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10章【疾風に勁草を知る】

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 桃枝を怒らせてしまった、翌日。青梅が管理課で試用期間を過ごす、最終日。出勤してからもずっと、山吹の心は晴れなかった。

 昨晩は当然ながら、いつも桃枝が送ってくれる『おやすみ』のメッセージがなかったのだ。それだけではなく、今朝も『おはよう』のメッセージがなかった。

 いつもは就寝と起床の挨拶に、愛の言葉が添えられている。メッセージがなかったということは、自動的にそれらの言葉も無かったということ。山吹の不安が強く速く募っていくのは、当然だった。

 それでも山吹は、浮かべ慣れた笑顔でどうにか一日を過ごす。きっと管理課に所属する誰一人として、山吹の不調に気付かなかっただろう。

 ……もしかすると、桃枝だって。


「お疲れ様でした~っ」
「お先に失礼します」
「よしっ。こっちもそろそろ帰るかーっ」

「お疲れ様ですっ」


 周りの職員が次々と退勤していく中、山吹は笑みを浮かべて挨拶を返す。

 辺りを見回せば、残った職員は桃枝と自分だけ。青梅は……きっと、知らない間に他の職員に紛れて帰ったのだろう。

 今日は、青梅が管理課で過ごす最終日。正式な配属はどこの課になるかまだ知らされていないが、とにもかくにもこれで数日は安心だ。山吹はホッと、胸を撫で下ろす。

 周りに、職員はいない。ついでに、最も脅威となる邪魔な存在の青梅もいなくなった。すぐに、山吹は椅子から立ち上がる。

 課長席に座り、桃枝は難しい顔をしていた。それが今は、どうしてか『怒りを向けられているのでは』と勘違いしてしまいそうなほど、恐ろしい。

 それでも、山吹は歩いた。桃枝に、声をかけるため。


「あっ、あのっ。課長、この前──」


 メッセージを送って返信を待つ勇気と、耐え忍ぶ心臓。そんなもの、山吹にはない。だからこそ山吹は、勇気を出して口頭で桃枝に昨晩のことを話そうとした。

 だが、返ってきた言葉は……。


「──ここは職場だろ。プライベートの話はするな」
「──っ!」


 やはり、冷たいものだった。堪らず、山吹は息を呑む。
 このまま『それでも聴いてほしいです』と言えるほど、今の山吹は厚顔無恥を装えない。鈍感なフリをできそうになかった。

 それでも必死に言葉を探した山吹は、その場で俯く。どれだけ思考を巡らせても、適切な言葉や態度が思いつかなかったからだ。


「……書庫に、書類。取りに、行ってきます」
「もう定時過ぎただろ。明日にしろ」
「ボク、要領が悪いので。タスクを残して、帰りたくなくて。モチロン、残業代とかは請求しませんから。……スミマセン」


 桃枝の指摘通り、書庫から書類を取ってくるのは明日でも構わなかった。と言うよりもむしろ、山吹に日中その仕事を頼んだ先輩は既に帰宅している。山吹だけが残って書類を探す必要はないだろう。

 それでも山吹は、このまま帰宅しても苦しいだけだと分かっていた。一人で延々と答えの出ない不安を抱えているよりは、仕事をして気を紛らわせたかったのだ。

 山吹は桃枝に頭を下げて、事務所を出る。それから鍵を取り、すぐに書庫へと向かった。


「三年前の、決算書類……。去年の書類が、入った箱は……」


 書庫に着いて、山吹は管理課の書類が保管されている棚を眺める。指先で書類が入った段ボールに書かれている保存内容をなぞり、ブツブツと探し物を呟きながら。


「あれ? 三年前の書類ってどこにあるの?」


 予想外に難航してしまった書類探しを続けて、数分。ようやく保存場所の目星を付けた、その時──。


「──あれっ、山吹じゃん? 定時過ぎたのに書庫で探し物?」


 今、最も聞きたくない男の声が、書庫の入り口から聞こえてきた。




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