万華の咲く郷

四葩

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第二章

第十六夜 【絶対的対価】

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 机を挟んで向かい合うと、網代あじろが真剣な声音で切り出した。

「今日、たかむら様から指名が入っている事は知っているか?」
「たかむら? どちら様でしたっけ」
晋和会しんわかいの会長だよ。昨夜、初回に行っただろう」
「あー、民謡の。名前知らなかったから、誰かと思った。あの人、会長だったんですねぇ」
「お前は吉原の裏事情にうといからな。どうせそんな事だろうと思っていたが……本当に裏を返して良いんだな?」
「まぁ、俺は別に。見世が困るってんなら、断っても構いませんけど」
「いや、お前が良いと言うなら良い。ただし、今日の座敷には俺も同行する」
「えっ、オーナー自ら!? なんで!?」

 驚く朱理に、網代は煙草に火を点けながら顔をしかめた。

「……今日、遣手は体調不良で見世に出られない。しかし、篁様の座敷にお前と新造だけで行かせる訳にはいかんし、東雲しののめも未だ番新になったばかりで心許こころもとない。俺が行くのが妥当なんだよ」
「そんな大袈裟な……。遣手ならともかく、楼主が同行するなんて聞いた事も無いですよ。あちらさんも吃驚びっくりするでしょうに」
「お前は事の重大さが分かっていない。何かあってからでは遅いんだよ。問題無いかどうかを見極める為にも、今日が勝負処なんだ」
「…………」

 朱理はじっと押し黙って網代を見据えた。全ての元凶が何を偉そうに、という言葉の代わりに、煙草へ火を点ける。
 明らかに機嫌が悪くなった朱理をとりなす様に、網代は声音をやわらげた。

「分かってくれ、あくまで念の為だ。何事もなく終わってお前が馴染みにしたら、もう見世からは口を出さない。俺はただ、お前たちや見世を守りたいだけなんだよ」
「……分かりました」

 紫煙を吐きながら答えた朱理に、網代は安堵の表情を浮かべる。朱理はそれを横目に見ながら、何気なく問うた。

「ところで、遣手は一体どうしたんでしょうね? 昨夜ゆうべ、お休み前に顔を合わせましたが、そこまで具合が悪い様には見えませんでしたけど」
「それは……俺も直接見ていないから分からん……。東雲が言うには、ただの風邪らしいが……」
「風邪、ねぇ……。まあ、最近忙しかったし、ひと段落して疲れが出たのかもしれませんね」
「……ああ、そうだな……」

 網代は直感的に、朱理が昨夜の出来事を知っているのではないかと思った。
 今日、黒蔓が休みを申し出た事も罪悪感に輪をかけ、朱理の目がまるで己を責めている様に見えるのだ。態度こそ普段通りだが、瞳の奥の冷えた光は、静かな怒りに満ちている気がして居た堪れない。

「……話はそれだけだ。昼見世ひるみせまでゆっくりしていなさい」
「はぁい」

 朱理は視線を逸らす網代の様子に一先ひとまず満足し、素直に腰を上げる。
 黒蔓にあんな顔をさせたくせに、自分は良い思いをしたのだ。相応の対価を支払うのは当然だろうと思う。未だ未だ、全く足りないくらいだ。
 過去の話を聞いた所で、朱理にとっては何の関係も無い。かつて、どれほど己を責めたか知らないが、それとこれとは別である。
 精々、己の晒した醜態に苦悶すれば良い、と思いながら内所ないしょふすまを閉めた。

────────────────

 自室へ戻ろうと階段へ向かう途中、玄関口で品物を片付けている花屋を見かけた。未だ二十歳はたちそこそこの青年が、せっせと持ち帰りの花をまとめている。
 娼妓しょうぎらはとうに買い物を済ませたらしく、誰も居ない。
 寒い中を大変だな、等と思いながら通り過ぎようとした時、青年と目が合った。顔を真っ赤にして目を伏せる姿が初々ういういしい。
 微笑ましく思っていると、花屋はおずおずと1本の薔薇を差し出してきた。

「あ、あのっ……これ……」
「ん? くれるの?」

 花屋は差し出す薔薇と同じくらい真っ赤になってうつむいたまま、こくこくと首を縦に振る。朱理はあがかまちに膝をつき、それを受け取った。
 指が触れ、遠慮がちに目を上げる花屋に笑みを向けると、はにかみ笑いを返してきた。

幼気いたいけな坊やまで誘惑するなんて、悪い男だねぇ。朱理太夫」

 と、何とも甘酸っぱい雰囲気をぶち壊したのは、階段の手摺てすりもたれて妖しくわら陸奥むつである。

「ったく、お前はぐそうやって茶化すー。見て見て! 綺麗な薔薇くれたー」
「ほぉ……確かに傷ひとつ無い。良い品だな」

 そう言いながら朱理の肩に寄りかかった陸奥は、意味ありげに青年を見遣った。すると花屋は慌てて荷物を抱え、一礼して逃げる様にぱたぱたと出て行ってしまった。

「あーあ、行っちゃった。陸奥が怖がらせるからだぞ。お礼、言い損ねちまったじゃねーか」
「お前は本当に鈍いんだから、想う方は苦労するよ」
「は? なに言ってんだか分かんねーけど、まぁ良いや。俺、赤薔薇って大好きなんだよなー。残り物には福があるって、まじだな」
「さて、そいつは果たして残り物だったのかね」
「あ、言われてみればこれ、売りもんか! やべぇ、遠慮するべきだったかなー。今更返すのも失礼だよな?」
「そういう意味じゃなくて……もう良いから貰っときな。あとこれ、お前に貢物みつぎもの

 陸奥はひょいと風呂敷包みを朱理へ差し出した。中には化粧品や装飾品、菓子などが大量に詰め込まれている。

「なにこれ。誰から?」
「小間物屋達から。さっき来てたろ? お前が顔見せなかったから鶴城つるぎが受け取って、それを俺が預かったのさ」
「はあ……急にどうしたんだろ。太夫効果?」
「ま、そんなとこだね。ここんとこ、吉原は万華郷、新太夫様の話で持ちきりだから」
「ふうん。みんな新しい物好きだよなー」
「そうだね。さて、そろそろ支度しに上がろうか。朱理は今日もほとんど初回なんでしょ?」
「んー。2‪時‬で終われるのは良いけど、座敷巡りはまじ苦行。おんなじ事の繰り返し過ぎて、千日回峰行せんにちかいほうぎょうかと思うわ。こんなの何ヶ月もやってたら解脱げだつしそう」
「ははっ、間違いない。大悟だいごできちゃうかもね」
「おー、良いな、それ」

 そんな遣り取りをしながら笑い合い、支度部屋へ向かう二人なのであった。
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