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10章【疾風に勁草を知る】

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 金曜日の、夜。山吹は、いつの間にか【夜】という時間が好きになっていたらしい。


『そう言えば、来週から中途採用の奴が来るな』


 六月の、上旬。山吹はスマホを握りながら部屋でひとり、ニマニマと口角を上げていた。
 桃枝との、通話タイム。気付けば寝る前のこの時間が、山吹は好きになっていたのだ。

 桃枝も同じだと嬉しい、なんて。どことなく自分らしくないことを考えながら、山吹は平静を装って言葉を返す。


「確か、正式な配属場所が決まるまでは数日置きで色々な課を転々とする、でしたっけ?」
『あぁ、そうだ。最初の三日間は管理課に来るぞ』
「言われてみると、そんな話を周りがしていたような……?」


 正直、自分と桃枝にさほどの関係がないのならどうだっていい。ゆえに山吹は、明日から管理課に来る相手が男なのか女なのかも知らなかった。

 ついでに言うのなら、こうして話題に上がったところでどうだっていい。山吹は今、それ以外のことで頭がいっぱいなのだから。


「ところで、あの、課長。明日、なのですが……。課長のお部屋に行っても、いいですか?」


 管理課の繁忙期がようやく過ぎ、今は休日出勤をする必要もナシ。山吹も桃枝も、明日は休みなはずだ。

 伸ばした足を、意味もなく擦り合わせる。緊張によって、心臓が喉の奥から出てきてしまいそうだった。


『あぁ、いいぞ。明日は出勤する必要もねぇからな、終日空いてる』


 すぐに、桃枝は提案を快諾する。想定通りの言葉を添えて。
 山吹はパァッと表情を明るくしてから、それでも平静さを装って返事をする。


「じゃあ、課長の明日を全部ください」
『明日に限らず、お前が欲しがるならいくらでもくれてやるっつの』
「またまた、ご冗談を。仕事が入ったらそっちを優先するくせに」
『それはそうだろ。仕事は限定的なものだが、お前はそうじゃないからな』

「~っ!」
『山吹? 突然黙って、どうした?』


 ジタバタと、足が動く。桃枝が当然だと思っている未来が、あまりにも山吹にとって嬉しい話だからだ。

 静かに深呼吸をしてから、山吹はキリッと表情を引き締める。たとえ、桃枝に見えていなくても、だ。


「じゃあ明日、電車で向かいますね。時間は……お昼前に着いちゃってもいいですか?」
『時間はいつでもいいんだが……お前、電車は苦手なんだろ? 車くらい出すぞ?』


 苦手なものを、覚えていてくれたのか。些細なことが、なぜだか猛烈に嬉しい。
 それでも山吹は普段通り、少し弾んだ声であっけらかんと答える。


「大丈夫ですよ。それに、これから課長のお部屋を訪ねる機会は増えると思いますので、その度に車を出してもらうのは申し訳ないです。誰かに見られちゃう可能性だって増えちゃいますし」
『俺はお前との関係が誰にバレたって気にしない』

「ボクがイヤなんです。課長とのお付き合いに、周りから心無いウワサとかされたくないんです。それに、電車に慣れる特訓も兼ねていますから。だから、ボクは大丈夫ですよ」
『山吹にとってはそうでも、俺にはどうにも……』


 やはり、と言うべきか。桃枝は、全く納得していなさそうだ。
 あまり気乗りはしないが、仕方がない。山吹はどうにか桃枝からの納得を得るため、言葉を探した。


「じゃあ、ボクがお部屋に着いたら。……あ、えっと、その……っ」
『なんだよ。気になるだろ』

「そ、その。……あ、甘やかし、て……ほしい、です」


 スマホから、息を呑むような音が聞こえた気がする。その後でなぜか、盛大なため息も聞こえた。

 まさか『電車程度で』と呆れられてしまったのだろうか。慌てて弁明の言葉を紡ごうと、山吹は口を開き──。


『──クソッ、今すぐ抱き締めてぇ……ッ!』
「──ボクまだ、電車に乗っていないのですが……」


 相変わらずな桃枝に、脱力した。




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