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5.5章【困れば悪魔は蝿を食べる】

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 肩たたき券を無事に手渡した後、山吹は座ったままムンと胸を張った。


「ボクはこう見えて、子供の頃は『肩たたきの名人だ』なんて言われていたんですよ! 父さんと母さんも大絶賛です!」
「っ! ……そうか」


 桃枝が驚いた理由は、単純。こうして、山吹が【家族の話】を楽しそうにしているのは珍しいからだ。
 山吹にとって、肩たたきは温かい思い出なのだろう。そう解釈をした桃枝は、得意気な山吹に背を向けた。


「なら、早速使わせてもらおうか。……言っておくが、俺の肩凝りは常人レベルを越えているからな」
「さすが事務仕事メインな管理課の課長ですね。腕が鳴りますっ」


 こんなすぐに使ってもらえるほど、喜んでもらえたとは。山吹は桃枝の真意も知らないまま、楽しそうに笑った。

 いざ、実践。山吹は桃枝の肩を叩き始めた。

 絶妙な力と、角度。時折、緩急を付けるためだろうか。叩くだけではなく肘を当て、強い力を入れる。……かと思いきや、手のひら全体を使って優しく揉み解しも始めた。


「おぉ。いいな、これ。仕事終わりの体に染みる」
「腕が落ちていなくて良かったです」


 桃枝、ご満悦。若干だが、表情が緩んでいた。
 こうしてリラックスをしている桃枝を眺めていると、不意に。山吹の中で、小悪魔が姿を現した。

 山吹は桃枝の耳元に顔を寄せ、唇を動かす。そして、吐息多めに色っぽく囁いた。


「課長の、固いところ。……気持ちいいですか?」


 ビクリと、面白いほどに大きな反応。桃枝の耳は瞬時に赤くなり、すぐさま鋭い睨みが返ってきた。


「バッ、お前……ッ! 耳元で囁くな、馬鹿ガキ……ッ!」
「あははっ! どんな想像したんですか? ……課長の、えっち」
「だから耳元で囁くんじゃねぇ……ッ!」


 やはり、桃枝を揶揄うのは楽しい。山吹は「あははっ!」と愉快気に笑いながら、それでも肩たたきを遂行した。

 それから、数分後。山吹はパッと、桃枝の肩から手を離す。


「はいっ、終わりですっ。その券は無期限ですので、好きなときに使ってくださいねっ」
「無期限? ……あぁ、本当だな。裏に書いてある」


 肩たたき券をひっくり返した桃枝は、しみじみと頷いていた。……やはり、どこか嬉しそうだ。


「それじゃあ、俺はそろそろ帰る。……プレゼント、ありがとな」
「いいえ、こちらこそ──……あっ」


 立ち上がった桃枝に続き、山吹も立ち上がる。……が、その前に山吹はシロを抱き上げた。
 山吹はシロを掴み、その顔を自身に向けさせる。それからなにを思ったのか、山吹はシロの鼻にキスをした。

 そして、すぐに──。


「──えいっ」
「──っ!」


 キスした部分を、山吹は桃枝に押し付けた。


「帰りの運転、気を付けてくださいねっ」


 追い打ちかのように、笑みを向けて。山吹は、帰ろうとした桃枝にそう言った。
 ピシッと、桃枝の動きが止まる。それからすぐに、桃枝は深いため息を吐いた。


「事故ったら、お前のせいだからな……ッ」
「じゃあ、事故の心配はありませんね。課長は自分の落ち度を誰かのせいにするような方ではないので」
「いちいち俺の心臓を握り潰すような言動をするんじゃねぇよ……ッ」


 妙な信頼だ。だがそれも存外『悪くない』と思ってしまうのだから、やはり桃枝は山吹に甘い。


「じゃあ、今度こそ帰る」
「はい、分かりました。お気を付けて」
「あぁ」


 玄関まで桃枝を追い、靴を履く姿をしっかりと目視。山吹は掴んだシロの手をフリフリと振った。
 ……の、だが。


「──あと。どうせなら【こっちのキス】も、俺はほしい」
「──んっ!」


 つん、と。唇に、キスをされて……。


「じ、事故っても、知りませんからね……っ」
「あぁ、分かってるっつの」


 少し早いホワイトデーを満喫した後。
 ……なぜか二人は、お互いに顔を赤らめてしまったのであった。




5.5章【困れば悪魔は蠅を食べる】 了




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