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10章【疾風に勁草を知る】

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 決意を固めるのが、遅かったのかもしれない。部屋に取り残された山吹は、今さらすぎる後悔を抱く。

 もっと早く──青梅と再会してしまったあの日に、全てを桃枝に打ち明けていたなら。そうすれば、桃枝に愛想を尽かされることもなかったのだろうか。

 ふと、山吹は床を見る。視線の先には、割れて砕けたマグカップがあった。


「暴力は、分かりやすくていい。それが愛情だって、父さんが言っていたから。だからボクは、優しくするのもされるのも苦手で……。でも、課長が『それは違う』って、教えてくれたから……っ」


 若しくは、もっと前。桃枝の愛情と同じものを向けられない山吹に、桃枝は呆れてしまったのだろうか。

 愛想を尽かされたなんて、信じたくない。桃枝はなにも言わずに恋人関係を解消するような男ではないと、山吹は思い込みたかった。

 一言も、桃枝から『別れよう』と言われたわけではない。きっと、山吹のネガティブ思考がいつものように最悪のパターンを勝手に演算しているだけ。桃枝は、山吹のことを嫌いになったわけではないはずだ。

 だが、ならば、どうして桃枝は帰ってしまったのか。山吹はしゃがみ込んで、割れたマグカップを見つめた。


「好意って、なんなんだろう。なんで、ボクは上手にできないんだろう……」


 蹲っていても、俯いていても始まらない。山吹は手を伸ばし、割れたカップを拾い始めた。
 だが山吹は、瞬時に手を引っ込める。


「──いたっ」


 馬鹿だ。破片を拾えば指を切ることくらい、子供でも想定できるのに。山吹は血が滲む指先を見て、またしても俯いた。


「お揃い、イヤだったのかな……」


 いったい、なにが駄目だったのだろう。割れたカップを見て、山吹は考える。

 デザインか、それとも機能性か。そもそも大人の男は、お揃いのアイテムなんて恥ずかしくて不快だったのかもしれない。子供の頃、父親にお揃いのキーホルダーを強請ったら頬を叩かれたことを思い出す。

 だが、さらに。……より一層、理由を突き詰めていくのなら。


「ボクなんかと、お揃いなんて……嬉しくない、よな」


 大前提の問題だ。いつだって山吹は、愛や恋について語ると桃枝を怒らせていた。ついに、愛想を尽かされたのかもしれない。

 期待ばかりが先行して、桃枝の気持ちを考えていなかった。勝手に『桃枝なら喜んでくれる』と決めつけた罰なのだと、山吹は蹲る。


「泣くなよ、泣くな。こんなの、父さんに蹴られたことに比べたらなんてことないだろ……っ」


 内臓は、外側から圧迫されていない。鈍痛もなければ血も滲んでおらず、ましてや痣だってできないのだ。わざわざ確認しなくたって、山吹が幼少時に受けた苦痛とは比較にもならない。

 ……それでも、目の奥がジワジワと痛む。鼻の奥がツンとして、うまく声が出せない。


「泣くな、泣くな、泣くな……ッ」


 それでも山吹は、声を出した。自らを律し、思い留まらせるために。

 涙を流すのは、コミュニケーションに対する怠惰。不意に思い出した黒法師の言葉を、まさかこんな形で痛感してしまうなんて。皮肉な話だ。笑みも浮かばない。

 山吹は蹲ったまま、何度も何度も『泣くな』と呟く。今は、それくらいしかできそうになかったから。




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