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10章【疾風に勁草を知る】
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しおりを挟む駅の出口に向かうでもなく、奥へ。わざわざ人が来ないような場所を選び、黒法師は足を止めた。
「あれ、おかしいなぁ? 僕、駅の出入り口に向かっとったつもりなんやけど……? 余計奥に来てしもたな?」
前言撤回。どうやら、黒法師は望んでここへ向かったわけではないようだ。
頬を掻きつつ、黒法師は山吹から手を離す。すぐに山吹は、黒法師に握られていた手を自身の手で強く握り込んだ。
不思議そうに辺りをキョロキョロと見回す黒法師を見上げて、山吹は眉を寄せた。
「……ありがとう、ございました。おかげで、助かりました」
「あぁ、ええよ、別に。君にとって最悪の選択肢を突き付けられて、僕も楽しかったからな」
「『も』って言わないでください。ボクは楽しくなかったんですから」
やはり、黒法師は黒法師だ。颯爽と助けに入ったかと思いきや道に迷い、善意かと思えば悪意じみている動機。どうにも、素直に『ありがとう』とは言いたくない。
それでも山吹は感謝の言葉を述べた。……しかし。
「要求はなんですか」
向ける眼差しは、明らかに【警戒】の二文字を宿している。
黒法師は辺りに向けていた視線を山吹に移し、困ったような笑みを浮かべた。
「信用ないなぁ。僕ってそんな酷い男に見えとるん?」
「えぇ、とても」
「君のそういうハッキリしたとこ、僕は好きやで」
「黒法師さんのそういうハッキリと頭がおかしいところ、ボクは嫌いです」
助けてもらったくせにあんまりだと、第三者は思うだろう。だが敵意を向けられている黒法師自身は、笑みを浮かべたまま「やめてや。さらに嫌われたくなるやろ」などとほざいている。山吹の眼光が鋭いのは、仕方のない話なのだ。
山吹に睨まれたまま、黒法師はわざとらしく肩を竦めた。
「見返り、見返りなぁ……。……あっ。じゃあ、ひとつ」
山吹の言葉を反芻した後、不意に。
「──今すぐ白菊に電話かけて? そんで『黒法師さんと二人でご飯に行くことになったのですが、いいですか?』って言ってや」
「──ッ!」
とても綺麗な笑みを、黒法師は浮かべた。
言われなくても、分かっている。『今の黒法師は心底活き活きしている』と。
さも『下心なんてありません』と言いたげだったくせに、案の定ではないか。山吹は、内心で毒づく。
これから、山吹は桃枝のマンションでデートだ。この予定を知っているのか、ただの思い付きか。……黒法師のことだ。きっと、両方だろう。
キッと、山吹は憤りを露わにしながら黒法師を睨んだ。
「ホント、サイテーですね……ッ!」
「おおきに」
無意味な抵抗だと分かっていても、噛みついてしまう。無論、黒法師はご満悦だが。
心の底から、山吹が嫌がっている。そう気付いたのか、黒法師はピンと人差し指を立てた。
「その要求を呑んでくれたら、貸し借りナシや。しかも今なら大特価、さっきの件を白菊に黙っておくオプション付きやで?」
「……えっ?」
「けど、呑んでくれへんのやったら。……この先、わざわざ聞きたい?」
今の心境を、一言で表すとしたら。山吹の頭にポンと浮かんだのは、たったの二文字だった。
──最悪。
ポケットの中にしまい込んでいるスマホに手を伸ばす山吹には、この二文字だけで十分なのだから。
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