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第一章
第二夜 【花の宴】
しおりを挟む18時。いよいよ見世をあげての大宴会、花の宴が幕を開けた。
中庭の大きな桜の木を中心に緋毛氈が敷かれた舞台が設置され、着飾った新造たちが馴染み客や贔屓筋をもてなす様は、まるで一幅の絵の如く豪華絢爛だ。中央から枝分かれして伸びる桟敷席には、客の他に上下太夫と格子太夫、楼主、遣手の席が設けられ、各々、ゆったりと花見酒を傾けている。
やがて鈴や琴、三味線の澄んだ音色が響き渡り、舞台へ続く回廊に朱理が現れると、盛大な拍手喝采が湧き起こった。
漆黒の生地に紅緋の曼珠沙華が咲き誇る打掛。金糸と銀糸で細かな刺繍の施された帯が際立って美しい。髪には陸奥から贈られた真朱の簪が飾られ、打掛と相まってその美を引き立てている。両脇に新造を従え、ゆるりと歩を進める姿は正に妖姿媚態で、客のみならず娼妓らをも魅了していた。
上手太夫用の桟敷で盃を呷り、悠然と舞台を眺めるのは鶴城 拓真と一ノ瀬 棕櫚である。
「あの子、太夫になった途端に凄味が増してないか? うっかり気圧されたわ」
「あんなに駄々こねてたくせにねぇ。腹くくったときの底力は末恐ろしいよ、ほんと」
柔らかく整った造作に気品を纏う鶴城に対し、棕櫚は日本人離れした高身長と、野性味溢れる色気を醸し出している。しかし、見た目に反して鶴城のほうがあけすけに物を言い、棕櫚は柔らかい声音でおっとりと話す。性格はまるで逆さまの2人だ。
「あの存在感たるや、軽く人知を超えてるぜ。昼行灯が売りだなんて、一体どの口で言ってやがったんだかな」
「あぁー、色気が半端ない、やばい。あの目でじっと見つめられるとさ、なんかこう、ぞくっとこない?」
「まぁ、気持ちは分からんでもないが……。俺は陸奥さんを敵に回すほうがぞくっとするな」
紫煙を吐きながら目を細める棕櫚に、鶴城は悪寒を覚えて形の良い眉をひそめている。
「そういえば陸奥さんは?」
「お大臣方の桟敷。ほら、あそこだけ国会議事堂みたいな顔ぶれだろ」
「うわぁ、ほんとだ。誰より朱理の晴れ舞台に専念したいだろうに。優秀すぎるっていうのも困りものだねぇ」
ことりと盃を置くと、棕櫚は話題を変えた。
「ともあれ、次の吉原細見が楽しみじゃないの。十中八九、朱理の記事ばかりになるだろうなぁ」
「ああ、しばらく特集はあの子が独占だろう。世間は目新しい物が大好物だし、何より黒蔓の秘蔵っ子ってのがでかい。ま、細見がどこまで書けるか知らんがな」
「うちの詳細は載せられない決まりがあるもんね。とは言え、番付が派手に動くのは確実でしょ。おこぼれの商業効果で、俺たちもますます忙しくなりそうだ」
吉原には『吉原細見』という独自の案内書が存在する。要は様々な妓楼の特徴や、娼妓たちの情報などをまとめた風俗誌である。細見は定期的に上級娼妓の番付を発表しており、鶴城らが話しているのはそのことだ。大見世の新たな太夫とくれば、一面を飾る大騒ぎになるのは当然だろう。
「話題になってこその商売だし、喜ばしいことには違いないだろ。少なくとも、見世にとってはな」
「……そうだね。今はただ、面倒が起きないよう祈るしかないかな」
棕櫚は酒を舐めつつ、思うところがあるように苦く笑うのだった。
◇
一方、別の桟敷席には下手太夫、和泉 奈央人と、下手格子太夫、白鳥 香月と伴 伊万里が盃を交わしていた。
和泉は苗字をそのまま、他の2人は下の名を仮名交じりで名乗っている。吉原では古くから仮名を交えた妓名を粋とする風習がある。ちなみに、万華郷では姓名どちらを使うかは字面や響きで決めるため、個人によって異なる。
緩くうねる癖毛を桃色に染め、ほぼ紫原色の打掛を引きずる派手な出で立ちの香づきは、酒も肴もそっちのけで欄干から身を乗り出し、朱理に釘付けである。
「はぁー……やっぱり凄いオーラだねぇ朱理様は。とっくに太夫になってたはずなのに、今の今まで固辞してたなんて、ホントもったいない」
それを横目に、鎖骨の辺りで切りそろえた金髪を揺らす伊まりは端正な顔立ちに刺のある上方訛りが特徴的で、次々と杯を干しながら顔をしかめる。
「せやけど、いくらなんでもやり方が雑すぎるわ。東雲が抜けるからて、強引に押し付けたらしいやん。東雲の年季明けかてまだまだ先やのに、どうせ遣手が無理通して繰り上げたに決まっとる。胸糞悪いわ」
「東雲の件に朱理は関係ない。身請けを拒んだ本人が望んだことだ」
細い絹糸のような黒髪を束ねて背に流し、薄い唇から紫煙を吐いて冷静に答える和泉を振り返り、香づきが意地の悪い声音で問う。
「ねぇ和泉、もしかして朱理様の格上げに危機とか感じたりしてる? 涼しい顔の裏で、冷や汗かいてたりしない?」
「有り得ない。ようやくあいつが腹くくってくれて、安心したくらいだ」
あっさり鼻で笑う和泉に、香づきは驚くでもなく再び朱理へ視線を戻した。
「それもそっかぁ。あんた達って昔から異様に仲良かったし。むしろ嬉しいよねぇ」
「って言うか、ガチで仲悪い奴なんておらんやろが。身内で揉め事なんぞ、阿呆らしいてかなわんわ」
伊まりの言う通り、万華郷はよくある妓楼の揉め事とは一切無縁の、特殊な性質を持っている。採用条件の厳しさから娼妓達は自然と同胞感を持ち、嫉妬や貶め合いは皆無だ。競争相手ではなく、支え合う同僚、友人、仲間といった、身内意識の強い稀有な見世である。
和泉が嘲るように短く息を吐き、客席を顎で指した。
「そんなことより見てみろ。まるで美味そうな撒き餌に涎を垂らす豚の群れだ」
「うえ、きもーい。色欲むき出しにした連中って、本当に醜いよねぇ」
「しかし、アレはちょっと異常やろ。これから先、朱理のメンタル持つんかいな」
舞台の中心で一身に注目を浴びる朱理を、心配そうに見守る下手達であった。
◇
主役のお披露目が終わり、上手太夫らの演武が始まった頃。黒蔓の座る桟敷へ逃れた朱理は、大きく嘆息しつつへたり込んだ。
「疲れた……しんどい……寝転がりたい……煙草吸いたい……」
「こら、客の前でだらしない格好はよせ」
「お願い……ちょっとだけ休ませて……」
「ったく。これくらいでへばってちゃ、先が思いやられるわ。下でひと息ついてこい。客に見られるなよ」
「ありがとう……。行って来ます」
「すぐ戻れよ」
そうして朱理はそっと桟敷から抜け出し、照明の影になる木組みの下に潜り込んだ。袂から煙草を取り出して火をつける。紫煙を送り込むと堪能するようにゆっくり吐き出し、愚痴を零した。
「ふうぅ……染みるぜぇ。こんなに禁煙したの久し振りだわ。だから宴は嫌いなんだっつーの」
ぶつくさ言いつつも人心地つくと腰を上げ、なんの気なしに側の桜の木へ歩み寄った。今夜は風が強いせいか、開き始めの花弁がはらはらと落ちてくる。それを手のひらで受けながらぼんやり月を見上げていた時、不意に背後から声が掛かった。
「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける」
振り返ると、聡明な顔立ちで品良くスーツを着こなした男が立っていた。見たところ20代半ばほどで、佇まいは育ちの良さを物語っているが、見覚えはない。初対面で西行法師を口ずさむなんて、若いくせに気障な野郎だな、と訝しみつつ口を開いた。
「この騒ぎは俺のせいだ、とでも言いたいんですか?」
「滅相もない。やはり上級娼妓ともなれば、文学にも精通していらっしゃいますね」
「詩歌に通じていなくとも、西行法師くらい誰でも知ってますよ。吉原では一般教養です」
「さすが、吉原随一と謳われる妓楼は、意識の高さも桁違いのようだ。しかし、まさかお返事を頂けるとは思いませんでした」
「何故です?」
「貴方は有名ですから、一瞥されて終わる覚悟くらいはしていましたよ」
「ああ、よく言われるんですよ。性格悪そうとか、冷たそうとか」
「いえ、そういう意味では──」
皮肉と自嘲の混じる笑みを浮かべ、男の言葉をさえぎって問う。
「誰のお客様か存じませんが、早く戻られたほうが良いんじゃないですか。浮気と見なされたら、そこそこ酷い目に合いますよ」
「ご心配は有難いのですが、私なら大丈夫です。客ではありませんので」
男の台詞に首を傾げた時、桟敷から苛ついた黒蔓の呼び声が聞こえてきた。朱理はぎくりと肩を竦め、渋い顔になる。
「やば……早く戻らなきゃいけないのは俺のほうだった……」
「そのようですね。お引き留めしてすみません」
「どうぞ花見を楽しんで、西行さん」
朱理は打って変わった無邪気な笑みで男に手を振り、その場を後にしたのだった。
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