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10章【疾風に勁草を知る】

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 不慮の事故でもなければ、自然現象のイタズラでもない。
 わざと、意図的に、自らの意志で。桃枝は、山吹が用意したマグカップを割ったのだ。


「……な、んで?」


 山吹が想定していた反応は、二通り。とても喜んでくれるか、照れ隠しのように悪態を吐かれるか。どちらにしてもきっと、桃枝なら喜んでくれると。そう、山吹は期待していたのだ。

 だが、実際はどうだろう。桃枝は今、マグカップをどうした?


「恥ずかしげもなく、よくこんな物を俺に見せられたな。そんなに愉快かよ、お前が持ちたがった【お揃い】を俺に見せるのは」


 投げられた言葉からも、伝わってくる。桃枝の、鋭く重たい【怒り】が。


「なんで、よりにもよって今日用意したんだよ。これを見せられて、俺はなんて言えばいいんだよ」
「そん、な……っ。ボクは、ただ……」


 いつものお返しが、したかった。いつも桃枝がくれる愛情を、真っ当な【愛】を知らない山吹なりの努力で返したかっただけ。

 だから山吹は、どんなことでも桃枝に話そうと──青梅との関係と、過去を伝えようとした。桃枝にこれ以上、心配をかけないために。

 あとは、山吹がそこまで進めるように、勇気が欲しくて。桃枝が喜んでくれるかもしれないという下心も込めてはいたが、それでもただ純粋な気持ちで、マグカップを用意しただけ。

 しかし、桃枝の反応は……。


「今はお前と、なにも話したくねぇ。来て早々だが、帰る」


 あまりに。……あまりに、期待とかけ離れていて。

 ヒュッ、と。恐怖や不安によって、山吹はヘタな呼吸をしてしまう。
 そんな山吹には目もくれず、桃枝はすぐに立ち上がり、玄関に向かって歩き出そうとする。


「今日はお前と話をしようと思ったんだが、気が変わった」
「えっ? ボクと、話……っ? な、なんの、ですか……っ?」


 仕事終わりに会えないかと呼んだのは、山吹だ。山吹は桃枝に、青梅とあった出来事を包み隠さず話そうと思っていたのだから。

 だが、桃枝も山吹に話があったのか。そんな素振りは感じられなかったが、しかしいったい、どんな話を?

 チラリと見えた桃枝の表情は、あまりにも厳しかった。こんな目つきで好きだの愛しているだのを口にするとは、さすがに思えない。

 ならば、まさか、まさか、と。山吹の思考が、目にも留まらぬ速さで【悪い方向】へと進んでいき……。


「か、ちょう……っ? まさか、ボクに……ッ」


 ──別れ話なのか、と。思考が行き着いた先には、そんな不安が待っていた。

 いつの間にか、山吹は桃枝を追い詰めていたのかもしれない。それなのに、山吹はさらに間違えたのだ。あの優しい桃枝が、山吹の用意した物を壊すなんて。山吹が桃枝を怒らせた以外、正当足り得る理由が思いつかない。

 つまり、やはり山吹は桃枝を追い詰めたのだ。自覚していくと同時に、山吹の顔はみるみるうちに青ざめていく。

 途中まで紡いだ可能性の言葉が、着地しない。山吹は顔面蒼白になりながら、ただただ体を震わせることしかできなかった。

 その間も、桃枝は進んでいく。鞄を手にして、山吹に背を向けたのだ。


「帰る」
「あっ! せ、せめて、お見送り──」
「──要らねぇよ、そんなの」


 投げられた言葉が、向けられた背が、あまりにも冷たくて。
 山吹はついに、確信する。……理解して、納得するしかなかった。


「──今は、お前の顔を見たくねぇんだよ。分かれよ、そのくらい」


 山吹が用意した【分かり易い恋人同士の証】は、迷惑だったのだ。……と。




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