万華の咲く郷

四葩

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第二章

第十三夜 【晴天離離】

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「しゅーりー、起ーきーてー」
「……んん……」
「起きないとちゅーするぞ、ちゅー。良いのかー?」
「ぅう……んー……」
「……ちゅーだけじゃ済まないかもしれないけど、仕方ないよね。朱理しゅりが可愛過ぎるのがいけないんだもんね」
「ん、むぅ……」
「よし合意の上。いざ、いただきま──」
「辞めて下さい。これの何処が合意ですか」

‪ 午前11時。‬部屋の前を通りかかった東雲しののめは、すんでの所で朱理の貞操の危機を救った。がっちりと襟首を捕まれている陸奥むつはご立腹だ。

「なんだよ番新ー、もうちょっとだったのにー」
「なんだじゃありません。陸奥太夫こそ、此処ここで何をしているんですか」
「朱理を起こしてる」
「それは私の仕事だと、先日も言ったはずです」
「あいっかわらず、頭のかてぇ奴だなー。別に良いじゃねぇかよー。太夫が太夫を起こすべからず、なんて規則は無いだろー」
「規則うんぬんではなく、その姿勢に問題があると言っているんです! と言うか貴方、趣旨が逸れていましたよね、完全に!」
「ばっか、逸れてねぇよ! 俺は元々、寝起きの朦朧とした朱理に〝あわよくば〟がしたくて起こしてんだからな!」
「なっ……ますます最低じゃないですか! そんな下劣な目的なら、尚更許すわけにはまいりません!」
「ぅゔ……るっせーなぁもぉー! 起きたから静かにしろよぉ!」
「「あ」」

 枕元で陸奥と東雲に言い争われ、堪らず布団を跳ね除けて起き上がった朱理であった。未だほとんど目は開いていないが、不機嫌である事だけは誰が見ても分かる。

「す、すみません……騒々そうぞうしくするつもりは無かったのですが……」
「番新が邪魔したからだろ? 折角せっかく、俺が優しく起こしてやろうとしてたのにさぁ」
「んー……分かった、分かった……。陸奥が悪い、うん……」
「嘘だろおい。俺の方が先に来てたんだぜ?」
後先あとさきの問題じゃないんです。まったく……上手の御職ともあろうお方が、いい加減、度を越した悪戯は自重して頂きたい」
「ふぁーあ……仲良いな、お前ら……」
「何処がですか」
「未だ寝惚けてんだろ」

 騒がしくもいたって平和な朝だ。
 寝起きの珈琲をすすりながら、ぼうっとする頭で窓の外を見る。雲ひとつ無い春晴れに桜が舞う、美しい日和だ。
 と、なごみたい所だが、わきでは未だ東雲と陸奥が不毛な口論を続けている。

「陸奥太夫、一体いつまで居るつもりです? もう目的は果たしたでしょう」
「誰かさんの所為せいで果たせなかったんだよ! 別にいつまで居ようと俺の勝手だろー」
「それは部屋主の決める事です」
「なら朱理に出てけって言われてないから居る。そう言う番新こそ、なんで居るわけ? 仕事あるんじゃないの?」
「はっ!! そう言えば、此処には誰も入れるなと遣手に言われて……」

 さっと青ざめる東雲を横目に見ながら、朱理は緩慢かんまんに声を上げた。

「あー、それは気にしなくても大丈夫だよ。多分、来ないと思うから」
「え、なに? 話が見えないんだけど」
「あの……私もよく分からないんですが……。どう言う事でしょうか」

 いぶかしげな二人から視線をらせて紫煙を吐き、平静をつくろって答える。

ひかるさん、俺は良いから遣手のとこ行きなよ。昨日遅かったし、未だ寝てるんじゃないかな」
「確かに、この時間に姿が見えないのは珍しいですね……。分かりました、うかがってきます。お二人はおりを見て、風呂と食事にして下さい」
「りょうかーい」

 一礼して東雲は黒蔓の部屋へ向かった。とは言え、直ぐ隣なので何やらもごもごと遣り取りしているのが聞こえてくる。取り敢えず、話せる程度ではある事に安堵した。
 文机ふづくえに肘をつき、2本目の煙草に火を点けると、隣に陸奥が並んできた。

「ねぇ朱理、一緒に風呂行かない?」
「んー、変な事しないなら良いよ」
「まじで!? やった!」
「ああ、でもこれ吸ってからね」
「んじゃ、俺も一服するかな」

 陸奥も煙草に火を点ける。その香りは嗅ぎ慣れた物ではなく、他人の気配に胸がさざ波立つ。早く慣れなければ、と朱理は目を閉じた。
 今朝、黒蔓が来なかったという事は、すなわち〝そういう事〟なのだろう。
 昨夜の遣り取りは一言一句、朱理の耳にも届いていた。黒蔓が本意では無かった事など、一目瞭然だった。
 ただそうするしか無かったのだ。網代も、黒蔓も。
 責める気など毛頭無く、そんな権利も無いと思っている。その身を犠牲にしてまで側に居てくれようとした健気な人を、誰がとがめられると言うのか。
 痛々しい程の愛と誠意だった。その結果が現状なのだと言うならば、ただ受け入れて待つだけだ。
 ふうっと紫煙を吐きながら、自分にあんな事が出来るだろうかと考える。
 網代が黒蔓を憎からず想っている事は分かっていたが、二人の過去までは知らないし、さして興味も無かった。他人の色事に首を突っ込んでも、ろくな事にはならない上に、何となく事情は察していたからだ。
 万華郷の楼主や遣手は、年季明けした歴代の太夫が継ぐ事になっており、網代らも元はこの見世の太夫である。朱理が入楼した時には、既に二人とも現在の役職にいており、それを疑問に思った事は無かった。

 ふと、一番の古株である陸奥なら何か知っているかもしれないと思い、何気なく問う。

「オーナーと遣手って、昔なんかあったの?」
「ん? あー……まぁ、あったと言えばあった、かな……」
「なにそれ、珍しく歯切れ悪いじゃん」
「暗黙の了解みたいなもんで、皆その話はしない様にしてるんだよ。楽しい話題でもないしな」
「ふうん……。遣手の怪我と関係あるとか?」

 突っ込む朱理に、陸奥は困った様に笑った。

「どした、突然。そんなに知りたいの?」
「うん。俺も結構ここ長いし、何も知らないってのも、そろそろどうかと思うじゃん」
「んー、まぁ言いたい事は分かるけど……。でも、わざわざ寝起きにする話じゃないと思うけどねぇ……」
「大丈夫、俺そんなデリケートに出来てないから」
「うーん……」

 陸奥はしばし考えるようにうなり、ふすまが閉まっている事を確認すると顔を寄せて来た。

「じゃあ教えてあげるけど、ここだけの話にするって約束出来る?」
「約束する」

 陸奥はひとつ息をき、人に聞かれても誤魔化せるようにと、物語調で話し始めた。
 
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