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第二章
第十七夜 【茜萌ゆる路】
しおりを挟む16時。恙無く昼見世を終えた朱理は、徒歩で仲之町通りを見物して帰る事にした。特に目当ての物は無かったが、座り続けで少し身体を動かしたかったのだ。
座敷衣装のままでは動きづらい上に目立つ為、揚屋で着流しに中折れ帽子を被り、変装がてら着替え済みである。
店先を冷やかしながらふらふらしていると、陶器や磁器を扱う店が目に付いた。そういえば今朝、花を貰ったものの、一輪挿しが無い。
手頃な物を探しに店内へ入ろうとした時、背後から肩を叩かれた。
「お疲れ、朱理」
「うお、吃驚したぁ」
同じく昼見世上がりの棕櫚である。
「買い物?」
「そー。綺麗な薔薇もらったんだけど、花瓶が無くてさ。1本だから、しょーみコップとかでも良いんだけどね。まぁ折角だし、ちゃんとしたやつ見ていこうかなって」
「へえー、意外。朱理ってそういうの飾るんだぁ。貰っても速攻で棄ててそうなイメージだったわ」
「失礼だな。これでも人並みには花好きなんだぞ」
「あははっ! ごめん、ごめん」
巫山戯てむくれる朱理の顔を覗き込み、棕櫚は小首を傾げて微笑んだ。
「その買い物、一緒して良い? 帰っても暇でさぁ」
「ん、良いよ。夜見世まで二時間あるしな」
「二時間バカンスだねぇ」
「良いね、その言い方。つか、二時間って微妙じゃね? 中途半端だなーっていつも思うわ」
「ほんとそれなぁ」
などと雑談を交わしながら店内を見て回る。暫くして、朱理は商品棚の一角に目を止めた。
「おー、すっごい綺麗。変わった形だなぁ」
「それ良いじゃない。流石、センスあるねぇ」
逆三角形型のクリスタルの外郭に、螺旋状のカッティングが施された大胆な造形だ。ひと目惚れした朱理は早速、値札を見る。
「お゙ぁ……うん、なるほどね。別のにしよう」
「あれ? 買わないの?」
「無理、無理。値段見て吃驚したわ……」
「でも洒落てるし、朱理っぽいのに。気に入ったんでしょ?」
「そうだけど……たかが花瓶だぜ? そもそも、そんな手持ち無いし。諦めるよ」
と、溜息を吐きながら別の商品棚へ向かう朱理の耳に、驚くべき台詞が飛び込んできた。
「すみません、これ下さい。あ、贈答用で」
「!!!!????」
棕櫚が店員を呼び付けて、例の一輪挿しを取り出させていたのだ。
「ちょっと遅れちゃったけど、昇進祝い」
驚いて固まる朱理に人好きのする笑みを向け、あっけらかんとそう言った。
「ちょ……待って待って! 駄目だって!」
「なんで?」
「いや値段ッ!!」
「7万ちょい? バカラなら安いほうでしょ。あー、でも祝いとしちゃ安過ぎるかなぁ」
「おおぅ……太夫的ジェネレーションギャップ……」
さっさと会計を済ませている棕櫚の金銭感覚についていけない朱理は、ただ呆然と高額な一輪挿しが梱包されていくのを見つめるしかなかった。
買い物を済ませて再び通りへ出ると、棕櫚は此方を振り返りながら問うてきた。
「お腹空いてる? まだ時間あるし、たまには外で食べて帰らない?」
「ああ、うん。何が良い?」
「んー、朱理は?」
「みたらし団子」
「茶屋一択じゃないの……。なんで聞いてきた……?」
「いや、一応。希望あるならと思って」
「もし俺がうどんって答えてたら、どうするつもりだったの?」
「うどんにするに決まってんじゃん」
「……お前がモテる理由が身に染みたよ……」
「んで、どうすんの? うどん? みたらし? 俺はどっちでも良いよ」
「じゃあ、みたらしにしよう。美味い店、知ってるから」
「まじ!? やったぁ! 楽しみー!」
上機嫌に茶屋へ向かっていると、すれ違う女性達が何やら騒いでいるのが耳に付いた。皆、此方を見て興奮気味だ。
「ねぇあれ、棕櫚様じゃない?」
「本当だわ! 格好良いー!」
「隣の殿方は何方かしら?」
「知らないの? ほら、この前の道中の……」
「えっ、朱理太夫!?」
「着流し姿なんて初めて見たわー! 私服もお洒落ー!」
「やっぱり美しいわねぇ。お肌も真っ白で陶器みたい」
「上下太夫が揃って歩いてるなんて、珍しくない?」
「え、もしかしてあの二人って……」
「うそ、やだぁ! 美形が挙って勿体ない!」
「でも、それも有りかもぉー!」
「棕櫚様ぁ! こっち向いてー!!」
「朱理太夫ー!!」
笑顔で手を振って応える棕櫚に、女性陣は益々、黄色い声を上げている。朱理は帽子を目深に被り直しながら嘆息した。
「……分かってたけどさ、お前ってやっぱ、凄い人気だよな」
「なに言ってるのぉ、半分は朱理でしょ」
「どう見てもお前だろ! 目立って仕方ねぇわ。俺の変装の意味よ……」
「え、それ変装のつもりだったの? 洒落過ぎて逆に目立ってるよ」
「五月蝿いな、小粋な紳士で良いじゃねぇか。お前がでかい上にド派手な格好してるからだろ。今気付いたけど棕櫚、座敷衣装のまんまじゃん」
「えぇ……それは流石に気付くの遅過ぎない?」
棕櫚はシルバーアッシュに染めたツーブロックヘアで、口と舌、耳に幾つもピアスをあけている。王道美男の陸奥や鶴城とは趣の異なる、野性味溢れるちょいワル美男だ。
おまけに190を超える高身長に、程よく筋肉が付いた立派な体躯である為、否が応でも人目を引くのである。
「まぁ、俺のお客さんって見世の子とか、ちょっとひねた商家のお嬢さんが多いからね。出歩くと大体、こんな感じだよ」
「本当は優男の癖に、ワイルド系で売ってるもんな、お前。つーか、ちらほら誤解されてる節があるぞ。良いのかよ、色男」
「あははっ! お前となら吝かじゃないんだよなぁ」
「言ってろ、阿呆。うぅ……耳と視線が痛ぇ……」
「朱理は本当にこういうの苦手なんだなぁ。ごめんね。直ぐ着くから、もうちょっと我慢して?」
「はいはい……」
茶屋へ着くと二階の個室へ通され、漸く好奇の視線から逃れられて安堵する。棕櫚の言った通り、そこの団子はとても美味だった。
「んんん──うまいっ!!!!!!!!」
「おぉ……」
これでもかと破顔して団子を頬張る姿に、棕櫚は言葉を無くしていた。夢中で味わっていた朱理は、妙に静かな棕櫚の様子に気づいて顔を上げる。
「どした、ぼーっとして。食わねぇの?」
「……俺は今、人が恋に落ちる音を聞いたのかも……」
「なにそれ。意味怖?※」
※(意味が分かると怖い話。〝人が故意に落ちる音=投身自殺に出くわした〟という話)
「いや違うから。ナチュラルに恐ろしい発想しないで。本当に美味しそうに食べるからさ、なんかグッと来たなーって思って」
「もう10年近く一緒に働いてんのに、今更ぁ? それ、よく言われるんだよな」
「ここ最近、お前の色んな顔が見られて嬉しいよ、ほんと」
「なんだよ、突然。そんな真面目な顔しちゃって」
「この前の道中、正直、怖いくらい迫力あってさ。俺、揚屋の二階から見てたんだよ」
「ああ、知ってるよ。てか、目ぇ合ったでしょ」
さらりと言って退けられた言葉に、棕櫚は一瞬、息が止まった。やはりそうだったのかと得心する反面、ぞわりと鳥肌が立つ。
「……錯覚じゃなかったんだ……」
「まぁ、見つけたのは偶然だけどね。何気なく見上げたら居たから、吃驚したわ」
「俺の方が吃驚したよ! あんな軒並み似たような揚屋で、目が合うなんて思わないじゃん!」
「まぁね。俺、あの時めちゃくちゃ気ぃ張ってたから、目つき悪かったでしょ。ヤな思いさせてたらごめんな」
「いや……なんか、巧く言えないんだけど……とにかく凄くて、目が離せなくてさ。暫く鳥肌が治まんなかったよ」
「ははぁ。お褒めにあずかり、光栄至極でーす」
微塵も思っていなさそうな朱理の声音に苦笑を漏らしつつ、棕櫚は考える様に両手を口元で組んで目を伏せた。
「……あれから、なんか変なんだ……。勿論、今までも可愛いなって思ってたけど、あの時のお前の目を思い出したら、俺──」
「んあぁっ!!!!」
突如、朱理が大声を上げて棕櫚の言葉を遮った。驚いて固まる棕櫚に、壁に掛かった時計を指し示す。
「ねぇ! もう5時過ぎてるじゃん! やばいよ棕櫚! 急いで帰って支度しないと遅刻する!」
「……あ、ああ……。うん、そうだね……」
自分は何を言いかけたのか、遮られて良かった様な、残念な様な、複雑な気分になりつつ、棕櫚は席を立った。朱理は慌てて残った団子を口に詰め込んでいる。
「会計してくるから、ゆっくり食べて。喉に詰まったら大変だよ」
「まっへ! おれもだふから!」
「だーめ。ちゃんと飲み込んでからおいで」
茶屋の会計もあっさり棕櫚が支払い、謝り倒す朱理を宥めながら帰路につく。
「朱理ー、歩くの遅過ぎじゃない? 本当に遅刻するよぉ」
「ちょ……待てって! 歩幅の差ってもんを考えろ! しかもッ、食後の運動は横っ腹にクるんだよっ!!」
「あははっ! ほら、手」
「えぇ?」
「合わせてあげるから、手貸して」
「おー、流石は優男。ジェントルメーン。もーいっその事おんぶしてくれよ」
「別に良いけど、並んで歩くより何倍も目立っちゃうよ? 大丈夫なの?」
「冗談だよ! 大丈夫なわけあるか、馬鹿!」
「なんで怒るのぉ? 言い出したの朱理じゃんかぁ」
「五月蝿い! 急がねぇと置いてくぞ」
「えぇー、理不尽ー!」
「あははは!」
見世先の提灯が灯り始めた、茜さす大通り。
笑い合いながら手を繋いで走る二人は、まるで逃避行でもしている様で。これから蠢きだす欲望とは、一切無縁であるかの様に無邪気だった。
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