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第二章
第十四夜 【般若と小面】
しおりを挟む──昔々、吉原一と謳われる妓楼に、二人の傾城が居ました。
どちらも見世で御職を張る売れっ子でしたが、中身は正反対。
一方はおおらかで懐が深く、いつも笑顔を絶やさぬ優しい人でした。もう一方は大変美しく、芸事にも教養にも秀でていましたが、自尊心が強く、冷たく厳しい人でした。
二人は能面に準えて〝小面太夫〟と〝般若太夫〟と呼ばれる様になり、人気は益々、高くなっていきました。
そんなある日。般若太夫が、熱狂的な馴染み客に無理心中を迫られる事件が起こりました。
その客は般若に入れ上げるあまり、経営する会社の金を使い込み、破産させていたのです。
見世は経営破綻を事前に察知し、登楼を拒否し続けていました。それでも最後にひと目会いたいと、毎日の様に指名を続ける客の思いを汲み、般若は30分だけ登楼を許してやるよう、見世へ口添えしたのです。
小面は般若の身を案じ、考え直すよう説得しようとしましたが、客に花を持たせてやろうとする般若の意思は固いものでした。皆、普段見せない般若太夫の情の深さに胸を打たれ、登楼を許可する事にしました。
しかし結局、般若の優しさは歪んだ形で伝わってしまいました。
登楼してきた客は、「そこまで愛してくれているのなら、一緒に死んでくれ」と隠し持っていた包丁で襲い掛かってきたのです。咄嗟の事に般若は避けきれず、顔を切り付けられてしまいました。
深傷を負いながらも刃を右手で握り込み、必死で抵抗している間に、駆け付けた妓夫らによって客は取り押さえられました。
命に別状は無かったものの、切り付けられた右目は失明してしまい、刃でずたずたになった掌には、一生消えない傷が残ってしまったのです。
危険と分かっていながら止められなかった自分の所為だと、小面は激しく自らを責めました。
般若は怪我を負った事で娼妓を辞めざるを得なくなり、小面も後を追って引退してしまいました。
小面は随分前から、般若に恋をしていたのです。共に年季明けを迎えられなくなり、娼妓を続ける意味を見失ってしまったのでした。
そうして二人は表舞台から姿を消し、二度とそんな悲劇が起こらぬ様、影から見守る事にしたのです。
見世は敬意と教訓の証として、般若太夫が自室としていた部屋に般若の面を飾り、次に同格の太夫が現れるまで、開かずの間となったのでした……──
「般若の面……」
朱理は寝具と対面になる壁を見遣った。其処には般若面が飾られている。部屋を移った時には既にあった物で、黒蔓からはただの縁起担ぎだと聞いていた。
不思議に思いつつも気にしない様にしていたが、陸奥の話を聞いた後では殊更、不気味に感じ、ぞくりと背筋が粟立つ。
「……いや、まさかな……」
「そのまさかさ。此処が般若太夫の自室なんだよ」
陸奥は朗らかにそう言い放った。青ざめた朱理は陸奥の胸倉を掴み、激しく前後に揺さぶりながら悲鳴じみた声を上げる。
「ちょ、辞めろよお前ッ!! 俺がそういうの苦手だって知ってんだろ!?」
「はははっ、落ち着けって。別に死人が出た訳じゃないんだから。そもそも、事件があったのは二階の寝屋だよ」
「やだやだやだ、辞めて。どの部屋とか言わないで。聞きたくないから、絶対」
いやいやと首を振りながら耳を塞ぐ朱理に、陸奥は笑いながら紫煙を吐く。
「分かった、分かった。お前ってホラー映画とか怖い話好きな癖に、めちゃくちゃ怖がりだよねぇ。怖いもの見たさってやつ?」
「違う! 俺が好きなのは映画じゃなくて、投稿映像系なの! 〝おわかりいただけただろうか〟系なの! リ●グとか呪●とかほんとに無理だから。トラウマだから、まじで」
「はいはい。ともかく、むかーしむかし、そんな事があったとか無かったとか。俺から話せるのはこれくらいだよ」
「ふうん、なるほどねぇ……」
と、目を伏せた朱理から何とも言えない悲哀を感じ、やはり話すべきではなかったかと陸奥が眉を顰めた直後、朱理は勢いよく顔を上げた。
「……ってかお前、めちゃくちゃ話上手だな!」
「……え?」
先程までの悲壮感は何処へやら、きらきらと目を輝かせている朱理の脈絡の無さに、最早、どう突っ込めば良いのか分からない。
「いやー、最後のオチでゾッとしたけど、すげぇ面白かった! 稲●淳二も真っ青だぜ!」
「えーっと……あ、有難う……?」
興奮する朱理に気圧されて礼を言ったものの、ちゃんと話が伝わったのか甚だ疑問である。
これは空気を重くしない為の演技なのか、はたまた素なのか。陸奥が測りかねている間にも、朱理はずいっと身を乗り出してくる。
「ねぇねぇ、もっと無いの?」
「もっとって……いや、さっきのは作り話の様な本当の話だから……。シリーズ化される物じゃないんだよ?」
「ええー、もっと聞きたいのにー。じゃあ作り話でも良いよ」
「もうただの怖い話じゃないの、それ……」
袖を引いて強請る姿は可愛らしいが、予想外の事態に流石の陸奥も動揺を隠せない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、がらりと襖を開けて救世主が現れた。
「朱理ちゃーん、起きてー……って、あら、陸奥さん来てたんですね。もしかして俺、お邪魔しちゃったかな?」
「おはよー、棕櫚!」
「た、助かった……」
「おー、珍しく朝から元気じゃないの。何か良い事でもあった?」
「聞いて聞いて! 陸奥って凄いんだぜ! さっきめちゃくちゃおm──」
「……え、なに? なにごと?」
「なんでも無い」
陸奥が秒で朱理の口を塞ぎ、棕櫚は訳が分からず眉を顰めている。
「棕櫚、〝今回に限り〟全く邪魔じゃないし寧ろ助かったけど、絶対に理由は聞くな。朱理も二度とその話はしない事。分かった?」
陸奥の低い声と圧に、棕櫚と朱理は揃って首を縦に振った。
陸奥の手から解放された朱理は、改めて戸口に立つ棕櫚へ顔を向ける。
「で、どしたの棕櫚。なんか用?」
「あー、そうそう。朝ご飯出来てるって、番新が伝えてくれってさー。多分、朱理の二度寝防止も兼ねて頼まれたのよ」
「おお、ありがとー。って、もうそんな時間?」
気づけば時刻は既に11時半を回っている。朱理は大きく伸びをしながら立ち上がった。
「俺、先に風呂入ってくるわ。メシの後って怠いからさぁ」
「あー、それ分かる。俺も先に風呂派だわぁ」
「棕櫚も? じゃ三人で入ろうよ」
「「えっ!?」」
あっけらかんと言う朱理に、陸奥と棕櫚は素っ頓狂な声をあげた。
「なに?」
「いや、なにってお前……」
「俺はちょっと……。陸奥さんとか遣手とか、色々と後が怖いし……」
「なにぶつぶつ言ってんの、二人とも。別に良いじゃん。上の風呂は特に規則無いって聞いたぜ?」
「そりゃそうだけど……。どうする? 棕櫚」
「えー……いやぁ……まぁ、二人が良いって言うなら、俺は別に構わないですけど……」
「そうだなぁ。じゃ、行くか」
「おー、なんか大人数で楽しいなー!」
そうして結局、三人でわいわいと朝風呂を浴びた仲良し太夫達なのであった。
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