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5.5章【困れば悪魔は蝿を食べる】

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 翌日の夜。


「──なんだろう、この状況」


 山吹は自室で、なぜか正座をしていた。

 遡ること、二時間前。今日も今日とて定時で帰ろうとした山吹のスマホを、一件のメッセージ通知が揺らした。


『今日の夜、部屋に寄らせてくれ』


 送り主は当然ながら、桃枝だ。スマホを見た後すぐに桃枝が座るデスクへ目を向けたのだが、不思議と視線は合わない。桃枝はメッセージを送ると同時に、残っている作業へと着手し始めたのだ。

 残業を終えてから、いったいどんな用事があるのだろう。山吹は一先ず『了解です』とだけ返事をし、職員への挨拶をそこそこに、退勤した。

 部屋へと戻った山吹は着替えを用意し、浴室へと直行。体を隅々まで洗った後、少し緩めなサイズの服に着替えた。

 そして、現在。髪を乾かし終えた山吹は、フローリングの上で正座をしているのであった。


「これは、もしかして……約束を果たしてくれる感じ、かな?」


 風邪を引き、桃枝からのお見舞いを受けたあの日。『セックスがしたい』と強請る山吹に、桃枝は『治ってから』と告げた。
 恋人が夜、部屋に来る。果たされていない約束を思うと、山吹は準備をすることしか考えられなくなったのだ。


「な、なんか。少し緊張、しているような……っ?」


 これから桃枝がやって来て、山吹を抱く。想像すると、妙に頬が熱くなる。


「顔、あっつい。シャワーの温度、上げすぎた記憶はないんだけど……っ」


 浴室での行いが原因かと、山吹は意味があるのか分からないながらも、自身の頬をペタペタと手で触った。


「すべすべ、もちもち。今日のボクも、完璧にカワイイ。……うん、大丈夫。問題は、なにもない」


 桃枝が山吹の魅力をその身で味わい、結果、骨抜きになるのは明白。自画自賛を越えた自己評価を掲げながら、山吹はスマホに手を伸ばす。


「……課長、まだかな」


 承諾の連絡をした後、桃枝からのメッセージはナシ。思えば、具体的な時間もなにも伝えられていなかった。山吹は連絡を待ちつつ、スマホで時間を潰し始める。

 再生数の多いショート動画や、有名人が投稿した写真など。SNSを眺めながら、山吹はコロンと床に寝転がった。
 どれだけ愉快な動画を見ても、綺麗な写真を見ても。山吹の思考には、ひとつの言葉がこびりついて離れない。

 早く、桃枝に……。続く言葉には、薄く靄がかかっている。
 まとわりつく靄が、少しずつ晴れてきた時。


「あっ!」


 山吹はガバリと、勢いよく体を起こした。


『今、近くの駐車場から向かう』


 桃枝からメッセージが届くと同時に、山吹は体を起こしたのだ。

 アパートの駐車場ではなく、アパートの近くにある有料駐車場のことを言っているのだろう。車を停めて万が一にでも誰かに見られないようにと、配慮しているのかもしれない。
 桃枝が気にしないのであれば、山吹は。思わずそう考えてしまった山吹は、フルフルと首を左右に振る。

 なにはともあれ、もうすぐ桃枝が来るのだ。山吹は乱れた髪を整えつつ、インターホンが鳴るのを待った。
 どうして、こんなにも胸が騒ぐのか。落ち着きを失っている自分自身に驚きながら、山吹は玄関扉へと目を向けた。

 やがて、待ち望んだインターホンが鳴る。高い音が響くと、山吹は急いで立ち上がり、玄関扉を開けた。


「お疲れさ──えっ?」


 しかし、山吹はすぐに動きを止めて。


「──やる」


 桃枝から突き出された、異様に大きな袋を凝視してしまった。




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