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6章【虎から逃げて、鰐に会う】

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 昼休憩になり、山吹は桃枝のデスクに両手を載せていた。


「──ねぇ、課長。ボクのこと、好きですか?」


 監査士三人は、管理課を統括する部長と昼食中。つまり、黒法師はこの場に現れない。管理課職員も昼休憩中は事務所に戻ってこないと知っている山吹は心置きなく、尚且つすかさず桃枝に詰め寄り始めたのだ。

 コンビニ弁当を持参していた桃枝は目を丸くしつつ、突然寄って来た山吹を見上げた。


「は? なんだよ、いきなり。好きに決まってるだろ」
「一番ですか?」
「一番だ。それに、一生好きだぞ」
「いえ『一生』は、さすがに重いですよ」


 なにも変わりない。いつも通りの桃枝だ。


「でも、そうですか。……そう、ですか」


 安堵したのか、落胆したのか。桃枝からすると、山吹の反応は判断に困るものだろう。


「本当、なんなんだよいきなり。……もしかして、俺が他の奴と親し気に話していたのが気に食わないのか?」
「えっ?」


 コンビニ弁当の蓋を開けつつ、桃枝は冗談なのか本気なのか分からないことを口にした。山吹からすると、桃枝の方が判断に困る言動をしている気すらしてくる。

 だが、今の山吹はいつもの山吹らしくない。

 いつもの山吹ならば『変な冗談やめてくださいよ』くらい言い、笑い飛ばしただろう。しかし、今はなぜかそうした茶化すような言葉が出てこなくて……。


「どう、でしょう。そういうのはよく、分からないですね」


 思いの外、真面目な回答。桃枝の目が丸くなっているのも、納得だ。


「そこは、嘘でも肯定しろよな」
「課長は【ウソ】が嫌いなんでしょう?」
「可愛くねぇなぁ」
「えっ? ……ボク、カワイクないですか?」


 まさか、桃枝からそんなことを言われるとは。山吹はシュンとしながら、桃枝を見つめた。

 今にも『くぅん……』と鳴きそうな、子犬のようで。山吹に見つめられた桃枝は、箸を持つ手をピクリと震わせた。


「……っ。……世界で一番、可愛いっつの。言わせんな、馬鹿ガキ」
「あははっ! 課長もウソ吐きじゃないですかっ」


 まるで、普段通りの山吹だ。突然投げられた質問の真意は分からないままでも、桃枝は内心で安堵する。
 桃枝の心情なんて露知らず、山吹はふと顔を上げた。


「あっ、そろそろボクもお昼ご飯を食べなくちゃです。喋っていたら休憩時間が終わっちゃいますからね」
「だな」
「じゃあ、あとひとつだけ……」


 そう言うと、不意に。


「は、っ? やっ、山吹っ?」


 山吹が、桃枝の耳元に顔を寄せた。
 それから、ポソッと……。


「ネクタイ。少し曲がっていますよ」
「……あ、あぁ、そうか。あり、がとう」


 囁かれた言葉を理解すると同時に、桃枝は自らのネクタイを直す。
 露骨な動揺が見られて満足したのか、山吹はそのまま桃枝のデスクから離れ──。


「山吹、ちょっと」
「はぁ~い?」


 ……ようとしたのだが、呼び止められた。少しだけ珍しいことだ。

 もう一度桃枝のデスクに近寄った山吹は、すぐに桃枝へ顔を寄せる。自分にもなにか、指摘しづらいことでもあるのだろうか。咄嗟にそう思ったからだ。
 寄せられた顔に自らも顔を近付け、今度は桃枝が、山吹に耳打ちをする。


「耳打ち。不覚にも、ときめいた。今後も頼む」
「……それだけですか?」
「あぁ。引き留めて悪かったな」


 今度こそ、山吹は桃枝のデスクから離れる。持参した手作り弁当を引っ掴み、会社の屋上へ向かうために。


「耳打ちが、ときめいた……かぁ」


 事務所から出て、通路を歩いて。山吹は桃枝に囁かれた側の耳をそっと押さえる。

 本当は、ネクタイの歪みなんて気にならない程度だった。ならば本当は、桃枝の耳元でなにを囁きたかったのか。


『俺が他の奴と親し気に話してたのが気に食わないのか?』


 もしも、山吹が。……考えてから、山吹は咄嗟に首を横に振った。




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