぁ……身近な所で言うと棕櫚しゅろとか玖珂とか、吉良きらあたりも好みだよ。特に棕櫚と玖珂は、外見と中身のギャップが超可愛いくて大好き」‬
‪「えっ!? 俺もですか!?」‬
‪「ああー、朱理さんっぽい。ツーブロとかピアスとか、個性的な方がお好きなんですか?」‬
‪「うん。キラキラした王子様系よりは、断然、硬派な強面こわもてが好みだな」‬

 ‪朱理に名指しされた玖珂は耳まで赤くしている‪反面、水瀬は全くの納得顔だ。‬
 玖珂は棕櫚と同じく高身長で、眉と耳にいかつめのピアスを通している。
 客あしらいを学ぶ兄太夫に、似た系統の新造が付くのは道理と言えるだろう。もしくは新造が太夫に似ていく場合もあるが、どちらにせよ、師弟関係は精神的にも厚い繋がりとなるのだ。
 朱理がぼんやりとそんな事を考えていると、身を乗り出すようにして水瀬が次の質問を投げかけてきた。

‪「じゃあ、相手に求める物って何かありますか?」‬
‪「んー、暴力振るわない、嘘かない、賭け事しない、違法薬物に手を出さない、かな」‬
‪「それって、めちゃくちゃ普通の事じゃないですか……」‬
‪「そうでも無いんだよ、玖珂ちゃん。パチやら賭け麻雀やら、大麻ハッパくらいならやってる奴って結構居るし。それにね、嘘吐かないってのが、簡単な様で一番難しいんだよ」‬
‪「なんとなく、朱理さんには独自の基準みたいな物がある気がします」‬
‪「お、流石に水瀬は分かってるねぇ。俺もこれで結構、偏屈なのさ」‬
‪「はぁ……そんな風には全く見えませんが……」‬

 玖珂が首を傾げていると、朱理は思い出したように声を上げた。

‪「そう言えばさぁ、君らの突き出しってもうぐじゃない? 4月の中旬だよね、確か」‬

 ‪唐突な問いかけに固まり、黙り込む新造二人。‬車内に微妙な空気が漂い、朱理は慌てて両者へ詫びた。

‪「あ、ごめん! 無神経だったな」‬
‪「い、いえ、大丈夫です。ちょうど先日、組み分けが知らされました」‬
‪「あー、もう決まったんだ。誰になったのか聞いて良い?」‬
‪「俺は月城つきしろです」‬
‪「お、俺は碓氷うすい、です」‬
‪「へえ、なるほど。組み分けに太夫は関係無いのか。だったら何が基準なんだろ……興味深いなぁ」

 月城はつゆ李付き、碓氷は荘紫そうし付きの新造である。
 因みに、棕櫚は和泉いずみ、伊まりは冠次かんじ、つゆ李は一茶いっさ、荘紫はけい菲が突き出し相手だった。
 不安そうに顔を見合わせる玖珂と水瀬に、朱理はやんわりと笑みを向けた。

「まぁ、そう緊張しなくても大丈夫だよ。皆、良く出来た子たちばかりだし、きっと受かるから。君らもいよいよ一本立ちかぁ、目出度めでたい事だ」‬

 紫煙を吐きながら朱理は感慨深かんがいぶかげに目を閉じた。玖珂は照れの混じる苦笑を漏らす。

‪「そうは言っても、まだまだ勉強中ですから。やる事はあまり変わりませんけどね」‬
‪「いやぁ、だいぶ変わると思うよ? なんせ今までと違って、客といたさなきゃならんからね。兄さんたち見習って上手いことかわすか、念の為に体力つけときなよ」‬
「は、はい!」

 ‪突き出しは、女性を扱う妓楼では処女貫通の意味が込められている、古くからのしきたりだ。‬‪
 万華郷では下手が受け身である為、言わば下手の貫通式と言っても良いだろう。
 ‪緊張と期待の混ざる面持おももちの新造らを横目に、初々ういういしいなと微笑む朱理であった。
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