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6章【虎から逃げて、鰐に会う】

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 初対面の相手に緊張をするようなタイプではないが、状況が【仕事】となると別だ。しかも、相手は監査士。下手なことはできない。


「やけに黒法師は今日を楽しみにしていたが、いったい桃枝管理課長とはどういう関係なんだい?」


 すると、壮年の監査士がそんなことを訊ねた。
 よくやった、ナイスです! 山吹は心の中で、監査士に向けて賞賛の声を上げる。

 結局、桃枝と黒法師の関係性は訊けていない。時間が空けば空くほどタイミングを失い、きっかけもなく……。山吹の中でも、その疑問は残っていたのだ。

 自らの手を汚すことなく、知りたいことを訊いてくれるとは。桃枝を手伝ったことに対する見返りは求めていなかったが、棚ぼた展開が待っていたことに山吹は喜んだ。

 さて、なんと答えるのか。山吹はソワソワと落ち着きを失くすこともせず、あくまでも平静さを装いながらその場に馴染む。


「僕? 僕は、そうやね……」


 訊ねられた黒法師は一度、自分の顎に人差し指を当てて──。


「──白菊の【初めての人】やね」


 なんとも、冗談にしては人を選ぶ答えを口にした。
 瞬時に、山吹は察する。黒法師は山吹にとって『確実に、仲良くできない男だ』と。

 話題の中心は、黒法師だけではない。もう一人の中心、桃枝はと言うと……。


「なんだよその説明。ちっとも笑えねぇ」


 見事に、ご立腹だった。やはり黒法師が放った答えは、人を選ぶ冗談だったらしい。黒法師以外の監査士も、さすがに苦笑いだ。

 笑っているのは、この場で黒法師だけ。それでも──だからなのか、黒法師は余計に楽しそうだ。


「酷いやないの、白菊。今のは嘘なんかやなくて、本当のことやろ? 僕は白菊にとって【初めての友達】なんやから」
「この年になってダチとかわざわざ言うなよ。むず痒い」
「えぇ~っ? いけずやなぁ」


 くるりと、黒法師は山吹を振り返る。


「と言うことで、初めまして。僕は黒法師水蓮すいれん。白菊とは中学と高校時代の同級生や」


 なぜわざわざ、ウケを狙うには当たり判定の小さい冗談を答えたのか。
 なぜわざわざ、山吹を見て挨拶をしてきたのか、と。山吹は考え、そして気付く。

 違う。この男は、飄々としたノリの軽いちゃらんぽらんではない。


「よろしくな、山吹君」
「はい。よろしくお願いします、黒法師さん」


 ──この男は、自分に牽制を仕掛けているのだ、と。差し出された手に握手を返し、山吹は確信した。


「うちの黒法師が、すみません」
「むしろ、黒法師がすみません。学生時代からこうだったので」
「どうして大人になる過程で直らなかったんだ……っ!」
「こちらとしても、不思議です。頭は悪くないはずなのですが……」

「本人を前に妙な意気投合はやめてくれへんかな~?」


 もう一人の監査士が桃枝に名刺を渡しつつ、黒法師のことで肩を落とし合っている。そのやり取りを見て、黒法師はヘラヘラと笑いつつもツッコミを入れていた。

 これ以上、ここに残っていても意味はないだろう。談笑が始まってしまう前にと思い、山吹はペコリと頭を下げた。


「それでは、ボクはこれで。事務所に戻りますね」


 そう言い、山吹は早歩き気味の速度で会議室から出る。
 ……その際、一度。チラリと、山吹は黒法師と話している桃枝の姿を見た。

 知り合いだけではなく二人の監査士を前にしているからか、それとも。普段の桃枝とは少し違う、大人びていない顔だ。
 困ったように表情を歪めているのに、怒っているわけではなくて。会議室から視線を逸らし、山吹は堪らず拳を握った。

 笑顔なら、何度か見たことがある。赤くなった顔も、可哀想なほど動揺した顔も、もっと、もっと……。

 それなのに、どうしてだろう。


「──課長の、あんな顔。……ボク、知らない」


 なぜか、爪が手のひらに食い込む。力の制御ができないまま、山吹は足早に階段を下りた。




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